平成20年度入学式(大学院)総長式辞

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式辞・告辞集 平成20年度入学式(大学院)総長式辞

平成20年度東京大学大学院入学式総長式辞

平成20年(2008年)4月11日
東京大学総長  小宮山 宏
 

 東京大学大学院に入学された皆さん、並びにご家族の方々に、東京大学の教職員を代表して、心からお祝いを申し上げます。
 今日ここにおいでの皆さんは、何かそれぞれの胸に期するところがおありのことと思います。大学院に進学するということは、大学に進学するのとは、また違った格別の重みがあります。皆さんは、学部時代に学んだ学問を基礎として、これから自分の研究をさらに掘り下げたり、新たに突破口を開くなりしたいと、意気込んでいらっしゃることでしょう。
 私たちの大学院は、世界最高水準の教育研究活動を行っている「知の創造拠点」であり、これから皆さんが大学院で過ごすことになる数年間が、知的活動を希求する者にとっては、大いなる苦しみと同時に、大いなる幸せを感じる時期になるはず、と私は確信しています。

 これから大学院で研究を始めるにあたって、皆さんに私がお願いしたいこと、それは、「追いつき型の思考」中心の研究スタイルから、「先導型(クリエイト型)の思考」への転換を、ぜひ試みてもらいたいということです。
 ここで言う「追いつき型の思考」とは、過去の例や、誰か先人の知恵を学んでそれを活用していくというものです。これに対して、「先導型の思考」とは、人類が未だ経験したことのないような問題に対して既存の方法では対処しきれないということを見極め、自ら新しいモデルをつくるというものです。

 皆さんは、今年7月に北海道で主要国首脳会議、いわゆる「洞爺湖サミット」が開催されることはご存知だろうと思います。そこでは、地球環境問題が中心議題となる予定です。
 私たちは過去において、公害によって、人の面でも環境の面でも手痛いダメージを負いました。また、今日、かつての日本と同じように急速な経済発展を目指している発展途上の国々では、大気汚染、水質や土壌の汚染などが深刻となっているケースが少なくありません。公害という課題に対して、私たちは、公害防止のための技術開発や法制度など社会的な仕組みの考案に全力で取り組むことによって、それらをかなりの程度まで克服してきた貴重な経験をもっています。また、1997年に温室効果ガス削減のために採択された、「京都議定書」のとりまとめにあたっても、大きな役割を果たしました。そして、それ以降ずっと、環境問題において「課題先進国」であり、だからこそ「課題解決先進国」たるべきであるという使命を自覚して、技術にせよ社会的な仕組みにせよ、先導的な試みに取組んできたのです。

 「課題先進国」であるがゆえに「課題解決先進国」となることができるという構図は、公害問題だけに限りません。日本は、まだどの国も解決したことのない課題を山ほど抱えています。エネルギーや資源の欠乏、ヒートアイランド現象、廃棄物処理、高齢化と少子化、都市の過密と地方の過疎、教育、公財政、農業の将来など、枚挙に暇がありません。そして、これらが日本だけの課題であると考えるのは間違いであって、遅かれ早かれ世界の多くが、このような問題を抱えることになるだろうと予測されるところです。その意味では、「課題先進国」であることによって「課題解決先進国」となりうる可能性は、どの国も持っているのです。
 これまで、社会的な課題を抱え、それをいち早く察知した国が、その課題を解決する答えを出してその後の世界のモデルとなってきた歴史の流れを、皆さんはよくご存知でしょう。皆さんは、本郷キャンパスのあちこちに点在している、本学ゆかりの碩学たちの銅像に目を留めることがあると思います。いずれも明治から大正時代にかけて活躍した教授の人たちですが、多くは欧米人です。その当時から比較的最近にいたるまで、日本の学問の少なからざる部分が、他の課題先進国で蓄積された知識や技術に期待し、なんとかそれを吸収し、それに追いつくことに力を割いてきました。そこでは、「追いつき型の思考」が大切であったのです。
 しかし、翻って考えると、今日の日本が置かれている立場は、これからの人類の地平を多くの場面で切り開くところにきています。つまり、先ほど触れた「先導型の思考」が生きてくるのです。新しい課題に対してゼロから自分でモデルをつくり、答えを出していくべく、皆さんにフロントランナーの気概を持っていただきたいと、私は願っています。

 このような「先導型の思考」に依って研究をすすめていこうとする時に、皆さんにぜひ意識しておいてもらいたいのが、「知識の構造化」という視点です。この言葉を私は繰り返しいろいろな場で語ってきていますが、そこで言わんとしていることは、とりわけ20世紀において爆発的に増え、また無数の専門分野に細分化された知識を、相互参照的に整理して使いやすい形にすること、知識を互いに関連づけて学問の全体像を浮き彫りにすること、さらに、最先端の学問と社会における価値とを結びつけること、です。
 さまざまに溢れかえる膨大な知識を「構造化」することの大切さについては、自分の研究者としてのキャリアの中で、何度も感じる機会がありました。その一つとして、私の研究分野の先人である人物の話をしておきましょう。

 私の専門分野は化学システム工学です。化学物質の作り方は昔から、苛性ソーダ、せっけん、塩酸といったように物質ごとに整理されてきました。しかし20世紀が近づく頃にはその数が増えて、収拾がつかなくなってしまう状況が生まれました。
  そのとき、「あらゆる物質は、物質に共通の操作をつなぎ合わせたプラントで作ることができる」という画期的なアイディアを思いついたのが、ジョージ・デイビス(George E. Davis)という19世紀後半に活躍したイギリス人です。水でも油でも液体輸送という操作は同じであるし、発酵液でも石油でも蒸留という操作は共通です。だから、あらゆる物質は単位となる操作の組み合わせで作れる。それならば知識は単位操作の数だけでよい。こうして化学工学が誕生したのです。彼の、” Handbook of Chemical Engineering”という著作は、その集大成です。
  私は卒業研究で反応操作の実験を行いました。直径5ミリの触媒を粉砕し小さくして用いると、サイズに逆比例して触媒性能が向上する、それが数学モデルによって記述され定量的に再現できる、このことに驚き圧倒され研究者への道を歩み始めることになりました。巨大な反応装置に供給された原料分子は、触媒粒子の間隙を流れ、触媒内部にあるナノメーター径の細孔内に拡散します。そして、細孔内壁で生成物分子に変換され、流体に戻って反応装置を流れ出ます。分子が細孔内壁に衝突する頻度は毎秒千億回。同じような現象が蒸留装置や加熱装置でも生じ、装置をつないだプラントによって原料が目的の物質へ変換される。化学プラントというこの壮大な舞台に、私は魅了されました。
  その後、化学工学の研究対象は、化学プラントからコンビナートへ、さらに化学産業以外へと拡大を続け、私自身の研究分野も、環境やエネルギー、さらには半導体製造や地球環境までへと展開してきました。これらは一見すると異なった領域のように聞こえるかもしれませんが、化学工学者である私には、半導体製造もサンゴ礁も、地球ですらも、分子が反応し移動する見慣れた風景のように映るのです。

 さきに触れた環境問題に象徴されるように、人類は今、文明持続の問題に答えを出すことを迫られています。時間は切迫し状況は複雑になり、知識は膨大で見通しはたちません。しかしそうした現状は、実は、デイビスがかつて化学産業に関して認識したものと本質的に酷似している、私にはそのように感じられます。「化学工学の父」と呼ばれるこの人物が行ったことこそ、「知識の構造化」にほかなりません。今、私たちは、これをより大きな舞台において展開する、つまり、「人類全体の知識の構造化」を行おうとする段階に至っているのです。

 「知識の構造化」を行おうとするときに大切なことは何でしょうか。もちろん、そもそも自分の専門分野の知識に対する深い理解がなければ、これを他の知識と相互に関係づけることはできません。そうした、いわば当然の学問的能力とともに、「知識の構造化」を行うために必要なのは、学問に接する姿勢としての「異質なものに対する好奇心」です。そして、「異質なもの」にも目を向けようとするときに一番手っ取り早く、また有効なのは、さまざまな分野の友人をたくさん作ることです。私は、半導体の研究をすすめている頃、いくつかの大学や企業などの若手の人たちと、時には泊りがけで議論を重ねて、新しい研究を展開したことがあります。また、その後、私が、地球温暖化や化石資源の枯渇などをテーマに、環境工学の最前線へと出て行くことが出来たのも、同じような、さまざまな分野の研究者との議論があったからです。そこでは、お互いにもっている「異質なもの」をぶつけ合うことが、友人や仲間を作っていく力となり、同時に、総合的な知の分野を開拓していく力となりました。

 さきほど化学工学の体系化を行ったデイビスの業績に触れた時に、いまや私たちは、「人類全体の知識の構造化」を目指す段階に入っているとお話しました。環境問題や高齢化問題など、世界の多くが共通の課題に直面している状況では、国境を越え、人類全体を視野に置いて課題解決に取組んでいこうとする覚悟が必要です。皆さんには、大学院で過ごす間に、さまざまな機会を捉えて、国際的な場での知識の交流を広げ、世界の人々と肩を組んで課題解決への歩みをすすめてもらいたいと思います。
 東京大学には、昨年度の統計でみると、中国からの722名、韓国からの534名をはじめ、合計99の国と地域から来た2,372名の留学生が在籍しています。この入学式の場にも、たくさんの留学生の皆さんが出席しています。また、海外の大学などとの交流協定も300件近くにのぼります。皆さんが学ぶことになる私たちの大学院は、ただ知識を学ぶというだけではなく、異質の共同体や文化との交流あるいは衝突を日常的に経験する場であり、発想や思考の体系の再編成と改訂作業に日々さらされる場でもあります。それは、日本人である学生の皆さんにとっても、また世界各地からの留学生の皆さんにとっても、貴重な経験の機会になることと思います。
 私たちの大学の、いわば憲法というべき「東京大学憲章」は、その前文で、東京大学にとって構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことに触れています。異質な他者との出会いを求め、その異質性を感じ取る中で、大学の新しい知的伝統が日々生み出されていくはずです。そのような刺激的な環境の中で、皆さんが、国境を越えて友人となり、互いに切磋琢磨し合うことを期待しています。

 最後に、「先導型の思考」に依って研究をすすめていく上での大切な視点を、もう一つお話しておきたいと思います。それは、知識のもつ「公共性」を考える機会をもってもらいたいということです。
 知識や研究が「公共性」を持つ、これは、かつては私たち大学人にとって当たり前のことでした。皆さんの多くも、そのように思っているかもしれません。そうであればこそ、大学における教育や研究に多くの投資が行われる一方で、大学に自治が広く認められてきたのです。ただ、私は、「知識の公共性」が自明であるという感覚が、最近揺らいでいるような危惧も覚えます。
 もともと学問研究は、出発点においては、公共的な関心というよりは個人的な好奇心によって動機づけられる部分が大きいものです。また、研究テーマを掘り下げていくにつれ、そのテーマ自体の面白さにのめり込むことは、ごく自然なことですし、研究者に必要なことでもあります。ただ、一つには、さきほども触れた、知識の細分化という現代的状況が、また、いま一つには、研究成果をめぐる激しい競争環境が、「知識の公共性」という社会的期待に対する大学人の意識を弱めている場面があるのではないかと恐れるのです。
 しかも、厄介なことに、現代では、「公共性」という大きな物語は、その像がぼやけてきているように見えます。たとえば、国家の公共性は市場原理によって突き動かされていますし、新聞や放送の公共性は、読者や視聴者の不信とインターネットの発展によって揺さぶられています。こうした中で、大学の公共性、そこで生み出される知識の公共性の姿を思い描くことが、しばしば難しくなっているようにも感じられます。
 これは、現代が、人類が未だ経験したことのない多くの課題に取り囲まれている、といった状況と関係しているのかもしれません。「追いつき型の思考」が全盛の時代は、知識と公共性との関係がはっきりしていた時代でした。何が公共性か明確であり、そのために必要とされる知識も明確でした。そこには、すでにモデルが存在していました。しかし、現代は異なります。そのために、「先導型の思考」に依る時には、「知識の公共性」ということについて、改めて意識を研ぎ澄ましておく必要が生まれるのです。
 興味深いことは、現代において、社会のさまざまな場面で、公共性が指し示す内容があいまいになっている一方、そのあるべき内容をめぐって多くの人々が議論して考えていくプロセスが大切にされる傾向が見られることです。つまり、「参加型」になってきているのです。したがって、「知識の公共性」という課題を考える場合にも、他の学問分野とのかかわりや社会とのかかわりの中で、多くの人々との議論を通じて取組んでいくプロセスが重要になります。
 たとえば、いま、東京大学が、市民、自治体、企業と手を携えて、柏の地で試みている「国際キャンパスタウン構想」という社会実験は、そうしたプロセスの実験の場ともなるでしょう。そのコンセプトは、「世界の知が、社会の参加を得て、キャンパスと街で実験を行いつつ、21世紀の社会モデルを創造する空間」です。また、いま地球温暖化の一因としてCO2の排出規制が社会的に大きな課題となる中で、東京大学は、大学の持てる知恵と知識を活用して、キャンパス全体で、2012年までにCO2排出量を15%削減します。そして、その間に2030年までには50%減らすためのアジェンダを作ろうとしています。このことも、「公共性」に対する、大学の新しいかかわり方の一端を象徴するものになると考えています。

 今日、たしかに私たちを取巻く課題は多く、また複雑になっています。それだけに、課題に取組む研究もやりがいがあるということです。私がお話しした、「知識の構造化」や「知識の公共性」といった視点を折に触れ意識しながら、ぜひ、知の新たな創造に挑戦して下さい。学問の先輩として、また学問の仲間として、この厳しくも魅惑に満ちた世界を自らの力で切り開こうとしている皆さんに、心からのエールを送りつつ、式辞を終えることといたします。

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