平成15年度卒業式(理系)総長告辞

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式辞・告辞集 平成15年度卒業式(理系)総長告辞

告辞

国立大学法人東京大学総長 佐々木 毅
平成16年(2004年)3月26日

 

今日ここに卒業式を迎えられた医学部、工学部、理学部、農学部、薬学部の皆さんに対し、東京大学を代表して心からお祝いを申し上げます。また、皆さんの勉学をこれまで支えてこられたご両親を初め、多くの方々にもお祝いの言葉を申し上げたいと思います。
今日は皆さんの人生において一つの大きな区切りを意味します。学生生活は楽しかったとか、試験に苦労したとか、いろいろ思い出があることでしょう。しかしそれだけではなく、大きな区切りに際しては自ら省み、整理しておくべき事柄があります。第一に、皆さんそれぞれが如何に多くの人々の直接間接支援によって今日を迎えることが出来たか、改めて振り返ってみる必要があります。人生には偶然がつきものであり、どこまでが自らの努力の成果であり、どれだけ他の人々の助けを得て今日の自分があるのか、冷静にバランスシートを見極めることがこれからの人生の出発点として欠かせないものです。この見極めのない人生は本人にとって学習効果が乏しいだけでなく、周囲の人間にとっても余り愉快ではないでしょう。
併せて、この四年余りの本学での学生生活がどのような変化を皆さんにもたらしたか、それをじっくり吟味するのも今日をおいては考えられません。この四年間、皆さんは外から強制されることなく、自らの可能性を験し、新しい可能性を発見することに取組んできました。その結果として何が皆さんの中に起こったのか、どのような変化の痕跡が残ったのか、これについて是非とも各自それぞれに総括していただきたい。これは大学で学んだ学科やそこでの知識、更には成績の善し悪しとは直接関係ない事柄ですが、それ以上に皆さんの人生にとって重要な意味を持つ出来事です。この総括作業の一つの手がかりは、東京大学において皆さんは「すごい人」「かなわない人」に出会ったかどうかにあると思います。そういう人に出会った人はこの四年間の総括の有力な手がかりを与えられたも同然です。そういう人に出会った経験を持たなかった人は貴重な時間を失ったのではないかと恐れるものです。
今日この場において私は皆さんそれぞれに整理し、総括すべき課題があるということを述べました。こうした整理や総括は自らの経験を大切にし、それを生かして次の経験を積み重ねていくことの大切さへの自覚とつながっています。従来、卒業式というのはとかくこれまで勉強したことを忘れ、白紙で新たな世界に飛び込む区切りの儀式と考えられてきた側面がありました。しかし、多くの努力と経費を費やして経験したことを簡単に忘れ、次々にゼロからやり直しを試みる態度というのは精神的に不自然であり、反知性的な体質を持っています。自らの経験を知的に整理して「ストック化」することから思考と判断が始まるのですが、この「ストック化」を自ら放棄し、あるいは拒否するところには思い付きと知的白紙状態しか期待できません。
かつて日本では大学を卒業して特定の組織に人生全体を預け、個人の能力の「ストック化」をほとんど犠牲にして生活の安定を得るという社会的取引が一般的に行なわれてきました。そこでは組織だけが「ストック化」の対象であり、その受益者でした。しかし、この数年間の社会経済情勢の変化によりこうした取引はかつてほど存在感がなくなりました。現に、一つの組織に一生止まることを当然のように考える人々は少なくなり、皆さんの中にも次なる飛躍のための準備と機会を狙っている人が少なからずいるのではないかと想像しています。
現在、われわれが生きている社会は経済活動のグローバル化の波に日々洗われ、既存組織は激しい変貌を余儀なくされています。こうした中では個人が組織に距離感を持ち、独自の生き方を模索するのは当然といえます。同時に、最近におけるテロや軍事行動の頻発はある意味でグローバル化の一つの産物であり、それは新たな創造へよりもしばしば破壊の連鎖を呼び起こしかねない状況を生み出しております。それまでの強固な組織社会を破壊する動きには一定のプラス面がありますが、何時の間にか破壊のダイナミズムが自己増殖し、制御が難しくなることもまた忘れてならない人間社会の現実です。また、不気味に拡がる病はグローバル化に対する警告のようにも見えます。経済的効率性を主たる旗印にしてきたグローバル化は数年前までの輝かしさを失い、その鬼子を生み出しつつあります。グローバル化は元々「安定」には無縁でしたが、今や、「安心」も「安全」も覚束なくなってきました。異常な広がりを見せる個人間での「テロ的」攻撃にしても、こうした状況と無関係ではありません。大きくなる自己破壊の歯車に沿って更に動いていくのか、それとも新たなバランスの回復に向けて努力するのか、これは比較的近未来において人類が共通に直面する課題です。
今から二十年前、日本の政治の基本スローガンは「安全、安心、安定」でした。こうしたスローガンに満ちた社会は息苦しさを感じさせますが、こうしたスローガンが全く存在感がない社会もまた人間を不安にし、当然のことながら、一定の反動を生み出します。反動が起こること自身は自然的、本能的なものでありますが、問題はそれがどのような形をとることになるかということです。その結果、「安全」を求める志向が閉じこもり現象と新たな破壊と結びつき得ることはわれわれの身近に見られるところです。このパラドックスをどう切り抜けていくのか、20世紀の経験からしても学ぶべき素材には事欠きません。
皆さんにとってグローバル化は目標というよりも「与えられたもの」、所与であります。この「与えられた」状態の中で生きていかざるを得ないことは自明です。しかしながら、それがバラ色の世界に直結するのではなく、渦巻くような自己破壊のエネルギーを高めつつあるシステムでもあり、その政治的・社会的帰趨が不透明であることがすでに明らかになりつつある以上、この「与えられたもの」の次なる段階をどう展望するかがこれからのもっと大きな課題になるはずです。
自らに配慮をしながらこの「与えられた」状態の中で生きていくことは一種の必然であり、自慢すべきことでもなければ卑下すべきことでもありません。問題は「その後」の事態にどう対面するかということです。かつての組織万能の時代は自分を組織に「丸投げ」し、自ら思考することの責任を負わないことが当り前でした。しかし、そういう時代が終わり、皆さん自身も自らの経験と努力の「ストック化」を大事にし、それにこだわって生きていくことを決断した以上、「その後」について思考し、方向を探ることから免れることはできません。これこそ、皆さんが単に自らに配慮して生きるだけではなく、公共の事柄に配慮しつつ生きていかざるを得ないという事実なのです。公共の事柄への配慮というのはわれわれが生きていく上で必要とする基本的条件や環境について知的に取組むことに他ならず、その意味では自らの対する配慮と矛盾するどころか、むしろその不可欠な補完部分というべきものです。
東京大学はその東大憲章において「市民的エリート」の育成を目標に掲げています。その含意をここで尽くすことはできませんが、先に私が述べた公共の事柄への然るべき配慮はその核心をなすものであり、その最低限の条件であることは確かです。こうした配慮は社会のどの局面において生きていくにしろ不可欠な要素であり、その熟成に向けて継続的な努力を行なうことこそ、本学の卒業生に切望され,期待される点です。同時に、この公共の事柄への配慮に知的に取組むことが如何に簡単な事柄でないか、単純な事柄でないかを自覚し、主張することもまた皆さんの重要な課題であります。皆さんは自己への配慮だけで生きていくには有り余る能力の持ち主であります。このことを肝に銘じ、前途に横たわる世界規模の諸課題に本学で培った体験と知的刺激を武器にして堂々と立ち向かっていただきたい。そして大事なことは、そうした態度を若い時代からこれを習慣化することであり、功なり名を遂げてからやおら考え始める類のことではないことも忘れないでいただきたい。東京大学は将来にわたってそうした皆さんに対する知的支援組織として、今後とも皆さんと有意義な連携関係を形作っていきたいと考えています。
今日の卒業式に当たり、私は皆さんに対し、重い課題と大きな期待を表明しました。願わくば卒業生それぞれがこうした課題と期待を背に逞しく生き、何よりも悔いのない人生を送っていただきたい。その上、更に大きな幸運が皆さんを待ち受けていることを心から祈念し、私の告辞と致します。

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