平成17年度東京大学入学式総長式辞

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式辞・告辞集 平成17年度東京大学入学式総長式辞

式辞

国立大学法人東京大学総長 小宮山  宏
平成17年(2005年)4月12日

 本日入学された皆さんに、東京大学を代表して心からお祝いを申し上げます。本当におめでとうございます。東京大学は、創立127年、世界に認められたリーディングユニバーシティの一つです。人生は一生が学びの過程、成長の過程ではありますが、皆さんが東京大学で過ごすこの4年間は、自己を確立していく上で、特に大切な時期だと思います。そうした皆さんに今日お話するのは、21世紀という時代が要求する、大学と人についてです。
  21世紀の幕開けを迎えて間もない今、私たちがどのような状況にいるのかを考えるために、20世紀が人類にとって何だったのかを、振り返って見ましょう。20世紀は戦争の世紀、イデオロギーの世紀、あるいは、科学の黄金時代であったなど、いろいろな見方が可能でしょう。私は、膨張の世紀、つまり人類の活動が未曾有の発展を遂げた世紀という観点からお話をします。
  20世紀、百年の間に、世界の人口も、産業の生産も著しく増大しました。このことは、人類の活動が活発になったということであって、人類の繁栄を意味するでしょうが、その一方で、環境の劣化という深刻な問題を引き起こしました。しかし、人類の活動の増大や環境劣化が20世紀固有の現象かというと、そのようなわけでもありません。数百万年前、アフリカで最初の人が誕生したといわれています。その人類の誕生以来、ほぼ一貫して人口は増え続けているわけです。環境問題にしても、産業革命当時のロンドンにおける環境の劣化はひどいものでした。20世紀以前にも多くの環境問題が世界各地で発生していたのです。
  そうだとすれば、いったい、20世紀の膨張は、どのような意味で未曾有であったといえるのでしょうか。その答えは、人間の活動が、ひとつの都市やひとつの湖といったような地球の部分、部分にとどまらず、地球を全体規模で変え始めたということです。象徴的には、大気中の二酸化炭素濃度が増加し、地球温暖化が始まりました。つまり、大気の温度という、水惑星地球を成立させている最も重要な因子が一大変化を蒙り始めています。私たちの活動が、私たちの活動の基盤そのものを揺るがすほどに膨張した、これが、20世紀だったのです。20世紀があらわにした、この「有限の地球」という命題を、深く心にとどめて、21世紀の行動を選択する必要があります。このことは、いくら強調しても、しすぎることはないでしょう。
  今お話したのは、環境や資源に関する問題で、皆さんもすでにご存じのことです。しかし、よく考えて見ますと、20世紀に最も膨張したものは、実は知識あるいは情報なのではないか。私はそのように考えます。勿論、知識・情報が増えたことそれ自体は、歓迎すべきことです。しかし一方で、あまりに増えすぎたために、知識の全体像を把握できなくなってしまった、そうした問題が生じています。人間の物質的な活動の増加が環境問題を引き起こしたように、知的活動の進展が、知識の全体像や、社会的な問題の全体像の把握を困難にさせるという、負の側面をもたらしたのです。皆さんはこれから、いわば、知識の洪水に曝されることになるのです。しかしそれは、皆さんだけの問題ではありません。人類すべてにとって、さまざまな意味で、全体像を把握することが困難になっているのです。
  全体像を把握することが難しくなったということを表す事例として、2000年に起きたコンピューターの二千年問題があります。コンピューターの中で、年号は下二桁で表現されていました。1935年なら35,1988年なら88,といった具合です。メモリーの値段が高かったから節約をして、二桁ですませたのです。2000年になって、そのつけが回ってきました。2000年の下二桁は00です。しかし、1900年も00ですから、コンピューターは1900年か2000年か分からなくなってしまいます。その結果、コンピューターで制御されているさまざまな機器が混乱を起こし、社会が大混乱に陥るという心配が生じました。これがコンピューターの二千年問題です。車の運転が不能になる、飛行機もエレベーターもおかしくなる、電気やガスが誤作動を起こす、病院の医療機器も、銀行のATMも、商店のレジも、工場も、さらには、ミサイルが誤って発射される可能性まで心配されました。結果は、銀行の自動貸し出し機が少し混乱した程度で、幸い深刻な事態には至りませんでした。結果はたいしたことはなかったのですが、この問題は人類にとって極めて大きな歴史的意味を持っています。それは、世界中にたった一人として、情報社会の全体像を把握できる人がいなくなったということ、それが事実をもって明らかにされたということです。
  現在、人類は多くの問題に直面しています。民族問題、貧困の問題、テロリズムの問題、地球環境問題、エネルギー資源の問題、高齢化社会の問題、過疎の問題、大都市に付随する数々の問題など、文字通り枚挙に暇がありません。いまこそ英知を結集して、こうした問題の解決にあたらなければなりません。ところが、20世紀に知識が爆発的に増えた結果、かえって、私たちの最大の武器である知を有効に使えないというジレンマに陥っているように思われます。社会的な問題の全体像を把握し、知識の全体像を把握し、知によって問題を解決する、そのことが困難になってきているのです。つまり、私たちが抱えるさまざまな困難の背景には、全体像を把握できなくなったという、知に関する基本的な問題が潜んでいるのです。
  東京大学は、世界の先進大学として、時代の困難に立ち向かう使命感を感じております。皆さんも東京大学の一員として、そうした使命感を共有して頂きたい。そして、やがては、人類の困難に立ち向かう先頭に立つ人になっていただきたい、そのように期待してやみません。そうした期待に答えてゆくためには、さまざまな課題が皆さんに求められます。基礎的な学力を身につけろ、専門をしっかりマスターせよ、幅広く物事を理解する人になれ、英語に堪能になれ、包容力のある人になれといった、皆さんにしてみれば矛盾とも思われるような、さまざまな要請がふりかかることになります。しかし、先頭に立つということは、自分で道を決めるということですから、それだけ重大な責任を背負うことになり、なによりも問題の全体像を把握する能力が要求されます。全体像を把握しないと、ビジョンを描けないし、正しい道か、誤った道か判断することができないからです。
  こんな風にいわれると不安に駆られるでしょうか。知識が爆発的に増えた。その全体像を把握しなればならない。いったい、自分にそのようなことが可能なのだろうか、そういった不安に駆られるでしょうか。こうした不安は、深くものを考える人であれば、共有する不安です。しかし、本気で、そうした要請に応える挑戦をして欲しいのです。専門性か一般性か、基礎か応用か、英会話か英文学かといった、二者択一ではなく、二つを両立することを追い求めて欲しいのです。
  皆さんがこれから直面し、おそらく皆さんをもっとも悩ませるであろう本質的な矛盾は、広く学べと深く学べ、この二つの間の矛盾でありましょう。私は、「広く」と「深く」の両立は可能だと思います。それには、ひとつで良いから深く学ぶこと、同時に、頭の中に全体像を作るという明確な意識をもつこと、この二点が肝心なのです。
  まず、ひとつでよいですから深く学んでください。ひとつの分野を深く学ぶと、その分野が分かるというだけでなく、同時に他の分野を理解する力も増します。ところが、浅くても良いから広く学ぼうとすると、もごとの本質をつかむ力を得ないままに終わってしまいがちなのです。
  さて、私は、深く学ぶと同時に、全体像をつくるという意識を、明確にもつことをお勧めします。深く学ぶというだけですと、専門分野のことしか分からない人になってしまう心配があるからです。深い専門分野を有し、しかも他の学問分野や、社会のさまざまな事象を幅広く理解できる人になる道は、頭に全体像を描くことを、無意識ではなく、意識的に行うことではないかと、私はそう考えています。例えば、ひとつの教科なら、その教科はいったい何を対象としていて、それをどのような方法で取り扱い、社会や自然とどのような関係にあるのか、細部は朧気でもよいですから、全体像を、意識的に構築しようとすることです。社会問題に対しても全体像を意識するのがよいと思います。たとえば、先ほど例として示したコンピューターの2千年問題にしても、その全体像が把握できればあのようなことにはならなかったのです。
  最初のうち、全体像は茫洋としています。それは仕方ありません。これから履修する教科の全体像を描くのは容易ではありません。しかし、大丈夫です。全体像を意識して学びを進めるうちに、しだいにそれはできていきます。そして、教科の全体像、教科群の全体像、社会問題の全体像など、さまざまな全体像が、相互に関係を持ち出します。それがそれぞれの人の頭の中に生じる、知の構造でありましょう。
  私の頭の中にも、さまざまな全体像があり、総体としての知の構造があります。この構造は、昔より今の方が大きさと鮮明さが、多少はましになっていると思いますが、しかし今でも、あちらが壊れたり、こちらを改修したり、変化し続けています。それは私にとって、大いなる喜びであり、生きがいのひとつです。
  申し上げたいのは、知識が爆発的に増えた現在における学び方についてです。皆さんは、学ぶということを、高い山を、重い荷物を背にしょって一歩一歩、一合目、二合目と、脇目もふらずに頂上ま登る、そのようなイメージで考えているのではないでしょうか。私のイメージは、ひとつの山の頂に向けて一歩一歩登りつつも、時にはヘリコプターでいきなり山頂に立ってみたり、隣の山の麓を散策してみたり、外国の都市に遊んでみたり、人工衛星から俯瞰してみたり、潜水艦で深海に潜ってみたり、全体の構造を縦横無尽に動き回りながら、ひとつの山の頂を目指す、そうしたイメージなのです。それが、「深く」と「広く」を両立させる道である、自己と全体をともに把握する道であると、そのように考えています。東京大学としても、学術俯瞰講義、学術統合化プロジェクトなど、教育と研究の両面において、21世紀における、時代の問題である、知の全体像を把握するための挑戦を行っていきます。
  しかしここでひとつ、忘れてはならない、大切なことがあります。皆さんは、今日から東京大学の一員として、知の世界への冒険と挑戦の旅を始めることになりますが、それは決して、ひとりぼっちの旅ではありません。多くの人との出会いの場なのです。ところが、皆さん方の世代がゲームや携帯音楽やコンピューターなど、ひとりの世界に閉じこもって、人と人との関わり合いが薄くなってきていることを、私は憂慮しています。人生とは、と大上段に振りかぶって語ることは、私の得意とするところではありませんが、しかし、人との関係が人生でしょう。人との関係を持たないということは、人生を生きないということに近いのではないでしょうか。人との関わり合いを通じて、私たちには、「他者を感じる力」が備わってくるのではないでしょうか。
  初めての人と関わりをもつことは、怖いことでもあります。いつでもよい関係をつくれるとは限らないからです。相手も同じなのです。怖いからといって、表面だけのつきあいですませてしまっては、人間関係の醍醐味は味わえません。真の友情や愛といったものは生まれません。はじめは、ぎこちない関係から始まるのが普通でしょう。そのぎこちなさを恐れるために、そして、ゲームやら携帯音楽やら、ひとりの世界に閉じこもる手段が安易に手に入る状況であるために、逃避する人が多くなるのでしょう。けんかしたって良いではないですか。それも人間同士の関わり合いです。クラスの友人と、踏み込んだつきあいをしてください。そのために大学は、授業や演習や実験や、夏休みや、サークル活動や、さまざまな機会を提供しています。それらは、それら自身が学びの手段であると同時に、皆さんに熱いつきあいの機会を提供する媒体でもあるのです。
  これから始まる学生生活というのは、自由という点で、高校生までの生活とは相当に異なったものになります。皆さんにとって無限の可能性を秘めているといって過言でないでしょう。大切なことは、どんな4年間になるのか、それを決めるのは皆さん自身の意志によるところが極めて大きいということです。決して、閉塞的にならないでください。
  関係を持つ人の範囲も思い切って広げてください。人との関わりは、それが多様な人との関わりであるほど成長の糧となります。学んだ分野や育った環境が異なると、同じ問題でも異なる視点から捉え場合がしばしばあります。
  例えば、人といってもさまざまなとらえ方があります。人生を生きる人、肉体を持つ人、考える人、病気になる人、歴史の登場人物、人種など、さまざまな視点があります。ここで私は、人生を生きる人を考えるのが文学部の人の視点で、病気になる人を考えるのが医学部の人の視点である、などと申し上げているのではありません。また、教員が成熟していて、皆さんが未成熟などというつもりすらまったくないのです。人というのは、そのような定型的な分類や予断を許さない、意外性に満ち、相互に影響を及ぼし合い、変化していく、誠に魅力的な存在なのです。ゲームや漫画の主人公などとはまったく異なるのです。だからこそ人との関わりは何ものにも代え難い、人生を豊かにするものなのですし、人と関わらないというのは人生を生きないということにほとんど等しいのではないか、私がそのように考える理由なのです。人との関わりを通じて、「他者を感じる力」を備えた人になってください。
  さて、そろそろまとめに入りましょう。私は今日の話の前半で、知識の洪水に溺れるな、専門を深く学べ、同時に、頭に知の構造を作れ、そうお話しました。それは、21世紀という時代において、問題の本質をつかむ知を養えということであります。人類は様々な困難に直面しています。それらは知によってのみ解決可能なのであり、知によってのみ人類の未来は開けるのです。そして、知を行動につなげる勇気は、自分は本質をつかんでいるという確信があってこそ生まれるのです。そうした人を、時代が求めております。東京大学、そこに集う私自身を含めた教職員は、世界の先進大学として、時代の困難に立ち向かう使命感を感じております。私たちの使命感を、現実に社会を動かす力とするためには、先頭に立って一歩前に踏み出す勇気を持つことが必要でしょう。人類にとって必要なもの、東京大学の役割、そして、皆さんに期待するところ、これらは実は全く同じなのです。東京大学で学ぶ中で、「本質を捉える知」、「他者を感じる力」、そして、「先頭に立つ勇気」を、是非育んで下さい。 最後になりましたが、本日ご列席のご家族の皆さん、お子さん達は今、社会へ向けての旅立ちの第一歩を踏み出しました。是非、暖かく見守って頂きますようお願いしまして、本日の式辞の結びといたします。

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