平成21年度卒業式総長告辞

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式辞・告辞集  平成21年度卒業式総長告辞

平成21年度卒業式総長告辞

平成22年(2010年)3月25日
東京大学総長  濱田 純一

 皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、皆さんが学業にいそしんでいる間、しっかりと皆さんを支え、今日のこの晴れの日をともにお迎えになっていらっしゃるご家族の皆様にも、心よりお祝いを申し上げたいと思います。
 大学に入学してから卒業まで、おそらくは、短かったような長かったような、両方の思いを、この瞬間に皆さんは持っているのではないかと思います。いずれにしても、この大学生活の間に皆さんは大きく変わったはずです。それは、皆さんが物事を考える視野の広がり、知識や知恵の豊かさ、さらには日々の行動や人のつながりの拡大を通じて、もたらされたものだと思います。
 皆さん自身だけでなく、大学を取り巻く環境も、皆さんが入学した頃とは大きく変わってきています。今日皆さんを卒業生として送り出していく時に、いまの時代状況に触れないわけにはいきません。
 何より、一昨年来の金融危機、経済危機は、世界中に、そして日本にも大きな影響を与えました。ご家庭にその影響が及んだ皆さんも、少なくないのではないかと懸念しています。そして今、この危機を克服できた後の次の時代がどのようなものになるのか、誰もはっきりとしたイメージを持っているわけではありません。とりわけ、日本の政治、経済、そして社会の姿がどのような方向に向かうのか、まだまだ見通しにくいものがあります。日本だけでなく、これからの国際社会、国際関係のあり方も大きく変わることが予想される時代です。そうした時代状況の中で、皆さんは、社会へ、あるいは大学院へと、それぞれ次のステップを踏み出そうとしています。
 こうした時代に生きるということは、たしかに大変なことです。これまで存在してきた制度や習慣の枠組みの中で生きていく方が、たしかに楽です。制度や習慣の存在は、私たちの思考や行為を省力化してくれます。それらに従っていれば、普通に生きていくということが比較的に容易です。しかし、そうした制度や習慣の枠組みが揺れ動くとき、私たちは、自らの生き方、そして自らが生きる環境を自分で考えて選択し、また作り出していかなければなりません。時代が見通しにくいといって文句を言っていても始まりません。「見通しやすさ」は、どこかにすでに存在しているものではありません。何か見つけ出すものではないのです。それは私たちが、自分の力で作り出していくものです。
 こうした時代に皆さんに求めたいのは、自らを時代の変化の中に投げ込むということ、別の言葉でいえば、「リスクをとる」ということです。もちろん、リスクのとり方はさまざまであり、また生命までも賭けろと言うつもりはありません。ただ、新しいものを生み出そうとする時には、失敗の可能性はつきものです。失敗のない進歩はありえません。
 この「リスクをとる」ということを、東京大学の卒業生となる皆さんに、とりわけて求めたいと思います。その理由は何よりも、皆さんは、東京大学というきわめて恵まれた学問の場で、豊かな知識と知恵、そしてそれを駆使するスキルという、特別の能力を身につけたはずだと考えているからです。そうした力は、ありうるリスクを最小限に抑える予測を可能にするはずです。また、リスクを被った時に、そこから回復するたしかな梃子ともなるはずです。この点において、皆さんは明らかに有利な条件を備えています。それを信じればこそ、私は皆さんに、あえてリスクをとり、そして次の時代を生み出していく役割を託したいと思うのです。
 そのような皆さんの力を、東京大学は、さまざまな工夫をこらして育成してきたつもりです。その工夫のための重要なコンセプトの一つが、「多様性」ということです。東京大学は、その基本的な運営の指針を考える時に、つねに「多様性」ということを意識してきました。
 たとえば、東京大学は2003年に、長期的視点に立って大学運営の基本原則を定めるために、「東京大学憲章」というものを制定しましたが、その前文には、次のような言葉があります。
 「東京大学は、構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことを認識し、すべての構成員が国籍、性別、年齢、言語、宗教、政治上その他の意見、出身、財産、門地その他の地位、婚姻上の地位、家庭における地位、障害、疾患、経歴等の事由によって差別されることのないことを保障し、広く大学の活動に参画する機会をもつことができるように努める。」
 また、私の2015年までの任期中に東京大学が目指すべき基本的な項目と考え方を盛込んだ『行動シナリオ』、それがこの4月からスタートします。その基本的なビジョンを述べた文章の中には、たとえば、次のような表現が含まれています。
 「日本の学術が持つ魅力と強みを発揮し、アジアの諸大学との連携のハブとなりつつ、言語や発想・価値観などの多様性を組み込んだ、世界の学術のトップを目指す教育研究のプラットフォームとして、東京大学の国際的な存在感を高めていきます。」
 「歴史の流れと国際的な広がりの中で多様な学術が連鎖し再生産されてきた東京大学は、時間と空間、分野と特性を越えて知が切磋琢磨し、卓越性を目指して未知への挑戦を無限に続けていく、ダイナミックな『知の連環体』です。」
 「豊かな知識を基盤に、能動的学習や国際経験の機会の拡充、さらに課外活動や社会的体験などを通じて、弱者への思いやりと倫理感、そして強靭な精神をバックボーンとし、多様な価値観の存在を意識したコミュニケーション力と知や社会のフロントを切り拓く行動力を備えたタフな学生を育てていきます。」
 この『行動シナリオ』冒頭の、わずか5ページほどの文章の中に、「多様」という文字が、あわせて12回も出てきます。もちろん、使われている文脈は、いま引用した箇所にも見られるように、さまざまなのですが、「多様」という価値が、現在の、そしてこれからの東京大学の特徴を表わす主要なキーワードの一つだということは、これだけでもお分かりいただけると思います。
 もっとも、「多様性」という言葉は、今日ではかなり広く普通に使われるようになっています。私の学生時代を振り返ってみると、「多様性」というのはそんなに一般的な用語ではなかったような記憶があるのですが、おそらく1960年代から70年代以降の社会変化に伴って、この言葉は一般的な通用力を獲得してきたのであろうと推測しています。ここではそうした歴史的な経緯はさておくとして、なぜ「多様性」なのでしょうか。この言葉が当たり前のように使われるようになった現代ですが、改めて、その意味を考えておきたい気がします。
 「多様性」を語る一つの大きな意味は、平等の観念と結びついています。つまり、特定の人間や民族、特定の価値や考え方、特定の宗教や政治的な意見だけが優越するのではなく、それぞれの存在が均しなみに価値を持つと考えるのが、「多様性」という言葉を用いるときの基本的な前提です。さきほど読み上げた東京大学憲章の文章が、「差別の禁止」ということに触れていたように、「多様性」という言葉は平等の精神によって裏打ちされています。
 しかし、「多様性」ということの価値は、そのように、さまざまな存在に対して配慮と敬意を払うこと、そのところだけにとどまっていません。そうした配慮や敬意の結果として、個人や社会に大きな力を生み出すことが出来るのが、「多様性」のさらなる意義です。「リスク」に立ち向かうことを私が期待している皆さんに、ぜひそうした意義についても、しっかりと伝えておきたいと思います。
 一つ目は、言うまでもなく、多様性が存在することによって、私たちの知識の対象や知恵の幅が広がるということです。皆さんは在学中に幅広い分野の勉強をしたことと思いますが、そこで学んだ知識や知恵は、さまざまな時代に、さまざまな人が、さまざまな言葉で、そしてさまざまな発想で、生み出してきたものです。知識や知恵は、その存在自体が、多様性の価値を象徴しているものです。
 二つ目は、多様な事実や価値、考え方がお互いにぶつかりあうことによって、よりよいものが見出される、ないしは生み出される可能性があるということです。その精神は、「言論の自由市場」の考え方の先がけをなしたジョン・ミルトンの言葉で、「(真理と)虚偽とを組み打ちさせよ、自由で開かれた対戦の中で、真理が負かされたためしを誰が知るか」、という有名な文章の中に端的に表現されています。「真理」という言葉を用いるかどうかはさておき、時代や分野を越えて含蓄のあるフレーズだと思います。そのような「組み打ち」、「対戦」を通じて、私たちの知識や知恵は鍛えられ豊かなものとなっていきます。それを可能にするのが多様性の存在です。
 三つ目は、多様な価値や考え方、生き方に溢れた環境の中に生きることで、「たくましさ」が生まれるということです。そして、その「たくましさ」は、コンクリートの塊のような頑丈さというよりは、むしろレジリエンス(resilience)といった言葉がふさわしい、一種の弾力性を備えた強靭さというものになるだろうと思っています。つまり、自分とは違った価値や考え方を異質なものとしてただ跳ね返すのではなくて、それらを自らのうちに取込むことによって、どのような事態にも柔軟にかつ確実に対応していくことの出来るような強さです。それは、異なった価値や考え方とたえずコミュニケーションをし、互いにその良さを評価し合うことから生まれてきます。
 社会が大きく変化して次のたしかなシステムが必ずしも見えない時代、そしてグローバル化によって、さまざまな価値や考え方が国境を越えて濃密に触れあう時代、こうした時代には、いまお話した「多様性」が持ついくつかの意義のうちでも、とくに三番目のもの、つまり、さまざまな価値や考え方を自らのうちに取り込みながら「たくましさ」を育んでいくということが、個人にとっても社会にとっても、重要になってくるものと考えています。
 ちなみに、多様性という言葉は、最近では、「生物多様性」という文脈でよく使われています。生物多様性というのは、多様な生物種と豊かな生態系がバランスを保ちながら生息することですが、そのことによって人間は多くの恵みを受けています。今年は、国連の定めた「国際生物多様性年」ということで、「生物多様性条約」をベースにした第10回目の締約国会議(COP10)が、日本で開催されます。この生物多様性というものが、人類社会のサステイナビリティ、人類の存続の基盤であると考えられているわけで、そうした認識は、生物や生態系の世界に限らず、より一般的に、多様性と「たくましさ」との関係にとって大いに示唆するものがあるように思えます。
 かつて、日本の社会は均質的であるとか、多様性に乏しいとかと言われてきました。しかし本当にそうなのでしょうか?さまざまな物の考え方、個性ある生活スタイルや価値観、それぞれの地域に根ざした習慣や言葉など、実際には非常に幅の広い多様性が私たちのまわりに存在しています。これまで私たちは、そうした多様性をあえて見なかった、認めなかった、あるいは一種の「均質性のイデオロギー」とでもいうべきものに無意識に囚われてきたのかもしれません。皆さんに期待するのは、そうした多様性を正面から見つめる、それにしっかりと向き合って取組んでいく、その上で、多様性をわがものとしていく、いわば「多様性を身体化していく」、ということです。
 現代社会では、そうした多様性の存在が、かつての時代よりもはっきりと見えるようになっています。いまの時代が、個人を単位に社会の仕組みを考える傾向が強まっているということも、その理由の一つです。また、たとえば、インターネットの発展は、隠れていた多様性をより目に見えるようにしてきました。さらには、今日、グローバル化が激しく進んでいます。そこでは、私たちは、これまで知らなかった、多様な存在を要素とする厖大な世界と、直接に向き合うことを迫られます。言いかえれば、私たちは、多様性を避けては生きられないのです。
 東京大学では、このような認識を踏まえて、さきにお話ししたように、あらゆる場面で「多様性」という価値を意識しながら教育研究を行ってきました。皆さんも、東京大学で学生生活を送る中で、そのような「多様性」がもたらす恵みを、知らず知らずのうちに自らのうちに取り込んできたはずです。ただ、皆さんは、これから、社会に出ようと大学院に進学しようと、さらに大きな、さらに複雑な「多様性」と向き合うことになります。皆さんはこれまで無意識に接してきたかもしれませんが、これからは、この「多様性」というものを意識し、それに真っ向から絡み合って、自らを鍛えていっていただきたいと思います。それによって、皆さんが「リスク」に立ち向かう力も、一段と強くなっていくはずです。
 私は、未来が見えにくい時代だということを言いました。しかし、まったく悲観はしていません。むしろ楽観的であり、未来に大きな夢を持っています。それは、一つには、東京大学という知の拠点が生み出す学問、その量と質に自信を持っているからです。東京大学から生み出される知識や知恵は、明治維新の後の日本の近代化を、また第二次大戦後の日本の復興をしっかりと支えてきました。これからも社会の発展を力強く支える役割を果たしていくはずです。
 しかし、私が日本の未来に対して楽観的であり夢を持つことができるのは、何よりも、今日まさしくこの場にいる皆さんのように、日本の未来を間違いなく支えてくれるであろう、たくましい卒業生が東京大学から巣立っているからです。知識や知恵の多様性の中で鍛えられ、多様性をわがものとし、さらには自ら多様性を生み出していく皆さんの力は、必ずや、日本の、そして世界の明日の姿をたしかなものとしていくはずです。
 皆さんのご健闘をお祈りします。

 

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