平成16年度東京大学入学式総長式辞

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式辞・告辞集 平成16年度東京大学入学式総長式辞

式辞

国立大学法人東京大学総長 佐々木 毅
平成16年(2004年)4月12日

 

新入生の皆さん、入学おめでとう。東京大学は希望とエネルギーとに満ち溢れた若い皆さんの入学を心から歓迎いたします。正確な言い方をすれば、国立大学法人東京大学の第一期入学生であり、われわれとしては一層の喜びをもって皆さんを歓迎する次第です。
皆さんは長い間にわたって東京大学への入学を夢に見、営々と努力を続けてきたことと思います。今日の入学式は、東京大学においてさまざまな高い希望を叶えるべく意欲を燃やしている皆さんが一同に集い、これからの東京大学での勉学と生活について改めて決意を固め、勇躍前進を開始する記念すべき機会であります。
東京大学はこうした皆さんの大きな期待に応えられるだけの条件を相当程度備えているものとわれわれは自負しています。東京大学は10の学部と14の大学院研究科をこれまで備えていましたが、この四月からは新たに公共政策大学院が設けられ、法学政治学研究科はいわゆる法科大学院の発足により、大きく拡張されました。また、大学院での教育に大きな役割を果たしている附置研究所が東京大学には11あり、これらは国内・海外での研究活動の中心的存在となっています。東京大学は博士号の授与者が毎年1千名を越える世界に冠たる研究型大学であり、国際的な専門学術誌への発表論文数においては世界のトップを争う位置にあり、研究成果については手許の資料にありますように、過去十年の論文の被引用回数において世界の大学の中で昨年の16位から13位に躍進しました。大学の評価についてはさまざまな俗論がありますが、皆さんには是非とも自ら学ぶ大学についてのこうした客観的データを頭に刻んでもらいたいと思います。
ところで俗に「初心忘るべからず」ということがよく言われます。こういうことが言われるのは現実には容易に人間はその初心を忘れ、その時々の流れに身を任せ、容易に堕落し易い存在であるからです。実際、大きな希望と期待に胸を膨らませて東京大学に入学した若人の中にもその卒業時には四年前の初心をすっかり忘れ、残念ながら変わり果てた存在になっている者がいることは認めざるを得ません。
大学生活は人生の中で最も自由な生活を享受できる時期であり、他人の掣肘を受けることなく、伸び伸びと自らの可能性を験すことができる稀有の時期です。しかしそれだけに、自らをどのような存在にしていくかについて各人が全面的な責任を負わなければならないことを当然含んでいます。他人のせいや運不運のせいにして弁解できる余地が少ない人生の時期なのです。極論すれば、四年後皆さんがどうなっているかは、皆さんの初心の内容と皆さんの意志にほとんど全てかかっています。こうした時期を送ることができるということは実に素晴らしいことでありますが、同時にそれが自らの志と人間としてのあり方に深く関わることを肝に銘じ、人生一度のこのチャンスを大事に、そして思い切って活用していただきたい。
私は今日ここで皆さんには是非とも卓越性の追求を課題にしていただきたいということを述べたいと思います。卓越性の追求と言うとエリート主義や傲慢さを推奨することのように思う人もいるかも知れません。しかし、大した能力も力量もないのに他人を踏み台にして傲慢な態度をとったり、ふんぞり返ったりして生活する態度は卓越性への感覚とは全く関係ありません。あるいはそういう意味でしか卓越性を理解できないところにどうにもならない精神的貧しさがあるといって過言ではありません。卓越性の追求はそれが一人の人間の真摯な取り組みである以上、誰の迷惑にもならないし、やがてはさまざまな形で社会を裨益することにつながるものです。
卓越性の追求とは知的活動においてであれ、実践的活動においてであれ、一流の存在になろうとする試みであります。それは自らをあらゆる面で不断に鍛え、自らの可能性を大きくする努力と深く結びついています。あるいは、自らを「耕す」ことに人一倍真剣に取り組むことであるといってよいでしょう。つまりは自らを大切にすることに精神的につながります。逆に、自らを「耕す」のを怠った人間は精神に野草が生え、荒廃し、自分が何者であるかが分からなくなるのは早晩明らかです。自らが何者であるかが分からない人間に出来ることは付和雷同と右顧左眄でしかありません。
これから学生生活を送る皆さんの特権は、この卓越性の追求を何の遠慮もなしに、思い切り試みることが出来る点にあります。私の考えでは、東京大学とは日本全国から卓越性の追求にこだわる若者たちが殺到する空間であります。私自身の経験によれば、東京大学には必ずや皆さんそれぞれにとって本当に「すごい」人間や自分が到底「かなわない」人間がいるはずであります。それは教授であることもあれば、先輩友人であることもありましょう。こういう人間に出会うということ、それによって刺激され、卓越性の追求の厳しさを肌で感ずること、これが皆さんのこれからの東京大学での生活の醍醐味でなければならないのです。従って、東京大学は怖いところであり、同時に、他では味わえない貴重な体験をすることができる空間なのです。
若し、皆さんが「すごい」人間や「かなわない」人間に出会うという体験をしなかったとすれば、それはこの卓越性の追求という感覚が初めから皆さんにおいて摩滅していたに違いないのであって、私としてはその人の不幸に同情を禁じ得ません。人間には所詮「見えるものしか見えない」のであり、十代にしてこうした感覚が麻痺していたとすれば、その後の人生はさぞかし寂寥たるものであろうと思います。
誤解のないように言えば、こうした卓越性の追求は社会的な意味での出世や成功を些かも保証するものではありません。社会における出世や成功はさまざまな偶然の産物であり、個人の力で左右できる範囲は限られています。そもそも社会的成功は希少性を特徴としており、全ての人間がそれに与ることは出来ないということを前提にしています。その上、卓越性という積極的な特徴が乏しいにもかかわらず、「他に人がいない」ということで出世する人の例が珍しくないのがこの世の中です。しかしながら、卓越性の追求に興味もなければ関心もない人間が指導的地位に立つ組織や社会が素晴らしいとは誰も考えないことでしょう。更にそうした人間がふんぞり返り、傲慢さを撒き散らす社会が不愉快なことは言うまでもありません。
こうした事態が起こらないようにする唯一の方策は、卓越性の追求にこだわる人間たちが数多く存在するような社会を作ることです。それは卓越性に対して正常な関心と感覚を持つ社会になることに他なりません。そういう社会であれば、「他に人がいない」といった不毛な選択に曖昧に身を委ね続ける必要はなくなります。卓越性を追求する人間が社会的成功をおさめることができるわけではありませんが、社会的成功をおさめる人間には少なくとも卓越性の追求とその意味について正当な感覚を持っていてもらわなければなりません。民主的な社会は卓越性の追求可能性を万人に開いたと考えられますが、同時に、それは卓越性に対する感覚が慢性的に摩滅させる可能性を含んだ社会であることも直視しなければなりません。
何はともあれ、皆さんが一刻も早く「すごい」人間や「かなわない」人間に出会うことを私は切望しています。この衝撃的な体験から卓越性の追求は自覚され、開始されることになります。東京大学に入学しながらこうした体験をしないというのは最大の不幸であります。必死に目を凝らし、周囲を窺い、素晴らしい人間を発見していただきたい。一人で机に向かっているだけでは、コンピュータをいじっているだけではそれは実現できません。
こうした卓越性への感覚とそれへの真摯な取り組みは日本と世界をよりよいものにするための出発点でありますが、同時に東京大学をより素晴らしいものにしていく重要な拠点でもあります。大学の理想である素晴らしい学生と素晴らしい教授団とは相互の切磋琢磨によって初めて可能になります。東京大学はそれを現実に真に国際的水準で実現できる可能性を持った日本で数少ない大学であると私は信じています。皆さんは卓越性への情熱を武器に教授団に容赦なく挑戦していただきたい。そして問題を感じたり不満があれば私や副学長に遠慮なく物申していただき、東京大学という学問共同体の前進のために積極的に参加していただきたい。そうした皆さんの活動を私は総長賞や学生ティーチング・アシスタントといった制度で応援します。

最後に、四年後に皆さんが今よりも大きな器量と優れた能力の持ち主になることを心から祈念し、皆さんそれぞれの初心が叶うよう、その善戦奮闘を切望して私の式辞と致します。

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