平成20年度入学式(学部)総長式辞

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式辞・告辞集  平成20年度入学式(学部)総長式辞

平成20年度東京大学学部入学式総長式辞

平成20年(2008年)4月11日
東京大学総長  小宮山 宏

 東京大学に入学された皆さんに、東京大学の教職員を代表して、心からお祝いを申し上げます。皆さんが、今日から東京大学で、実り豊かな学生生活を送られることを心より願っております。

 本日、皆さんに、東京大学憲章と東京大学アクションプランをお渡ししています。東京大学憲章は、長期的視野に立って、大学の在り方と学術経営の根本を定めたもので、いわば大学の憲法に当たる文書です。その前文を見ていただくと、東京大学にとって、「構成員の多様性」が本質的に重要な意味をもつことに触れられています。
  本日この入学式に集う新入生は、合計3,163名ですが、このうち女性の比率は18.8%、外国人は99名で比率は3.1%となっています。まだまだ少ないとはいえ、女性や外国人の割合の面でも、東京大学の学生はますます多様性を増してきています。のみならず、東京大学には、その思考や知識においても、また行動においても、多彩な才能をもった多くの皆さんが入学してきています。こうした多様性のなかからこそ、豊かな教養と新しい知が生み出されるものと信じています。

 東京大学の多様な成員が一堂に会する機会は、そう多くはありません。卒業式は、文系と理系を分けて行っていますので、同一年度の入学者が一つの場所に集まるのは、この入学式が最初にして最後です。この唯一の特別の機会に、私は、この大学で皆さんが過ごすにあたって、もっていただきたい心構え、また、そのために東京大学という場がもつ意味について、お話ししておきたいと思います。

 皆さんに憲章とともにお渡しした東京大学アクションプランは、私の総長任期中、つまり、2005年度から2008年度の間にぜひ実現したいと考えている計画をまとめたものです。アクションプランの副題には、「時代の先頭に立つ大学 世界の知の頂点を目指して」と記されています。アクションプランで述べていることは、私がどんなに大きな掛け声をかけても、また、私一人だけで走っても、実現できるものではありません。東京大学に所属する教職員と、そして学生とが手を携えて、この大学をよりよい教育と研究の場にしようと決意し、行動してはじめて実現できるものです。私は今日、皆さんを、アクションプランをともに実現していく「仲間」として、東京大学に迎え入れたいと思います。

 そのような「仲間」である皆さんへの最初のメッセージとして、これからの学生生活を通してぜひ心に留めておいていただきたいことを、お話しておきます。

 現代は不確実な時代であり、過去の成功例や常識が必ずしも通用しない時代です。社会的には、情報環境の変化などとともに急速に進んでいるグローバル化の波の中で、これまでの制度が大きく変わりつつあります。また、今私たちが置かれている変化の先に、どのような社会がありうるのかを構想するために、過去の状況を単純に参考にし、そこから学ぶだけではますます不十分になっています。自然環境も大きく変化する可能性があり、それは社会的な側面にも影響を与えています。
  この21世紀を、私たちは、過去の権威に頼ったり、明治時代のように欧米諸国に頼ったりするのではなく、自ら先導していく必要があります。日本には、時代の先頭に立ち、21世紀をリードしていくに適した条件が存在します。それは、日本が多くの問題を抱えてきた国、いわば「課題先進国」だからこそ、このように言えるのです。すなわち、日本の社会で山積みになった問題を解決しようとして、社会的な仕組みが整備され、技術が発達し、人々の意識が変わり、地球環境問題などへの取組みがすすんでいるということです。言い換えれば、過去の成功例や常識からではなく、過去の問題と失敗から学ぶということです。

 時代の先頭に立つにあたっては、いくつもの行き方があるでしょう。私はここで、地球環境問題をテーマに、二つの事例を取りあげたいと思います。第一は、巨視的な行き方、大きな物語の構想、鳥の目で俯瞰的にものをみること、です。第二は、微視的な行き方、小さな物語、草木の声に耳を澄ませること、です。

 皆さんもご存知のように、今日、地球環境問題は世界的に大きな話題となっています。人類が化石燃料を使って工業文明を急速に発達させはじめたのは19世紀後半からのことです。これまでにも石炭を燃やすことで生じる大気汚染や、石油資源の枯渇についてはたびたび論じられてきましたが、豊かな文明が排出する二酸化炭素が地球温暖化を招くことがはっきりした今日、地球環境問題は、国際政治・企業活動から私たちの日常生活に至るまで、幅広い領域で現実の課題として重大性を増してきました。
  こうした背景もあり、私自身、ハイブリッドカーを使っているのですが、この領域で日本の自動車メーカーは世界の先端を走っています。今や、ハイブリッドカー、ディーゼルの改善、プラグイン・ハイブリッドカー、電気自動車など、世界的にエコ・カーの開発が進んでおり、こうした中で、これまでのところ、日本は一歩先を進んできたのです。もちろん、車の排気ガスを削減するだけで地球温暖化が収まるわけではありません。世界に先駆け優れた技術群を生み出している象徴的な事例であるということができるでしょう。
  私の専門は、もともと化学システム工学で、半導体の薄膜をつくる化学プロセスの研究をしていました。その後、研究を通した様々な出会いのおかげもあり、地球環境問題に対して、おもにエネルギーに焦点を当てて取り組み、今では地球環境工学が専門となっています。そうした私からみても、環境にやさしい技術の領域で、日本が進めてきた技術開発には目を見張らせるものがあります。
  なぜ、これが可能になったのでしょう。もちろん、狭い国土、狭い道に合った小さな車を生産する必要があったこと、人口密度の高い土地で公害対策などの必要があったこと、国際的な自動車販売競争の中で独自のカラーを出す必要があったこと、などの要因もあります。しかしそれ以上に、化石資源をほとんどもたない国土で、今後も自動車産業の豊かな発展と環境の調和を考えなければ、日本の経済社会に未来はないという危機感、それを鳥瞰するマクロな視点があったからこそ、そうした技術開発が可能であったのだと言えます。

 巨大な産業から、目を身近な生活に移してみましょう。生物多様性を守り、豊かな生態系づくりを目指した里山保全運動、学校ビオトープ運動など、身近な自然環境を守ろうとして、市民参加型、草の根的な活動が、日本をはじめ世界各地に普及定着しつつあります。
  とくに国土が狭い日本では、列島に稲作を中心とした農耕文明がゆっくりと浸透してきて以来、人が適度に管理をしながら多様な生態系を生み出してきた歴史があります。その象徴が里山と呼ばれる自然です。里山のような身近で、規模の小さい自然環境を保全したり復興したりする動きがあちこちで立ち上がり、ネットワーク化されてきていることは、日本の環境保護運動の一つの特色だといえます。
  東京大学でもこうした草の根の環境改善はあちこちで進められています。例えば、この一年の間、創立130周年記念事業の一つとしてすすめられてきた「知のプロムナード」プロジェクトでは、東京大学にある本郷、駒場、柏などのキャンパスの豊かな自然環境を活かしつつ、学生や教職員がくつろげる、比較的小さなパブリック空間を130カ所整備しようとしています。また、皆さんの先輩である学生たちが主体となって、本郷キャンパスにある三四郎池のランドスケイプをデザインするなど、大学の環境改善運動に取組む自発的な動きが高まっているのも最近の特徴です。

 近年、サステイナブルという言葉が人口に膾炙してきています。これは、日本語で「持続可能性」と訳され、私たちの文明社会が地球環境と調和しつつ、長期的に発展していくためのスタイルを指しています。サステイナブルという言葉は、たいていの場合、国家とか地球といったマクロなレベルで論じられることが多いのですが、しかし、同時に、地に足のついた、目で見て、手で触れられるようなミクロなレベルでの実践も重要であると考えています。
 私自身はエネルギー工学の専門家として、マクロな視点から地球環境問題を研究してきましたが、現在は東京大学の総長として、どちらかというとミクロな視点からも、大学を拠点にしたサステイナブルな地域社会の実現を目指しています。一つは、柏キャンパスで、住みやすい未来都市「柏の葉国際キャンパスタウン」を作り出すための実験を進めています。それは、大学と市民、自治体、企業がともに手を携えた、大きな社会実験です。もう一つ、実は東京大学は、東京都の中で一事業体としては最大のCO2の排出源です。そこで、先鞭をつけるべく、大学の主なキャンパス全体で、2012年までにCO2排出量を15%減らし、その間に2030年までには50%減らすためのアジェンダを作ることを、この機会に約束しておきたいと思います。

 これまでお話したことから、私たちにとって重要な、三つのことを学ぶことができるはずです。一言で言えば、「草木の声を聞き、鳥の眼で見て、未来人の志を持て!」ということです。

 第一の、「草木の声を聞き」というのは、他者を感じる力(sympathy)です。
 過去に公害で苦しんだ人や地域を振り返って、その苦しみを理解しようとし、課題が何かを明らかにすること。今を生きる人々にも、これから生まれ来る人々に対しても望ましい社会のあり方を構想していくこと。身近な自然のあり方に目を向け、日常生活をよくしていこうという感受性。こうしたことは、詰め込まれた知識で、頭だけで考えるのではなく、身体を動かし、経験のなかで深く学ぶことから培われます。実践を通すことで、他者や世界を感じる力が、身につくのです。
  第二の、「鳥の眼で見て」は、本質を捉える知(insight)に通ずるものです。
  マクロに、かつ深くものを見て、地球環境の行方を見通した場合に何が重要か。そのために何をすべきか。これから私たちは、一国の論理に閉じこもったり、限られた時代の生活スタイルを前提にした、近視眼的で独りよがりな立場を取るのではなく、鳥瞰的に、広く世界を見渡し、何が大切で本質かを見きわめる鑑識眼を培わなければなりません。
  第三の、「未来人の志を持て」は、先頭に立つ勇気(ambition)を意味します。
  草木の声に耳を澄まし、広くものを見る目を養ったうえで、先頭に立って意思決定をおこなう、いざとなれば責任を取る、という勇気を持つことです。国や地域を越え、来るべき時代に向けた「未来人」として、人類的、地球的なビジョンを掲げ、グローバルに発信していくことが求められます。これまでの常識や過去の成功例にとらわれすぎないで下さい。フランスの詩人ポール・ヴァレリーは、「青春とは、約束事がよくわからぬ時期、よくわかってはならぬ時期である」と、高らかに宣言していますが、青春のその属性を、大いに活用して下さい。

 ここで述べてきた、他者を感じる力、本質を捉える知、先頭に立つ勇気を涵養するために、東京大学が皆さんに提供するものは何でしょうか。それは何よりも、総合大学、すなわちユニバーシティとしての多様性と総合性です。ユニバーシティという言葉は、全人類、世界、宇宙を表す、ユニバースという言葉に通じています。多様な部分が有機的に統合した全体としてのユニバーシティ。東京大学は、世界に誇りうるユニバーシティとして、すぐれた環境を皆さんに提供します。世界的に有名な大学の中にも、あるいは自然科学系の学問編成に偏ったり、あるいは工学系の学部がなかったり、というものもあります。これらと比べて、東京大学は、自然科学から人文科学、社会科学に至るまで、幅広い学問分野に対応した学部組織を、ユニバースのように持っています。
 そこでは、本郷、駒場、柏という三つの主要キャンパスが、最先端の研究、先端の研究と有機的に結びついた教養教育、未踏の領域に対する実験的研究、を進めています。総合大学としての強みを全面的に発揮するために、新しい教養教育の展開をしており、その一環として、学術俯瞰講義という分野横断的な講義も行っています。
  また、全国に研究施設を持ち、世界に130を越える研究拠点を有しています。さらに本格的な総合研究博物館があり、大規模な図書館や演習林も大学の施設です。

 東京大学は、このような組織の厚みと広がり、教職員の活動、さらに大学が社会と連携してすすめる諸活動を通して、皆さんに世界トップレベルの、本当の意味での知のサロンと知の実験室を提供することを約束します。東京大学が皆さんに提供するものは、答えのある問題を他人より早く小奇麗に解く力ではありません。他の誰かに評価してもらえるような、確立し、答えのわかった知識でもありません。不確定な時代の先頭を進む勇気と、その勇気がひとりよがりに終わらないために必要な、本当の意味で滋養になる知、そしてそれに伴う倫理です。皆さんには、こうした恵まれた環境を最大限に活かし、自立した個人として、豊かに学び、愉快に友だちと交流し、新しい21世紀の地球規模の視野を持った未来人として育っていってほしいと願っています。

 最後に、本日おいでいただいているご家族の皆様に、一言ご挨拶を申し上げます。
 皆様のお子さんは、本日東京大学に入学いたしました。幼い頃からの思い出やつらい受験の日々を思い返して、感慨もひとしおではないかと思います。心からお祝いを申し上げます。入学式は皆様のお子さんにとって、親離れをして独立し、自らの道を切り開いていく新たな旅立ちの日です。それは、高校生までとは大きくちがい、厳しくも楽しい仲間や教職員に支えられ、多様で豊かな知の森や海原を越えていく旅となるはずです。どうかこれからは、お子さんをそうした自立した個人として、暖かく見守り、励ましてくださるようお願いいたしまして、式辞の結びとさせていただきます。

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