平成19年度学位記授与式総長告辞


式辞・告辞集 平成19年度学位記授与式総長告辞
告辞平成20(2008)年3月24日 東京大学総長
東京大学は、世界の知の頂点を目指した幅広い学術活動の中で、高度な水準の教育を提供していることを誇りとしてきました。そうした恵まれた環境の中で、皆さんは、日々勉学に邁進し、その成果の象徴として、今日めでたく学位を授与されることになったのです。これまで個々の専門分野を深く掘り下げて学んできた皆さんが、これからさらに力強い歩みを始めようとする節目にあたって、私からのアドバイスとして、「全体像をつかむ」という言葉を贈りたいと思います。 ごく卑近な例からお話ししましょう。皆さんの中には、いわゆるカー・ナビを使用している人も多いと思います。縮尺を大きくすると詳細な街路の形が読み取れ、目的とする場所に到着間近の時にはとても便利です。カー・ナビは、ほぼ機器まかせで、皆さんを目的地に案内してくれます。ただ、不案内の土地では、その目的とする場所が、たとえば大きな都市の中でどのあたりにあるのか、縮尺が大きいと分かりません。そこで、おそらく皆さんは、小さい縮尺に切り替えて、俯瞰的な地図の上で、目的とする場所の当たりをつけるでしょう。そうすると、その目的の場所が、周辺の地域とどういう位置関係にあるのか、周辺に何があるのかも理解することができます。見知らぬ土地にカー・ナビを使って出かけるときには、皆さんは、縮尺の倍率を大きくしたり小さくしたりして、目的地を読み取ろうとすることが多いはずです。知的な活動に携わる場合にも、そのように、詳細に部分を見ることと、俯瞰的に全体を見ることとの、往復を行ってもらいたいのです。 カー・ナビの場合は、あらかじめ定められたプログラムに従って、効率的に目的地にいたる経路を示し、音声で導いてくれます。その点では、大きい縮尺だけでも、決定的な不都合はありません。しかし、これから未来に向けて歩もうとする皆さんの世界は、学問の場にしても、広く社会の場にしても、あらかじめ定められたプログラムがあるわけではありません。また、だからこそ、そこに新たな発見や出会い、また、創造や工夫のチャンスというものが存在するのです。そこでは、むしろ皆さん自身がナビゲーターとなって、縮尺を大きくしたり小さくしたりしながら、自分が歩もうとする方向を見定めていかなければなりません。皆さんは、これまで大学院において、多くの場合は、対象を絞り込んだ研究、つまり、どちらかと言えば、縮尺の大きな研究を行ってきたことと思います。そこで一定の成果を収めた皆さんには、今度は小さな縮尺で、つまり「全体像をつかむ」視点での歩みも試みてもらいたいのです。 では、「全体像をつかむ」というのは、どういうことでしょう。その核心となる概念は「知の構造化」であり、また、それを実践する教育の試みが、教養学部で開始した「学術俯瞰講義」であることを、私はいろいろな機会に語ってきました。「知の構造化」とは、とりわけ20世紀において爆発的に増え、また無数の専門分野に細分化された知識を、階層的に整理して使いやすい形にすること、知識を互いに関連づけて学問の全体像を浮き彫りにすること、さらに、最先端の学問と社会における価値とを結びつけること、です。 皆さんは、「パスツールの瓶」というものをご存知でしょうか。フランスで生まれたルイ・パスツールは、19世紀を生きた人で、ロベルト・コッホとともに「近代細菌学の祖」と呼ばれています。かつて、生物は自然発生するものだと考えられていました。たとえば、コバエは、物が腐るとともにどこからともなく発生するように見えます。また、物が腐るのも、細菌など微生物によって有機物が分解される現象であるのに、栄養源さえあれば何となく起こるように見えます。パスツールの実験では、フラスコの首の部分を細長く伸ばしてS字状に折り曲げた、「パスツールの瓶」というものを用いました。この瓶を用いると、空気は出入りするのですが、チリや微生物は入りません。煮沸して殺菌した肉汁を、このフラスコ内に放置しても、コバエの発生はもちろん、腐敗もしなかったのです。この実験によって、コバエや微生物が空気中から飛んできたものであることがわかりました。 これは、空間軸ないしスケール軸からの観察ですが、同様の認識は、時間軸からの観察を通じても得られます。 人類の知は、言うまでもなく、いまお話したような時空間のみならず、文化や技術、哲学、宗教などといった、多くの視点から形成されています。とても知の全貌など把握できない、私たちは知識を持ち過ぎてしまったのかもしれない、そんな風に感じてしまうほどです。しかし、多くの知を持ったことは、もちろん人類の発展そのものであって、持ち過ぎなどということはありません。必要なのは、こうした膨大な知識の多次元空間をダイナミックに飛翔し、本質を把握する、しなやかな知性なのです。白鳥の首筋のように優美な曲線をもった「パスツールの瓶」の話は、ある意味で、こうした本質を把握する知性を象徴しているのかもしれません。 「全体像をつかむ」しなやかな知性は、狭い意味の学問の枠の中だけでなく、学問と社会とのかかわりという点からも大切なものです。 しばしば世の中でバブル経済ということが話題になりますが、世界初の経済バブルは1635年、オランダで起こりました。チューリップの球根に異常な高値がつき、その売買に狂喜乱舞した時代ということで、「チューリップ狂時代」とも呼ばれています。美しい斑入りの花を咲かせるエキゾチックなチューリップの球根が投機の対象になって、それに天文学的な金額が支払われたのです。その2年後、1637年に至って、チューリップ・バブルは、やはり世界初のバブル崩壊を引き起こし、破綻します。ただ、見落としてはならないのは、そこでウイルス操作のテクニックが、それと知らずに使われていたことです。実は、こうした美しいチューリップは、ウイルス病にかかった結果だったのです。当時の斑入りのチューリップの作り方は、ウイルスに感染してきれいな斑入りの花を咲かせる球根の一部を切り取って、別の球根に植え込むというものでした。その科学的な仕組みが分からずとも、とにかく値打ちのある品種を作り出す技術が確立していたのです。実はこの技術こそ、現代のウイルスをワクチンとして接種する方法そのものです。結果として、この経験知が新たなサイエンス上の発見につながったわけですが、それには時間が必要でした。ウイルスの実態が明らかになったのは、こうしたバブルからおよそ300年後のことです。 このような学問と社会との深いかかわりは、「全体像をつかむ」という言葉を贈ることで、私が皆さんに何を期待しているか、ということにつながってきます。それを、最後にお話しておきましょう。 皆さんのこれからの人生が希望に満ち、充実したものとなりますことを心より祈念して、告辞を終えることといたします。 |
- カテゴリナビ