平成20年度卒業式総長告辞

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式辞・告辞集 平成20年度卒業式総長告辞

平成20年度卒業式総長告辞

平成21(2009)年 3月24日
東京大学総長  小宮山 宏

 皆さん、ご卒業おめでとう。
 皆さんの大多数の方は、4年前の4月に、東京大学に入学しました。日本武道館で行なわれた入学式で私は式辞を述べましたが、それは、その年に総長に就任したばかりの私にとって、総長として行なう最初の大きな仕事でした。あれから4年がたち、まもなく任期を満了する私にとって、今日の告辞は、総長として行う最後の大きな仕事になります。つまり、学生としての皆さんの4年間の歩みと、総長としての私の歩みは、ぴたりと重なっているわけです。それだけに、皆さんを送る今日の卒業式は、私にとっても格別に感慨深いものがあります。
  4年前の入学式で、私は皆さんにある呼びかけを行ないました。それは、東京大学で学ぶ中で、「本質を捉える知」と「他者を感じる力」と「先頭に立つ勇気」を身に付けて欲しいという呼びかけです。覚えておられるでしょうか?私は、東京大学で学び、教え、研究した私自身の体験を通して、「本質を捉える知」と「他者を感じる力」と「先頭に立つ勇気」の3つこそが、東京大学の教育と研究を、これまで支えてきた核心的な価値であり、かつ、東京大学がこれから世界一の大学を目指すうえで不可欠の要素である、そう考えました。そこで、総長就任直後の入学式で、これら3つの価値を身に付けて欲しいと、皆さんに呼びかけ、同時に、皆さんがこれらを身に付けることを可能にする教育環境の整備を、総長が取り組むべき最重要課題として自らに課したのです。
 あれから4年の歳月が流れました。その間、皆さんも私も、立場こそ違え、東京大学という共通の場でそれぞれ精一杯活動してきました。この4年間に私が行ってきた取り組みを振り返りつつ、皆さんに餞の言葉を述べることにいたします。

 東京大学は、きわめて規模の大きい、しかも多様性に富む大学です。10の学部、15の大学院研究科・教育部、11の研究所、18の全学センターがあり、約5000人の教員がいて、教育研究活動を展開しています。皆さんは前期課程の2年間を教養学部で過ごし、後期課程の2年間を10ある学部のいずれかで過ごしましたが、4年間を通じて、何人の先生と知り合ったでしょうか?どれだけの講義を聴講したでしょうか?皆さんが体験した東京大学は、この巨大で多様性に富む東京大学のほんの一部、ほんの一面に過ぎません。
 学生だけではありません。私も含めて、教職員の誰一人として、この東京大学を隅々まで知る人はおりません。総長になったとき、私が最初に直面した課題は、この巨大で多様な東京大学に対して、総長として如何なる姿勢で向かい合うべきかという問題でした。ご承知のように、東京大学は2004年に法人化され、大学自身の責任で経営することが求められております。翌2005年に総長に就任した私は、実質的に法人化後最初の総長であって、法人化された東京大学の経営をどのように行うかという、歴代総長が経験されたことのない問題に、はじめて直面することになったのです。
 法律の上では、法人化された国立大学の学長は大きな権限を与えられています。ですから、社会の一部からは、「東京大学総長は、企業経営者のような強力なリーダーシップを発揮せよ」という声が聞かれました。総長はトップ・ダウンで東京大学の構成員に臨み、総長の判断でスクラップ・アンド・ビルドを断行して、大学改革を進めろというわけです。他方で、学内の一部からは、「総長は部局の自治を尊重し、あくまで調整役に徹しろ」という声も聞かれました。大学はボトム・アップの組織であり、総長は伝統的な部局自治に大学経営を委ねて、余計なリーダーシップは発揮するなというわけです。
 こうした2つの対照的な意見に挟まれて、私が出した答えは、東京大学は自律・分散・協調系の組織であり、総長は、自律・分散系の機能や活動を尊重しつつ、協調系の強化を図るためにリーダーシップを発揮すべきである、というものでした。

 自律・分散・協調系という言葉で私がイメージしているのは、人間の身体です。人間の身体は、神経器官や運動器官、呼吸器官など様々な器官から成り立っており、器官はそれぞれ独立して存在し、自律的に動いていますが、同時に互いが協調して、生命体としての人間の生存を可能にしています。自律と分散と協調という3つの要素が十全に果たされてはじめて、命の営みが可能になるのです。
 大学も同じです。器官にあたるのは学部や研究所などの部局ですが、これらの部局に属する教員が自律的に、かつ生き生きと教育研究活動を展開することが、大学のあらゆる活動の基盤をなします。総長が責任を果たすために必要なことは、総長が部局や教員に命令することではなく、自律・分散系であるところの部局と教員が行う教育研究活動を尊重し、支援することです。東京大学総長の責任の在り方は、企業経営者とは本質的に異なるのです。
 他方で、自律・分散系に任せるだけでは総長の責任を全うできないとも、私は考えました。この場合の責任とは、社会に対する責任です。東京大学は巨額の国費を与えられており、そうである以上、社会の期待に応える責任を負っています。それでは東京大学に対する社会の期待とは何でしょうか?優れた人材を育成して社会に送り出すことや、ノーベル賞級の傑出した研究成果を生み出すことは、これらは間違いなく社会の期待に含まれるでしょう。私は、それらと並んで、人類が直面する諸課題の解決に率先して取り組むこともまた、東京大学に対する社会の期待の中で、大きな割合を占めていると、そう考えました。
 21世紀初頭の現在、人類は実に多くの、解決困難な課題に直面しています。思いつくままに列挙すれば、地球温暖化に代表される環境問題、資源エネルギー問題、食糧問題、貧困問題、都市問題、高齢化社会の問題などです。その大部分は人類活動の膨張の必然的な結果であり、私達がよりよい未来社会を築くためには、これらの課題の解決が不可欠です。
 しかし、これらはいずれも巨大な複合的問題であって、ある特定分野の知識のみではとうてい解決できません。様々な分野の知識を有機的に組み合わせることが、課題解決のための不可欠な前提です。
 東京大学は、世界有数のシンクタンクとなる潜在的能力を持っています。それは、理科系と文科系にまたがる広範な分野において、一流の研究者を数多く擁しているからです。しかし残念なことに、これまでの仕組みは、専門知識を有機的に組み合わせることに適したものではありませんでした。何故なら、個々の研究者の最大の使命は専門知識を深めることにあると、そう考えられ、個々の学部や大学院研究科の主要な役割は、専門知識の教育にあると、そう考えられてきたからです。部局や教員の自律・分散的活動に委ねていては、専門化が進むばかりで、人類の直面する諸課題の解決に必要な、様々な専門知識を有機的に組み合わせるという仕組みは、東京大学の中に永久に出現しません。私は、そのような仕組みを作ることこそ、学術経営において東京大学総長が期待されている役割だと考えました。私が協調系の強化に力を注ぐと決意した所以は、ここにあります。

 協調系の強化のために、4年間に様々なことを試みましたが、とりわけ重要な成果と考えているのは、以下に述べる2つの事業です。
 まず、研究については、総長直属の総長室総括委員会を設置し、この委員会の管轄下に学術統合化プロジェクトを推進し、部局の壁や専門の壁を超えて、統合的に研究を進める仕組みを作りました。多くの教職員の積極的な参加を得て、わずか4年でこのプロジェクトは大いに進展し、現在、サステイナビリティ学連携研究機構や生命科学ネットワーク、海洋アライアンスなど、合計16の組織が活発に活動しています。いずれの組織も、経験を積む中で協調能力を高めつつあります。
 教育については、教養学部の学生を対象とする、学術俯瞰講義を開始しました。これは、学術を、物質、生命、情報・数学、人間・環境、社会、思想という6つの領域に大きく括り、それぞれの領域において超一流の業績を挙げられた学者に、学術の全体像を語って頂くというものです。第1回目の俯瞰講義はノーベル賞受賞者である小柴昌俊先生にお願いし、私自身も何回か教壇に立ちました。皆さんの中にも、聴講した方がたくさんおられると思います。講師はみな、最も高い学問水準に到達した方たちです。その高みから俯瞰した、その講師独自の学問の全体像を、若い学生諸君に語って頂く、というのが趣旨です。ですからこれは、通常の概説講義や入門講義とは全く異なる、新しいスタイルの講義なのです。学術俯瞰講義を聴講して大きな刺激を受けたという学生諸君の声を、数多く耳にしています。これがさらに充実されて、今後も東京大学の若い学生諸君に刺激を与え続けてくれることを心から願っています。

 こうして私は、研究における学術統合化プロジェクトと、教育における学術俯瞰講義を車の両輪として、学術における協調系の強化に努めてきました。こうした活動の基底にある考えを一言で要約すれば、「知の構造化」ということになります。
  「知の構造化」とは、様々な領域の膨大な専門知識を有機的に関連づけ、専門領域を超えた巨大な課題の解決のために活用することを指します。20世紀は人類活動膨張の世紀であり、人類の有する知識の総量は膨大なものとなっています。こうした中で、最先端の研究者は自らの研究領域を狭く限定し、その狭い範囲内で、まるで深い井戸を掘るようにして、新たな発見を求めるという傾向が顕著になっています。いわゆる専門化の傾向であり、増大する知識の多くは、限られた数の専門家にしか理解できないものになっています。先ほど述べたように、人類は、地球温暖化に代表されるように、実に多くの課題を抱えています。これらの課題は限られた領域の専門知識をもってしては、それがいかに深い知識であっても、解決することは不可能です。人類が直面する巨大で深刻な課題を解決するには、「知の構造化」が不可欠なのです。
  私が「知の構造化」の必要性に思い至ったのは、自らの研究活動を通してでした。私は、今から46年前に教養学部理科1類に入学し、2年後に工学部化学工学科に進学しました。学生時代はアメリカン・フットボールの練習に明け暮れていましたが、大学院に残って研究者になる道を選択し、以来約40年、化学工学を主たる分野として研究活動を続けてきました。私が化学工学に進学した1960年代は、日本社会の工業化が急速に進展した時期で、「理工系ブーム」という言葉が流行ったように、工学部や理学部の学生定員が10年間でほぼ倍増し、化学産業も花形産業のひとつでした。
 ところが、間もなく逆流が始まります。水俣病や四日市喘息に代表される公害問題が深刻化する中で、化学産業は「公害の元凶」として激しい批判を受けるようになったのです。私は、研究者としての足場を崩されるような、大きな衝撃を受けました。しかし、もともと私は楽観的かつ行動的な性格の人間ですので、深刻な顔をして悩むよりは、前向きかつ具体的に難問を解決することの方が性に合っています。課題は解決するためにあるというのが、私の信念です。このときも、環境問題を生み出した責任が科学者にあるのであれば、課題を解決する科学的処方箋を発見することこそ、科学者が自らの責任を全うする道であろうと考えました。その科学的処方箋を求めて、私は環境学の広大な領域に足を踏み入れることになったのです。
 調べれば調べるほど、私たちを取り巻く地球環境が急速に悪化していることが分かりました。エネルギー資源の枯渇と地球の温暖化、そして廃棄物の大量発生という三重苦が急速に進行し、もし事態を放置すれば、21世紀半ばに、地球環境の持続的再生産は、ほぼ確実に困難になる、そう予想されたのです。私は、この環境危機を解決し、人類と地球の持続的発展を可能とするような、科学に基礎づけられた具体像を提案することこそが、科学者の責任であると考えました。私の採った手法は、21世紀の半ば、2050年の時点で社会がこのようになっていれば地球環境は持続できるという、マクロ・ビジョンを提示し、そのビジョンを踏まえて、例えば資源のリサイクルや太陽電池といった個別の活動や技術を評価し、ビジョンを実現するための具体的道筋を明らかにするという方法でした。研究を進めた結果、私は、地球上の全ての人々が現在の先進国に匹敵する生活レベルを達成し、同時に環境と資源の問題を解決することは、十分に可能であるという結論に達しました。これは、夢ではなく、科学的方法に裏付けられた結論です。
 私が「ビジョン2050」と呼ぶ、社会のマクロ・ビジョンは、文科系を含む様々な領域の研究者との議論を通じて出来上がったものです。私にとって、分野の異なる研究者と協働しつつ大きな成果を生み出したのは、これがはじめての体験でした。それは、決して容易なことではありませんでした。異分野の研究者が集まっても、問題関心の相違や専門用語の壁に阻まれ、はじめはコミュニケーションすら困難でした。その困難を克服し、専門の壁を突破することによって、はじめて「ビジョン2050」は誕生したのです。私は、その経験を通して、「知の構造化」の意義と必要性を確信しました。
 総長になる直前、『知の構造化』という題名の書物を上梓して世に問いました。皆さんの中にも、読んで下さった方がおられると思います。私の最大の狙いは、東京大学で広く「知の構造化」を実行し、東京大学を、人類の抱える巨大な未解決の課題を解決するための、世界的な「知の拠点」にすることにありました。この狙いに基づいて、総長として、協調系の強化に力を注いだのです。

 人類の直面する巨大で深刻な課題は、環境問題にとどまりません。食糧問題や貧困問題、都市問題や高齢化社会の問題など、枚挙に暇がありません。私が総長を退任した後も、東京大学がこれらの諸課題の解決に向けて貢献し続けてくれることを、私は信じて疑いません。
 皆さんもぜひ、東京大学が行なうこの課題解決の試みの環に加わって下さい。卒業して社会に出る方も多いと思いますが、皆さんは、これで東京大学と別れるのではありません。今日を境に、卒業生という資格で新たな関係を結ぶのです。卒業生は、東京大学という巨大なアカデミック・コミュニティーの一員です。東京大学は、卒業生の皆さんに向かって、様々な形で活動報告をします。人類の直面する深刻な課題の解決に向けた東京大学の取り組みを、どうか注意深く見守ってください。そして、皆さんが社会人として働くそれぞれの場で、自分なりにそれらの課題の解決に向けて貢献してください。「知の構造化」を東京大学の中で推進するには、部局の壁、専門の壁を突破することが必要でした。私は、「知の構造化」を日本全体で推進するには、大学と社会の壁を突破することが必要になると、そう確信しています。皆さんは、卒業後も、東京大学の人たちと協調して、人類の抱える困難な課題の解決に貢献し、皆さんの子孫のために、よりよい社会とよりよい地球を残してください。
 そのような活動を展開する上で必要なものは、「本質を捉える知」と「他者を感じる力」と「先頭に立つ勇気」です。4年前の入学式で、私は皆さんに、東京大学で学ぶ中で、この3つの価値を身に付けて欲しいと呼びかけました。いま、卒業式に際して、改めてこの言葉を贈ります。東京大学で身につけた「本質を捉える知」と「他者を感じる力」と「先頭に立つ勇気」を、社会の中で磨き上げ、それぞれの活動の場を通して、現代社会が抱える様々な課題を解決するために貢献してください。
  皆さんの前途に幸多かれと祈りつつ、東京大学総長としての私の最後の大きな仕事を、これで終わることにします。
  さようなら。そして、どうもありがとう。

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