平成18年度入学式(大学院)総長式辞

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式辞・告辞集 平成18年度入学式(大学院)総長式辞

平成18年度 東京大学大学院入学式総長式辞

平成18年(2006年)4月5日
東京大学総長  小 宮 山 宏
 

 東京大学大学院に入学された皆さん、あるいは修士課程から博士課程に進学された皆さん、おめでとうございます。東京大学を代表して心からお祝いを申し上げます。
 平成18年度、東京大学大学院に入学、あるいは進学された皆さんは合計で4,828名ですが、なかには東京大学を卒業された方もいれば、他の大学を卒業された方もいるでしょう。外国から留学して来られた方も、また社会人を経験された方もいるでしょう。いま、こうして壇上から皆さんを前にしますと、そのような様々な経歴をお持ちになった、お一人お一人の熱い志が、私のもとにしっかりと伝わってくる思いがいたします。
 まさに本日は皆さんにとって、新たな知の世界への冒険の第一ページを飾る、とても大切な日となります。どうかこの東京大学大学院で過ごす学びの期間を、実り豊かな、すばらしい日々にして戴きたいと思います。

 さて、皆さん、「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉をお聞きになったことがあると思います。あらためてご説明するまでもありませんが、一つの道を究めた人は、ほかの多くの事柄も身につけることがたやすくなる、おのずと見えてくるようになる、というほどの意味です。
 ところで、非常に高度に専門化した今日の学問の世界でも、この言葉はまだ通用するのでしょうか。これは私がかつて学部長を務めていた東京大学工学部のケースですが、2003年度の時点で、専門分野の大枠に相当する学科が17、コースになると29、そして開講した授業は、863科目にものぼりました。工学部を卒業するためには、これらのうち、それぞれの専攻に応じて、42科目から48科目を取得しなければなりませんが、これは全体863科目の中のたった20分の1にすぎません。学部の段階でこの有り様ですから、本格的に専門の研究を進める大学院ともなれば、どれほど細分化された専門の世界に皆さんが身を置くことになるのかは、想像に難くないでしょう。
  さて最初に掲げた質問にもどりましょう。細分化が進んだ今日の学術の世界でも、「一芸に秀でる者は多芸に通ず」と言えるのでしょうか。
 私は言えると思います。現在の特殊な状況下でもなお、多芸に通ずるためには、まず一芸に秀でることから出発しなければならず、そして多芸に通ずるようなかたちで一芸に秀でることは、十分に可能だと考えます。あるいはむしろ私が強調したいことは、こういうことです。このように学問が高度専門化した状況にあるからこそ、私たちは是が非でも、多芸に通ずるようなかたちで一芸を伸ばしてゆかなければならない。さもないと、研究者は皆、お互い何を研究しているのか理解できない蛸壺の世界に埋もれるか、または、薄っぺらなジェネラリストばかりになって、次世代の後継者を育てられなくなるか、いずれかになるだろうと予想します。
 しかしながら、一体どのようにすれば、「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という状況が、学問の世界において実現するのでしょうか。その実現のためには、皆さん一人一人が、それ相応の学びの心得を強く意識して実践する必要がある-これが私の答えです。
 では、その学びの心得とは何でしょうか。私が考えるところでは、これからご説明するような三つの要件が、学びの心得の柱をなしています。

 まず第一には、自らの専門分野、研究対象を、深く綿密に掘り下げ、徹底的に学ぶことです。今日、学問は文系も理系も一般に細分化が進んでいます。また、それと同時に一部では、文系と理系の境界があいまいになり、従来は無かった新たな知の領域や枠組みが生まれています。世界の学術のフロントランナーたらんとする私たち東京大学大学院では、このような高度専門化、細分化、そして学融合化の傾向はとりわけ顕著です。
 ここでごく簡単に東京大学大学院の教育研究組織を一覧しておきましょう。研究科にあたる基本組織が理科系、文科系あわせて15ありますが、これに並んで11の研究所と21の全学センターを擁しています。これらに所属する専任の教員だけで約4,000名にのぼりますが、さらに全国共同利用研究所など東京大学以外のメンバーなども加わって、多様かつ最先端の専門分野に対応する大学院教育を行っています。さらに、法科大学院など、専門的実務者養成のための専門職学位課程も加わりました。質量ともに、まさに世界のトップレベルに位置する総合大学の一つです。
 さて皆さんは、これらの教育研究組織のいずれかに所属して、何らかの研究テーマに従事することになりますが、その研究内容は、多くの場合、とても専門性が高く、特殊化、先端化した性格を帯びることになるでしょう。どうか皆さん、たとえどんなにささやかな研究課題からスタートするにせよ、学問の最前線に立って、未知の世界へと自分の足で踏み込んでいこうとする勇気と、たくましい知的好奇心を大切に持ち続けて頂きたい。決して広く浅くではなく、まずは一つのことを深く徹底的に学ぶこと。これが学びの心得の第一条件です。

 しかしながら、ここにひとつ重大な問題が立ちはだかっています。学問の専門化、先端化、細分化が進み、しかも情報技術、いわゆるITの長足の進歩によって、大量のデータを瞬時に処理する情報交信網が、世界規模で広がり続け、その結果として、私たちの目の前には今や、想像もつかないほど膨大な知識・情報の大海原が、漠として広がっています。
 例えば今、インターネットで「環境問題」という語句を、ある検索システムにかけますと、なんと約3,640万件もの情報源にアクセスが可能となります。一人で毎日1,000件ずつアクセスし続けても、全部見終わるのに、36,400日、何と約100年もかかってしまいます。しかも話はこれだけでは終わりません。その百年の間に、「環境問題」に関する知識・情報・データは、日々、めまぐるしく変化、膨張してゆくに違いありません。ですから、「環境問題」の全貌をとらえ分析するための準備作業にすぎない情報収集それ自体が、一人の人間が生涯をささげても、成し遂げることが不可能だということです。
  また別の例を挙げれば、かつては一人の学者が、長年にわたって古典の典籍を自ら読み解く中で、こつこつとカードを取り続け、分類・整理した上で、一つの単語、一つの語句の意味・用法を、そのカード集を頼りに明らかにする。これが文献研究の大切な基礎作業でした。しかし今ではそのような面倒な作業は不要です。主要な世界の古典はすでにほとんど、電子テキストとなって公開されており、例えば古典中国語で書かれた仏典群全体の中で「心」という字の用例は、恐らく、とてつもなく大量に存在するでしょうが、コンピューターを使えば、だれもが何の苦労もなく瞬時のうちに引き出すことができます。
  人類はまさに未曾有の知識爆発の時代に突入しています。生滅変化が見える可視の世界から、目に見えない素粒子などミクロの物質世界やマクロの宇宙空間、ゲノムに代表される生命現象の神秘に至るまで、あるいは文化遺産、文字資料等々という具合に無限に広がる対象世界を、さまざまな時間的・空間的条件や、ツールの違い、切り口の違い、あるいは文化伝統の違い等々から、切り取られ、写し取られ、描き出されたデータ、情報、知識の無数の断片の集積が、時々刻々と膨張し、かつ絶えずヴァージョンアップを重ねてゆきます。しかし各情報・知識は、たとえどれほど精密であっても、あるいはどれほど沢山集めても、他の情報・知識と組み合わせ、関連づけ、体系づけなければ、問題解決をはかろうとする知の本来のダイナミズムは発揮されません。あるいは現実の世界・社会への効果・効用をもたらしうる知識体系、技術体系へと高めることができないはずです。せっかく情報・知識を手に入れても、まったく全体像への見通しを欠いたまま、ジグゾーパズルのピースがばらばらの状態で、ごみの山のように積み重なってゆくだけとなります。
  したがって、自らの専門を徹底的に勉強すべし、という学びの第一条件に並行して、究めようとする自分の専門知と、他の知識・情報との関連づけを絶えず意識的に行う必要が絶対にあります。これが学びの心得の第二条件です。

 では他の知識との関連づけを、どのように行えばよいのか。これは一律に答えるのは難しい問いですが、いろいろな方法が考えられます。ひとつのオーソドックスなアプローチとしては、細分化するに至った学問の歴史をさかのぼり、元の幹を確認したり、その同じ幹から分かれていった隣接の分野の知識と比較する方法が考えられます。そして知識・技術発展の歴史を辿ることで、しばしば、根底にある基本的な思考や原理に開眼して、一気に知識の全体像が見渡せるようなステージに上れることもあります。例えば、部品の数が300万にも達する原子力発電所であっても、自転車の前輪部に付いている小さな発電機から光が出る装置と、発電の原理そのものは本質的に同じだと理解することは非常に重要なファクターとなります。こうした「本質を見通す力」は、一朝一夕で得られるものではなく、日頃から各人が意識して育成し、鍛えようとする心構えが肝要です。
  このような方法とは別に、解決すべき現実の問題、具体的な課題を軸として、さまざまな知識・情報を統合しようという動機付けも非常に重要でしょう。世界各国の中でも日本は、さまざまな課題が、他国に先駆けて顕在化している国です。化石資源に乏しく人口密度が高いという条件のもとで、環境を保全しつつ、ハイレベルな経済を維持する日本の国民的努力と英知の結集は、来るべき地球社会全体の姿を先取りしているとも言えましょう。このほか少子高齢化社会など深刻な課題が少なくありません。日本は、いわば「課題先進国」でもあります。しかし、悲観するには及びません。エネルギー資源が乏しいというハンディキャップがあったからこそ、エネルギー効率の非常に高い産業モデル、社会モデルを、いちはやく世界に向けて日本は示すことができています。「課題先進国」は「課題解決先進国」になればよいのです。
  ともあれ、課題解決へと向かう強い意思が働くことで、必要な学術成果を総動員しようというベクトルが働き、これまでバラバラだった知識が、一つにつながって、新たな知識を生んだ事例は、これまでも沢山あります。
 ところで、このような場合、研究書や論文を読みあさるだけでなく、人との出会いがしばしば決定的な意味をもつ、というのが私自身の経験則です。今日のような細分化した専門知が林立する時代には、広い知見をもった先輩の研究者たちから助言を受けたり、専門を異にする人々と自由に議論を交わすこと、つまり「耳学問」というものが、何ものにも代え難い財産となります。膨大な情報を短時間で収集し、処理し、まとめる作業のツールとして、コンピューターほど便利な機器はないので、ともすると研究者は、一人でパソコンの画面に向き合う時間が多くなってしまいます。しかし新たな学知を求める探求の旅は、決して一人旅ではありません。道先案内人の先生や、先輩たちの指導、助言、そして同僚たちとの対話があって、はじめて旅人として一本立ちができるのです。できるだけ多く、人々とふれ合い、議論をすること、これが学びの心得の第三条件です。

 そろそろまとめに入りましょう。知識爆発の時代においては、ただ広く浅く学ぼうとしても、情報の海の中におぼれてしまって、何もまとまった学問的成果を生み出せないで終わってしまう可能性が高い。したがって、皆さんはそれぞれの専門分野の最前線に身を置き、研究対象や研究視点を絞り込んで、徹底的に専門知を追求しなければならない。しかしその「一芸」が「多芸」に通じるためには、同時に、その専門知が他の知識とどのような脈絡でつながっているのか、あるいは知識体系全体の中でどのような位置にあるのか、さらには、及ぼしうる知的貢献や社会的効果などの全体像と、どのように関連しているのか、という幅広い視点を養わなければならない。そして第三に、人と直接ふれ合う機会を多くすること。以上の三条件がそろう時に、「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉がはじめて真実味を帯びるということです。
 
 この、人と人との出会いが重要だということに関連して、この場に多数おられる外国からの留学生のことに触れておきたいと思います。昨年のデータですが、大学院生の総数に外国人留学生が占める割合はすでに約一四パーセントにまで達しています。留学生の皆さんは、世界各地の多様な文化を背景にもっています。知の創造という大学の課題にとって、様々な発想が切磋琢磨しあうことはきわめて重要であり、構成員の文化的多様性は貴重な財産です。留学生の皆さんの存在が東京大学の知の営みをより豊かにすること、そして「課題解決先進国」日本にあるこの東京大学が、留学生の皆さん一人ひとりに飛躍の機会をあたえることを切望してやみません。
  最後になりますが、本日は多くのご家族やご関係の皆様にもご出席いただいています。東京大学大学院に入学ないし進学した諸君は、本日、私たち教職員とともに、知の探究の旅へと出発します。無事、目的が達成されるまで、どうか、温かくお見守り下さいますようお願いしまして、式辞の結びと致します。

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