平成20年度学位記授与式総長告辞

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式辞・告辞集 平成20年度学位記授与式総長告辞

平成20年度学位記授与式総長告辞

平成21(2009)年 3月23日
東京大学総長  小宮山 宏
 

 本日、東京大学から博士、修士あるいは専門職の学位を授与された皆さん、おめでとうございます。東京大学の教職員を代表して、心よりお祝いの言葉をお送りします。
 今日は、私にとっても特別な日です。4年間の総長の職務がまさに終わろうとする今、めでたく学位を授与された皆さんを送り出す、最後の告辞を述べる時となりました。
 私は今から40数年前に、化学工学を勉強して研究者の道を歩み始めました。そして20年程前からは、地球環境に強い関心を抱くようになり、ごく最近のことですが、サステイナビリティ・サイエンスという新しい学問領域を立ち上げました。
 本日は、この地球環境問題の話題を中心にして、私自身のこれまでの研究で得られた知見、思い、経験を語りつつ、皆さんへの期待、エールをお送りし、餞の言葉に代えたいと思います。
 本日送り出す修了生は4,047名です。この中で、留学生の方々も年々増大しており、博士課程においては12パーセントに達しました。皆さんが今後活動する領域、職業、立場などは、それぞれ異なるでしょうが、いずれにしても、この地球社会運命共同体の未来を切り開く、かけがえのない一員であることを、まず強調したいと思います。
 さて、20世紀において人類社会は未曾有の発展と膨張をとげました。19世紀と比較すれば人口は3.5倍となり、穀物生産は7.5倍、エネルギーの消費量も実に20倍になっています。しかし、こうしためざましい発展と引きかえに、私たちは大きな「負のレガシー」を背負うことにもなりました。もしこのままの推移で人類社会が膨張を続ければ、環境と資源の問題に限っても、石油資源の枯渇、地球の温暖化、廃棄物の大量発生の三重苦という、人類存亡に関わる重大な局面を迎えるであろうことは、ほぼ確実な状況にあります。
 このような難局にある今こそ、人類社会は一致団結して、持続可能な地球環境を確保するための技術開発、社会システム、経済システム、あるいは国際協調の体制を実現しなければなりません。今ほど、知の創造と継承・発展に携わる私たち研究者が、人類の未来に重大な責務を負う時代は、未だかつてありませんでした。21世紀は、人類の文明がはたして存続可能なのかどうかという、サステイナビリティが問われる世紀です。
 かつてレイチェル・カーソンは『沈黙の春』を出版して、DDTやパラチオンなど微量の化学物質が、いかに環境を破壊しているかを問題にしました。1962年のことです。そしてその10年後にはローマクラブが『成長の限界』を発表して、「現在の人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境悪化により、100年以内に人類の成長は限界に達する」という警鐘を鳴らしました。しかし私たちは、もはや未来の予測や警鐘にとどまっているわけにはいきません。地球環境を持続可能なものにして、次世代へと引き継いでいくための、ポジティブな未来社会の設計図を示すことが必須です。
  そのように考えた私は、自らフロントランナーとして、この一大事業に先鞭をつけようと一念発起し、1999年に『地球持続の技術』を出版しました。大方の予想で世界人口が現在の1.5倍、つまり90億人となり、単純計算でエネルギー消費量が現在の3倍になると予想されるのが2050年です。その2050年までに、私達は何をなすべきか、何をなしうるか、という具体的なアクションプランを、その本の中で明確に示し、これを「ビジョン2050」と命名しました。今はその詳細に立ち入りませんが、ビジョン2050の結論はこうです。― (1)物質循環システムの構築、(2)エネルギー効率を現在の3倍に引き上げる、(3)太陽電池などの非化石エネルギーの利用を現在の2倍に引き上げる、この3つを実現することで、持続可能な社会を作り上げることは十分可能だ、というのが結論です。
 ところで、そのような未来ビジョンの策定を通じて、またビジョン策定後の10年の事態の経緯を見て、あらためて次の2点がポイントになる、と再認識しました。
  一つ目は、「課題先進国」である日本が、「課題解決先進国」として世界をリードしていくことが、今後ますます重要になるだろう、ということ。
  二つ目は、20世紀において爆発的に増大した知識を、問題解決に向けて再統合しなければならないという、いわゆる「知の構造化」の問題です。
  この2点は、地球社会の未来を背負う皆さんに、本日、強く訴えたいところですので、少し詳しくお話しします。
  第一に、課題先進国である日本が、課題解決先進国として世界をさらにリードしていかなければならない、という点です。
 日本は、世界有数の「課題先進国」です。それは、日本が第二次世界大戦後のほぼゼロの状態から立ち直り、急激な経済発展をとげ、1968年にはすでにGDPでアメリカに次ぐ世界第2位となる一方で、深刻な公害、環境汚染を招いたということに象徴されています。私が子供だった頃は、空が工場の煙で曇っているのは日本経済がうまく成長している証だ、と小学校で習いました。しかし、ふと気がついてみると、空は灰色で、光化学スモッグが起こり、川は汚れて異臭を放ち、海もすっかり汚れてしまいました。しかしその後、徹底的に汚染物質の排出を規制する努力が、国レベル、自治体レベル、住民レベル、産業界レベルでなされ、その結果、ふたたびきれいな空と海を取り戻すことができました。したがって日本は、環境汚染という課題が目に見える形でいち早く顕在化したからこそ、その課題解決の必要に迫られ、見事、問題をクリアできたことになります。
 深刻な大気汚染の解決にむけての努力も、他の先進諸国と比べて、日本は一歩も二歩もリードしてきました。たとえば火力発電に際しては、イオウ酸化物が排出され、大気汚染の大きな原因となるのですが、そのイオウ酸化物の排出量を国際的に比較すると、2002年の時点で、日本はアメリカの20分の1、ヨーロッパの中でクリーン化が最も進んでいるドイツと比べても3.5分の1です。日本は圧倒的にクリーンな火力発電の方式を世界に先駆けて導入したということが、数字から明確に読みとれます。
 このように日本は、経済発展にともなう様々な課題が、世界に先駆ける形で顕在化し、その意味で「課題先進国」になりました。しかし、だからこそ、その課題克服の必要に迫られ、結果として、環境を汚さない産業システムの構築を、世界に先んじて行う「課題解決先進国」に変貌する道が開けてきた、ということができるでしょう。
 今お話したのは、汚染した環境をもとにもどすという、マイナスをゼロに近づける形の、ややネガティブな方向の事例です。勿論、このような課題は、他の先進諸国、あるいは今、発展途上にある多くの国々でも、現に、あるいは近い将来、深刻な問題になり、その課題解決に向けて日本が一つのモデルを提示している、という点で、立派な課題解決先進国になっているのですが、もっと積極的な意味で、地球資源について、日本が世界をリードする、顕著な事例がいくつも見られます。例えば、日本の企業による、海水の淡水化技術がそうした一例でしょう。
  海水淡水化の方法の一つに、海水に圧力を加えて濾過膜を通して淡水を漉し出す、「逆浸透法」があります。その実用化に際しては、濾過膜の性能をいかに高め、しかも生産コストをいかに押さえるかが、従来、大きな問題となっていました。
  水槽をセロファンのような半透膜で仕切り、一方に海水、反対側に真水を入れると、真水が海水側に浸み込みます。24気圧の浸み込む力、すなわち浸透圧がかかるからです。逆に、海水側に24気圧以上の圧力をかけると、今度は海水側から真水側に水が浸み出していきます。その時に間にある膜が、塩分などの不純物を遮断し、水分子のみを通過させると、真水が得られる、というのが逆浸透法のメカニズムです。しかしそのためには、濾過膜に、電子顕微鏡でも見えないような小さな穴をあけて水分子のみを通過させ、しかもできる限り24気圧に近い圧力で漉し出されていくような膜を作る、きわめて高度な技術力が求められます。その難問を見事クリアしたのが、日本のメーカーであり、深刻な水不足に苦しむ中東や北アフリカを中心に、この淡水化ビジネスは日本が大きなシェアを獲得しております。
  21世紀は、石油よりも、むしろ水をめぐる熾烈な争いになるとも予測されるなか、広大無辺の海洋から、大量の淡水を、比較的安価で、エネルギー効率よく獲得できる道筋を切り開いたことで、課題解決先進国としての日本の役割はさらに大きく広がりました。
 もっとも、日本は明治以来、欧米先進国に追いつくことに必死だったあまり、もうすでにこうしたさまざまな点で、世界のトップランナーのレベルに達しているにもかかわらず、欧米の優れた点に見習おう、というキャッチアップの精神から未だに抜け切れないでいるのは、まことに残念なことです。エネルギー資源が乏しいために、少しでもエネルギー効率のよい物づくりシステムに移行せざるを得ず、また、国土が狭く、生活空間に悪影響が及びやすいために、環境を汚染しないような産業システムを作らざるを得なかった、このような、たゆまぬ課題克服のための努力の歴史を、私たちはもっと誇りに思わなければなりません。さらに、そのようなスタイルこそが、これからの地球社会の模範になるのだ、という自覚を深めるべきでしょう。
  以上が、本日の告辞で、是非とも皆さんに訴えたい第一の点です。少し日本を中心にした言い方になってしまったかもしれませんが、留学生の方々には、このような課題解決先進国としての日本の重要性に今後も目を注ぎ、地球環境持続のための国際連携ネットワークの強化に向けて、ともに力を合わせていければと強く願います。
 もう一つ、皆さんにお話したいのは、知の構造化と連携ネットワークの必要性です。
 20世紀は、知識がおびただしく膨張した時代でもあります。専門領域を分化し、たえず先端化していくサイエンスの各分野では、次々と専門知が生み出されていきます。そしてこのような専門分化の傾向が著しく進んだ結果、自分が生み出す専門知が、出発点となっていたはずの現実世界と、どのような関係にあるのか、あるいは、大きな知識体系や広いコンテキストの中で、どのような意味を持つのか、これが見えにくくなっている、そのような状況に私たちはおかれています。いわゆる蛸壺化の弊害です。しかしサイエンスは元来、専門に分化していく内在的方向性があります。先ほどの海水淡水化における半透膜の開発にしても、まさに限定された専門知の世界での最先端の努力のたまものです。
 しかし、ただ狭い専門知の世界にとどまっていればよい、ということではありません。全体像の中での位置付けができない専門知は、バラバラになったジグソーパズルのピースであり、知の断片にすぎません。他の領域の人たちから見れば、一体、どのような研究を、どのような目的で行なっているのか、すっかり見えなくなってしまいます。したがって、「知識の構造化」は絶対に必要です。
 知識の構造化はコンピューターが勝手に行なってくれる、人間がする必要はない、グーグルがあるではないか、ヤフーがあるではないか、それらが勝手に知識を構造化してくれるはずだと、そう考える人があるかもしれません。しかしそれは誤っています。本来、コンピューターは、自ら目的に向けて知を統合するものではありません。それを行なうのは人間一人一人の頭なのです。
 私たちは自らが頭を使って、知識の構造化を行なわなければなりません。その際に、「本質を見抜く力」はきわめて重要です。しかし、その「本質を見抜く力」とは、一体何なのでしょうか。シンプルな具体例をひとつだけ紹介しましょう。
 乾電池に豆電球を一つつなぐと、豆電球が点灯します。今度はその電池に、豆電球をもう一つ並列につなぎたすと、豆電球の明るさはどうなるでしょうか。多くの人は、並列だから明るさは変わらない、そう答えるでしょう。実験すれば分かることですが、二つを並列につないだときのほうが、明らかに豆電球は暗くなります。しかし、1.5ボルトの電池に豆電球を一つつないでも、並列に二つつないでも、明るさは同じだと、学校で習いました。私達は、嘘を習ったのでしょうか。あるいは、所詮、理論と現実は一致しないものだ、と割り切るべきなのでしょうか。いずれも違います。
 なぜ実験では暗くなるのか、その理由を見究めることができれば、問題は氷解します。
 理由は、豆電球をつなぐと電池の電圧が変わるからです。一つつなぐと普通の電池と豆電球の組み合わせであれば、1.43ボルト程度に下がり、二つつなぐと、1.37ボルトほどにさらに下がります。並列に二つつないでも、明るさは同じである、という理論は、電池の電圧がいずれも1.5ボルトである、という前提の上に成り立っているのであり、現実には、その前提が成り立っていなかったのです。つまり、理論が誤っているのではなく、理論を現実に適応する仕方に誤りがあったのだ、と見究めることが、この事例の場合の「本質を見抜く力」になります。
 しかし知識の構造化は、個人的な知的営みだけで成し遂げることはできません。私たちの前に茫漠と広がる知識と情報の大海原、その全体像を把握できている人は、一人としていません。どれほど有能な人でも、それは不可能です。
 したがって、専門を異にする数多くの研究者たちと活発に議論して、先端化した専門知相互の連接を図り、より大きな知識の地図へと構造化していく必要があります。一人の人間は言うに及ばず、ひとつの研究機関が総力をあげて取り組んだとしても、たとえばエネルギー環境の次世代モデルを作れるものではありません。21世紀は本質的にネットワークの時代なのです。そして、このネットワーク作りは、国の壁を越えた、全地球的な視点でなされなければなりません。その意味では、昨年7月、洞爺湖で開催されたG8首脳会議に合わせる形で、史上初の「G8大学サミット」を開催し、27大学の代表が、「札幌サステイナビリティ宣言」を採択したことは、世界の大学が学術国際協調の体制へと向かう、新たな時代の幕開けを告げる画期的な出来事でしょう。
 しかし、ここで特に強調したいのは、このような議論の輪、ネットワークの広がりを、大学間にとどめてはいけない、ということです。先ほど電池と豆電球の事例でもお話しましたが、理論あるいはモデルと、現実に見られる現象との間には、しばしば不一致が生じます。そしてこの不一致の発見こそが、より的確な知の地平を開いてくれると同時に、より的確な現実への対応を可能にしてくれます。大学というコミュニティーは、基本的に、ものごとを基礎から、じっくりと理論的に考える人々の集団であり、またそのような研究者マインドを、時代を越え、未来社会に向けて守り、育て、発展させることに、大学固有のミッションがあります。しかしながら、このような知のコミュニティーが、課題解決に向けて真の力を発揮するためには、知が適用され、試される場となる一般社会との連携を、今後ますます深めていかなければなりません。大学と社会との、適正な連係プレーの確立が、時代の要請なのです。
 修了生の皆さんが東京大学で行った知の冒険は、今日の日をもって、一つの区切りを迎えます。四月からは新たな船出です。歩みゆく道はさまざまでしょう。しかしどうか忘れないで下さい。東京大学で学んだことが、真の意味で試されるのは、これからです。これまで学んだ理論、知識、情報と、これから直面する現実、実態とのズレをどうか恐れずに、そこからさらに知の力を研いて下さい。そして、この点はこうしたほうがいいのではないですかと、東京大学にフィードバックして下さい。東京大学は皆さんからの励まし、支援、助言を心よりお待ちしています。
 科学技術の発展は、世界を狭くしました。自然に対する人間の支配力が増大したことで、地球の有限性が露わになりました。それと反比例するかのように、知識の世界は、ひたすら広がり続け、今や知識の総体を人間はコントロールしがたくなってきました。しかし私たちは、一人一人が、自らの知のナビゲーターをヴァージョンアップしつつ、さまざまな意味での知識のネットワークの絆を深めて、この困難な時代を乗り越えるための知の力を取り戻そうではありませんか。このことを最後に強調して、本日の告辞を締めくくりたいと思います。どうもありがとうございました。

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