平成22年度入学式(学部)総長式辞

| 東京大学歴代総長メッセージ集(第29代)インデックスへ |

式辞・告辞集  平成22年度入学式(学部)総長式辞

平成22年(2010年)4月12日
東京大学総長  濱田 純一

 東京大学に入学なさった皆さん、おめでとうございます。東京大学の教職員を代表してお祝いを申し上げます。これから皆さんが、この大学のキャンパスで、充実した学生生活をお送りになることを願っています。
 そして、また、皆さんがいま、こうしてここにいることを可能にして下さった、皆さんのご家族はじめご関係の皆さまにも、心からお祝いを申し上げたいと思います。
 今年の学部入学者は3,163名です。その内訳は、いわゆる文系の皆さんが1,310名、そして理系の皆さんが1,853名となります。また、後期日程での合格者は、98名です。男性と女性の割合は、およそ4対1、また、留学生の数は46名です。
 これだけの多くの数の皆さんに、長い歴史と伝統を持つ東京大学の、もっとも若々しい力として、これから活躍いただくことになります。

 東京大学については、皆さんはすでにいろいろなことを知っていると思いますが、この機会に改めて、これから皆さんが、その中で少なくとも4年間を過ごすことになるであろう、東京大学という組織の全体像を、簡単にお話しておこうと思います。
 東京大学の教員は、およそ4,000名近くいます。また、事務系・技術系の職員は約2,000名、そして在籍している学生の数は、およそ2万8千名で、学部学生の数と大学院学生の数が、ほぼ半々という状況です。東京大学の主なキャンパスは、本郷と駒場、そして柏の3つですが、さまざまな実験施設や観測施設、演習林などが、北海道から鹿児島まで、日本全国に存在しています。さらに海外にも、各国の大学や研究機関との協力によって、何十もの研究の拠点があります。皆さんが旅行などをした時に、思いがけないところで東京大学の表札に出会うことがあるかもしれません。
 東京大学では、このように、たくさんの教職員や学生が、日本だけでなく世界のさまざまな場所で、人間の存在や生命現象の仕組み、そして、宇宙や物質の成り立ちに対する根源的な研究、また、人々の社会生活を支える科学技術の開拓、あるいは社会的な制度や理論の構築など、幅広く多様な学術研究に携わっています。そして、それらの豊かで高度な研究を基盤として、未来の社会を担うべき人材が育成されています。
 この人材育成、つまり教育の内容については、カリキュラムの改善をはじめ、東京大学ではさまざまな努力を重ねてきました。学術の確かな基盤をしっかりと身につける専門教育の高い水準とともに、教養学部で行われているリベラルアーツ教育は、東京大学の大きな特徴です。「知」の大きな体系や構造を見せる「学術俯瞰講義」、また、新しい課題にこたえる学部横断型の教育プログラムといったものも実施されています。
 また、こうした授業そのもののほかに、奨学制度やキャリアサポートの充実、さらに学生相談体制の整備なども、大学として近年とくに力を入れてきているところです。
 このような教育環境を整えることによって、皆さんが持っている素晴らしい能力が、この東京大学において、さらに大きく花開くことができるように、引き続き力を注いでいきたいと考えています。

 皆さんが大学に入って、戸惑うことは少なからずあると思います。授業時間の長さや授業のスタイルに、最初は慣れない感じを受けることでしょう。また、選択できる授業科目の幅の広さ、多彩さから、授業ごとに変わる教室間の移動距離などまで、高校時代とは大きく異なる環境に出会うことも多いと思います。
 それは、私自身がいまから40年あまり前に皆さんと同じように入学した当初に、感じたことでもあります。それは一種のカルチャー・ショックのようなものでしたが、振り返るといろいろなことを思い出します。日々の生活上のことはさておき、「学問との出会い」ということで言えば、印象に残っていることが、二つあります。

 一つは、授業で「答え」というものをなかなか教えてくれないなあ、ということでした。大学の授業の中では、概念の定義や論理の組立て、あるいは研究の進め方などをいろいろ学びますが、「正解」というのは、必ずしもすぐには出てきません。これが一つ、私にとって大きな戸惑いでした。このことは、「『正解』に囚われない知性を」、というタイトルで、すでに皆さんに届いているはずの『教養学部報』にも記しておきました。ここでは繰り返しませんが、学問の世界では、そう簡単に「正解」というところには到達できないような問題や、「正解」がたくさんある問題、あるいは、そもそも「正解」という観念がないような問題も少なくありません。それは、これまでの皆さんの受験勉強とは、大きく違うところです。
 大学の教育の中では、むしろ、「答え」を求めていくプロセス、そのプロセスの中で鍛えられる力が大切なのだ、ということが理解できるまで、かなりの時間がかかったような記憶があります。

 もう一つ、「学問との出会い」ということで印象に残っているのは、「客観性」という言葉です。皆さんはどうか分かりませんが、私は「客観性」という言葉に、受験勉強をやっている間はあまり出会ったことがありませんでした。これは、問題に「正解」がある、ということと裏腹ともいえるのですが、受験勉強で学ぶことは、基本的にはすべて「客観性」があるもの、少なくともそう想定されているものであったはずです。その意味では、そもそも教科書に書いてあることに「客観性」があるかどうか、ということを考える余地は、ありませんでした。ですから、大学に入って、知識や認識の「客観性」が問題にされるということ自体に、とても新鮮な印象を持ちました。
 この「客観性」という言葉は、記憶をたどると、19世紀末から20世紀にかけてドイツで活躍した、社会学者であり経済学者でもあったマックス・ヴェーバーの理論が取上げられた授業の中で、出てきたように思います。つまり、科学的に事実を確定ないし整序すること、これが「客観性」ということにかかわりますが、そのことと、いかに行為すべきかという実践的な価値判断とを、はっきり区別すべきである、とする考え方がそれでした。
 こうした視点が、当時の私にとっては、とても目新しく感じられました。
 もっとも、実は、「客観性」をめぐる驚きは、それだけではありませんでした。しばらく勉強しているうちに、「客観性」という議論自体必ずしも価値から自由なものではない、という話に出くわしたのです。このあたりになってくると議論がまだどんどん展開していきますが、ここでは、皆さんと同じ年齢の頃の私の驚きを話すだけにとどめておきたいと思います。

 さて、このように、大学という、これまでとはかなり異なる世界に入ってきた皆さんですが、その大学を取り巻く環境、そして皆さんを取り巻く環境は、いま、大きな変動期にあります。経済の不安定化や格差の問題、少子高齢化現象の進行、地球温暖化に代表されるサステイナビリティをめぐる課題、国際社会における力のバランスの変化や安全保障をめぐる問題、こういったことが一挙に噴き出しているのが、いまの時代です。そして、また、こうした課題を構成している要素が複雑に錯綜していたり、あるいは、一つの国の枠組みだけでは解決できない事象も多いことが、いまの時代の先行きを見えにくくしています。

 こうした変化の時代、複雑な課題が数多くある時代には、人々の生き方に何が求められるのでしょうか。それは、従来のやり方をそのままただ踏襲していけばよいといった、慣習的な姿勢ではありません。新しい課題に、とにかくチャレンジをし、自分自身でしっかりと考えて方向を見定めていくしかありません。変化を前に動揺するのではなく、変化を楽しみ、変化を活力にできるような力が求められます。
 これからの教育の中で、東京大学が皆さんに身につけてもらいたいと考えているのは、そのような力です。皆さんに今日お配りしている資料の中に、『東京大学の行動シナリオ-FOREST2015』というものを特集した『学内広報』の冊子が入っています。そこに、こうした変化の時代に東京大学が活動していくにあたっての基本的な指針を掲げていますが、その重要な柱として、東京大学がどのような教育を行おうとしているか、ということについて、「真の教養を備えたタフな学生」という言葉で、考え方と具体的な取り組みが記されています。
 東京大学は皆さんに、何よりも、深い専門的知識とともに幅広い教養の知識を学んでもらおうと考えています。この両者の組み合わせが、皆さんの視野と応用力を広げ、新しい時代に確実に、そして柔軟に取り組んでいく力の基盤となります。
 同時に、そうした知識そのものとともに、知識を現実の行動に移していく力、新たな知識を生み出していく力も、しっかりと育てていきたいと考えています。

 こうした皆さんのたくましい力を育てるために、東京大学では、討議力の養成をはじめとして、いろいろな試みを始めています。その一つとしてとりわけ重視しているのが、「国際化」の推進という目標です。
 もともと大学という場、さらに言えば学問という分野は、社会一般の動きに先駆けて国際化が進んでいました。それは、遡れば、遣隋使や遣唐使の時代にまでも至るのでしょうが、近代の日本を見ても、海外からの知識の移入が積極的に行われることによって、日本の大学や学問が大きく成長し、社会の発展の基盤となってきました。
 このように、国際化というのは、とりわけ近代日本の学問にとって一貫して本質的な課題であり続けたわけですが、最近の国際化のポイントは、新しい局面に移っています。それは、一つには、知識の移入だけではなく発信をするということです。すでに、自然科学系をはじめとして、高度な水準の研究成果が東京大学から世界に向けて発信されており、激しい国際競争も行われています。また、人文社会系の分野での国際的な発信や交流も、広がってきています。さらに、多くのすぐれた留学生の皆さんを受け入れて、東京大学で、培われてきた知識を学んだ人材が、世界中で活躍するようになっています。
 ここで強調しておきたいのは、「国際化」ということが持つさらなる意味合いです。それは、大学の国際化がすすめられていく中で、皆さんが、自分とは異なった考え方や発想、異なった行動様式や価値観と触れあい、それらと絡み合っていく機会を日常的にもつことによって、新しい発想を生み出し、また変化する環境に柔軟に対応して行動する力を、身につけていくことができるはずだ、ということです。

 こうした考え方を踏まえて、これからの時代を担う皆さんに期待したいのは、「国境なき東大生」となってほしいということです。つまり、日本という国に閉じこもらず、精神面でも行動面でも、国境というものにとらわれずに、知識と経験、活動と交流を自由に広げてもらいたいということです。
 この「国境なき東大生」というのは、皆さんにたんに国際性をもってほしいということとは違います。すなわち、外国語が話せる、海外でコミュニケーションが出来る、世界の出来事が分かるというだけではなくて、国際的な経験を通じて、自分が知らなかった考え方や発想、自分とは違う行動様式や価値観と積極的にぶつかり合い、その多様さを自らのうちに取込み消化していく、そして、そうしたプロセスを通じて自らのたくましさと柔軟性を鍛えていく、ということです。そうした力をベースにして、物事を多様な角度から捉え、変化をおそれずに行動できる人間として、成長してもらいたいと考えています。
 また、ここでは、かつてドイツの哲学者カントが「永遠平和」を論じる中で述べていたような、「世界市民」的なことまで言っているのでもありません。人類の共通性や普遍性に着目する理念は素晴らしいのですが、そこに一足飛びに至る前に、まずは異質なるものとの緊張をはっきり自覚して、それを積極的に自分の力として取込んでいけるようなプロセスを、皆さんに経験してもらいたいのです。自らが生まれ育った社会がもっている価値観や思考の豊かさを存分に生かしつつ、それらを、世界のさまざまな地域や人びとが育んできた多様な価値や考え方と絡みあわせる経験をしてもらいたいと思います。そのための機会を皆さんに提供する「国際化」の仕組みを、東京大学ではさらに充実させていきたいと考えています。

 いま「国境なき東大生」について語る時に、文字通り国と国との境をイメージしながらお話しました。しかし、国境というのは、それを一般化すれば、異質なものとの境界ということです。国境にとらわれないという感覚は、たんに国と国との差異ということだけでなく、皆さんが、すぐ身の回りにも存在しているさまざまな境界、目に見えない境界をも自由に飛び越え、差異を我がものとしながら、新しい視点や発想を生み出していく力につながるはずです。「国境なき東大生」への期待には、そのような、より大きな思いも込めています。このようにして培われた力が、この変化の時代を乗り切り、次の新しい時代を創っていく力になると信じています。

 さて、最後になりましたが、今日この場にお越しいただいている、ご家族の皆さまにも、一言申し上げておきたいと思います。
 お子さんが大学に入ると、親離れ、子離れをしなければいけない、ということがよく言われます。しかし、私は、お子さんの大学への入学は、ただたんに「離れる」ということではなく、親子の間で新しい大人の関係が作られるきっかけであると考えています。さきほど「国境なき東大生」という話をしましたが、お子さんたちは、これから広大な学問の世界の中で、多くの経験を重ねていくはずです。そこには、新しい知識もあれば、新しい緊張もあり、新しい戸惑いもあります。ご家族の皆さまには、そうした新鮮さに満ちた中で大きく成長していくお子さんと、大学生活の話を共にしながら、さらに知的に豊かな、一段と質の高い、親と子の関係を築いていただければと願っています。
 そして、そうした会話の際には、授業のことや日々の生活のこととともに、大人として守るべきルールについても話し合っていただければと思います。薬物の乱用やその他の社会的ルールの逸脱によって、せっかく入学した大学を去らなければならないような学生が、皆さんの中から出るとすれば、それは、とても悲しく残念なことです。そうしたことが決して起こらないように、大学としても皆さんに注意を促していきますが、ご家庭でも折に触れ、お話しいただく機会をもっていただければと思います。

 東京大学が提供する知的に豊かな環境は、お子さんの成長に寄与するだけでなく、お子さんとの会話を通じて、ご家族の皆さまにとっても大きな刺激となるはずです。また、東京大学は、春と秋の公開講座やさまざまな公開のシンポジウムなどによって、大学の知と社会の知との交流を図っていますから、大学の活動に直接にも接していただければと思います。そうした機会を通じて、今日ここに保護者としておいでになっている皆さま方も、東京大学という広大な知の共同体の一員でいらっしゃるということになります。これから、ぜひそのようなお気持で、東京大学の教育活動、研究活動をご覧いただき、そして、ご支援をいただければと思います。

 私は日ごろより、東京大学は「世界を担う知の拠点」であるべきだと申しております。知の創造と教育、社会との連携を通じて、教員や職員が、そうした役割を担っていくべきことは当然ですが、学生の皆さんにも「国境なき東大生」として、日本の未来、世界の未来に対する公共的な責任を果たしていく、東京大学の活動の一翼を担っていただきたいと考えています。
 今日ここにいる新入生の皆さんが、こうした東京大学の使命を自覚しつつ、仲間に入って下さることに、改めて歓迎の気持ちをお伝えして、式辞といたします。


 
カテゴリナビ
アクセス・キャンパスマップ
閉じる
柏キャンパス
閉じる
本郷キャンパス
閉じる
駒場キャンパス
閉じる