平成18年度東京大学卒業式総長告辞

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式辞・告辞集 平成18年度東京大学卒業式総長告辞

告辞

平成19(2007)年3月23日

東京大学総長
小 宮 山  宏


 本日、東京大学を卒業する皆さんに、東京大学の教職員を代表して心よりお祝いを申し上げます。本年度、東京大学卒業生は総勢3,264名です。このうち女性の卒業生は662名、学士入学による卒業生が28名、留学生の卒業生も48名となっています。
 
  東京大学が女子学生を学部に初めて受け入れたのは、まだ東京帝国大学を名乗っていた敗戦直後の1946年のことですが、このとき実施された入学試験の合格者1,026名のうち、女性はわずか19名でした。その後、半世紀を越える歳月が経過して、女性の卒業生は、ここのところ毎年600人を超えるまでになりました。またグローバル化が進む中で、本学の国際化も進み、大学院ほどではありませんが、学部留学生の数も着実に増え続けています。さらに本日の卒業生の中には、いったん社会に出て活躍された後、学士入学をして再び大学に戻ってきた方も含まれております。卒業生中、最高年齢の方は80歳です。
  20世紀後半の社会変動の中で、大学もその影響を受け、東京大学も大きく変貌しました。卒業生の性別・年齢・国籍の多様化は、大学の変化を象徴しております。変化の激しい時代を生き抜くためには、多様であることが求められますが、このような多様化をあらゆる領域で進めていくことが、本学の活力の源泉になると、私は確信しています。 

 東京大学は、1877年に、東京開成学校と東京医学校が一緒になって発足しました。それから3つの世紀にまたがって、東京大学は、日本の近代の歴史とともに歩んでまいりました。本年は、ちょうど創立130周年にあたっています。私たちはみな日々の生活に忙しく、現在のことに目を奪われがちで、あまり歴史について考えることがありません。しかし、時に立ち止まって、自分がいま長い歴史の中でどのような位置に立っているのか、振り返ってみることも重要です。そうすることによってはじめて、これから未来に向かってどのように進んでいくのかということについて見通しを得ることができるのです。
  特に今年は130周年という節目の年にあたっていますから、2007年3月23日というこの日に、皆さんが卒業していくということの意味を、東京大学の歴史の中で考えてみるのも意義のあることでしょう。

 今回の卒業式は、この安田講堂での卒業式が復活してから17年目に当たります。卒業式は安田講堂で行うのが当たり前だと思っている皆さんが多いと思いますが、実はそうではありません。1970年代と80年代の約20年間、卒業式は安田講堂で行われていませんでした。なぜそうなったかと言いますと、1968年と1969年、ここに出席している卒業生の大多数の皆さんが生まれる遙か以前のことになりますが、東京大学は、卒業式を行うことができない状況に追い込まれたからです。このときの出来事は、それを語る人の立場に応じて、「東大紛争」と呼ばれたり「東大闘争」と呼ばれたりしますが、この重大な出来事の中で、1968年3月に安田講堂で行われるはずだった卒業式は中止されました。さらに同年7月以降は、この講堂も当時の学生諸君によって封鎖され、教職員は安田講堂のなかに立ち入ることすらできなくなりました。この状態は、翌1969年の1月まで続き、大学はついに機動隊を導入して、安田講堂の封鎖を解除したのです。この事件は日本全国の注目を集め、マスメディアが繰り返し大きく取り上げましたから、占拠した学生とこれを排除しようとした機動隊との衝突を写した映像記録を、あとからご覧になった皆さんも多いかと思います。半ば廃墟と化した安田講堂で卒業式が行われることは、それから20年間ありませんでした。この壇上に座っている先生方の多くも、安田講堂での卒業式を経験していません。
  いま皆さんが座っているこの講堂から、その時の出来事を想像することは非常に難しいと思いますが、大学の知のありかたをめぐる非常に厳しい状況が、皆さんが座っているこの同じ場所で生じたということは記憶しておいてよいと思います。 
 
  安田講堂は、安田善次郎の寄付によって、1921年に建設が始まり、関東大震災を経て1925年に完成しました。以後、安田講堂は今日に至るまで東京大学の象徴として存在し続けております。卒業式の中止と再開もその中での出来事です。ですから、いま皆さんが座っているこの安田講堂には、東京大学の歴史が凝縮されています。その中で、私たちの生きている時代がいかなるものであるかということを示す象徴的な出来事を、2つだけ紹介しておきましょう。
  第二次世界大戦の末期、戦況が厳しくなり、それまで徴兵が猶予されていた大学生のうち文科系の学生は兵士となることを余儀なくされました。学徒出陣です。1943年の11月には、この安田講堂で出陣する学生諸君のための壮行会が開かれました。当時の内田祥三(よしかず)総長が、出陣学生たちに激励の挨拶をしたあと、学生諸君は、隊列を組んでこの安田講堂前の銀杏並木を通り、正門から出て皇居まで行進しました。この安田講堂で励まされ、戦地へと向かった出陣学生の多くは、学半ばにして帰らぬ人となり、再び安田講堂に戻って卒業式を迎えることはできませんでした。いまも黄葉を繰り返す銀杏並木はこのときのことについて何も語りませんが、皆さんの先輩はこの同じ銀杏並木を歩いて戦地に赴いたのです。

 安田講堂で行われた出陣学徒の壮行会は、東京大学と戦争との関係を示す象徴的な出来事でした。しかし、この同じ安田講堂は、わが国が平和国家として敗戦後の再出発をするに当っても、きわめて重要な意味を持つ場となりました。
  1946年2月11日、敗戦後第1回目の紀元節のときのことです。戦前戦中には紀元節の式典が全国津々浦々の学校で盛大に執り行われていましたが、1946年の元旦に、天皇の人間宣言が出されたこともあって、このとき日本のほとんどの学校は従来からの紀元節の記念式典を中止しました。ところが当時の南原繁総長は、米軍の占領下にありながら日の丸の旗を堂々と正門に掲げて、この安田講堂で敗戦後第1回の紀元節を祝いました。そして「新日本文化の創造」という題の告辞を行ったのです。この告辞の中で南原総長は戦前の偏狭な国家主義を批判し、「国民は国民たると同時に世界市民として自らを形成しうる」ことを示しました。そして、「私は惧れる、わが民族の滅亡は他国の力によるに非ず、自らの無為と無力によって招来されんことを」と述べて、敗戦によって虚脱状態にあった学生たちを励まし、「平和民族として世界の文化と人道に寄与すべきだ」と激励したのです。この告辞は、安田講堂を埋め尽くした学生たちに感銘を与えただけでなく、新聞でも大きく取り上げられ、敗戦で自信喪失していた多くの日本人に勇気を与えました。

 いま安田講堂で1940年代から60年代の30年間に起こった3つの出来事に言及しましたが、この30年間はまさに激動の時代でした。それに比べると、現在は、非常に安定した時代のようにも見えます。もちろん現在も学内外に多くの課題が山積しています。しかし、以上の3つの出来事に匹敵するような大事件は、少なくともこの安田講堂を舞台にしては、この30年の間には起こっていません。
  しかし、かつての大事件のような華々しさや喧噪はないのですが、現在、静かな変化が進行しているように思われます。現在の大学、日本、そして世界は、グローバル化と呼ばれる現象のなかにあり、その影響をじわじわと受けています。経済の仕組も製造業を中心にしたものから情報やサービスを中心としたものへと大きく変わりました。家族や企業をはじめとして私たちが暮らしている社会の仕組も、30年前とはずいぶん変わっています。こうした静かな、しかし着実で鞏固な変化の中で大学を巣立っていく卒業生の皆さんに、私は、次の2つのことを期待したいと思います。

 1つは、自律分散協調系としての社会を建設し、その担い手になって欲しいということです。
  私は、これまで大学という組織は自律分散協調系であるべきだと主張してきました。自律分散協調系という概念はもともと生命体を表現するものです。例えば、人間の身体は、神経器官、運動器官、感覚器官、呼吸器官、消化器官など、様々な諸器官から成り立っています。これらの諸器官は、形態的にはそれぞれ独立しており、身体の様々な場所に分散して存在しています。それだけでなく、これらの器官は自律的に動いています。心臓と肝臓はそれぞれ別個の器官として独立して存在し、それぞれ自律的な動きをしています。ところが、それにもかかわらず、結果として、互いが協調して、生命体としての人間の生存を可能にしているのです。
  東京大学という組織も、それぞれの教員の研究室や、研究室の集合体としての研究科や研究所などから成り立っていて、しかもそれぞれが自律的であります。これは企業や役所などの組織とは異なる点です。企業や役所を構成する各ユニットは、多くの場合、上位組織の下部組織という形をとっていますから、あまり自律的だとはいえません。ところが大学を構成する各組織は、伝統的に「学問の自由」や「学部自治」が強調されてきたことからもわかるように、自律性が非常に強くなっています。したがって単に自律分散していただけでは、東京大学の大学としてのアイデンティティが保てません。ですから、身体の諸器官のような協調が重要な意味を持つようになってくるわけです。
  しかしよく考えてみると、自律分散協調系という考え方は、大学だけでなく、社会に対しても当てはまるのではないでしょうか。社会は非常に異質で多様な要素から成り立っていて、しかもそれぞれが独立して自由な動き方をします。まさに自律分散的です。ですから、社会は、企業組織や行政組織のアナロジーで考えるよりは、大学とのアナロジーで考えた方がよいのです。しかし自律分散的であるだけで、協調の要素がないと、そのシステムは瓦解してしまいます。ですから自律分散協調系として社会をとらえる、という視点が重要となってくるのです。
  それだけではありません。多様性のあるシステムの方が環境の変化には適応しやすいということを冒頭で述べましたが、自律分散的であるということはまさに多様性のあるシステムであるということです。したがって社会は、自律分散的であればあるほど環境の変化に適応することが容易であるように思われます。グローバル化のなかで、今日、日々新しい問題が生まれ、その解決を迫られています。社会が自律分散協調系であるということは、環境の目まぐるしい変化に適応するうえでの強みなのです。
  卒業生の皆さんの多くは、これから企業や官庁など大学とは異なったタイプの組織の一員となっていくことでしょう。そうした組織のなかにおける人々の行動の仕方は、大学におけるものとは異なることが多いのです。その意味で、大学におけるのとは異なる行動の仕方を身につける必要があります。しかし企業や官庁を超えた社会全体を考えた場合、それは自律分散協調系としての性格をもっていますから、そこでは、自律分散協調系としての大学において身につけた行動の仕方が大いに役立つと思われるのです。

 2つ目の点は、グローバル化した世界のなかで複合的な視点をもって欲しいということです。
  ここでいう複合的な視点の一つは、コスモポリタニズムの視点です。グローバル化しつつある世界の中では、自分が所属する共同体や民族や国家に自足するのではなく、それらを超えた地点から物事を考えていかなければなりません。世界中が、「他者を感じる力」をもつことなく、自分の小さな世界のことだけしか考えない人間ばかりになってしまうと、たいへん危険です。異質で多様なものが共生していくためには、コスモポリタニズムの高見に立った視点が必要です。
  しかし、コスモポリタニズムの視点に立つ、あるいはグローバルな視点に立つということは、ローカルな視点を捨て去ってよいということを意味しません。私たちが「今ここにいる」という厳然たる事実から逃れることはできないからです。また、グローバル化と呼ばれる現象も、私たちとは縁のないどこか遠いところで起こっているのではなくて、私たちにとって最も身近な場、ローカルな場で起こっています。ですからグローバルにこだわることと同時に、ローカルにこだわることの双方が必要になってきます。
  同様に、自分のナショナリティにこだわると同時に、自分のナショナリティを超える視点を併せもつことも肝要です。さきほど「国民は国民たると同時に世界市民として自らを形成しうる」という南原総長の言葉を引きましたが、この言葉には今日でも新鮮な響きがあります。日本人の卒業生であれば、日本人であると同時に日本人であることを超え、韓国人の卒業生であれば、韓国人であると同時に韓国人であることを超えるという複眼的な視点が、今日求められています。
  今日、複合的な視点をもつために欠かすことができないのが、リージョナリズムの視点です。グローバル化は世界を一つにしていくものであることは間違いありませんが、それと同時に、グローバル化が進む中で、リージョン、すなわち地域ということが改めて注目されるようになってきました。北アメリカではアメリカ合衆国を中心にある種のまとまりとしての地域が成立しつつありますし、ヨーロッパではEUを中心に、やはりある種のまとまりとしての地域の存在が意識されるようになっています。東京大学が存在する日本という国で考えれば、やはり東アジアというのが、ここでいうグローバル化する時代におけるリージョンであります。
  日本は東アジアの一角に位置するということから逃れることはできないのですが、大陸から海で隔てられていたこともあり、これまで、この点に関する自覚が弱かったと思います。それだけでなく、現在はいくらか改善されましたが、数年前には、近隣諸国の人びとから日本に対する敵対感情が噴き出したことがありました。これは相互にとって不幸なことです。こうしたことを再び起こさないために、狭隘なナショナリズムに陥るべきではありません。
  幸い東京大学に関して言えば、東アジアに焦点を当てた未来志向の動きが出てきています。東京大学は、2000年から、北京大学、ソウル大学、ベトナム国家大学ハノイ校と一緒に、東アジア四大学フォーラムを毎年開催してきました。これは東アジアという地域のアイデンティティを、大学というレベルで確立するための試みです。また、学生の方でも、昨年の10月に、第1回の「京論壇」が開催されました。「京論壇」というのは、東京大学と北京大学の学生の間で、共同研究の発表と対話のために開かれた集会です。両大学の学生たちが、安全保障・歴史・経済・環境について英語で率直な意見交換をし、相互認識が深まったと聞いております。このような取り組みの積み重ねは、東アジアにおける一層の協調と相互発展につながっていくでしょう。安田講堂での卒業式が復活した最初の卒業式において、当時の有馬総長は、「日本はもっとアジアの近隣諸国との交流を大切にすべきである」と述べましたが、この言葉の持つ意味が今日ますます重くなっているように思われます。
 
 告辞の冒頭で申したように、今から64年前の11月、学徒出陣する皆さんの先輩は、壮行会の後この安田講堂を出て戦地に赴き、中には戦死して二度とキャンパスの土を踏めなくなった方もおりまし
た。本日卒業式を終えて安田講堂を出られる皆さんの前途に、平和で明るい未来が待っていることを、私は心から祈ります。そして、皆さん自身が、自律分散協調系としての社会の担い手となり、グローバル化の中で複合的な視点を身につけて、平和で明るい未来を作る先頭に立ってくださることを、私は強く希望します。
  皆さんの前途に幸あれと祈りつつ、卒業式の告辞を終わることにいたします。

 

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