平成23年度東京大学大学院入学式 祝辞


平成23年度東京大学大学院入学式 祝辞
(冒頭、日本語でのスピーチ)
3月11日の大災害、お悔やみを申し上げます。つらい復興作業に秩序を持って、前向きな姿勢でいらっしゃる皆様に敬意を表します。ささやかながら、私も応援させていただきます。
これから英語で話をさせていただきます。
(以下、英語でのスピーチ)
東京大学大学院入学式で祝辞を述べさせて頂きますことは、私にとって大変な名誉であり、喜びでもあります。これまでこの入学式で話をされた多くの方々とは異なり、私自身は東大の卒業生ではないのですが、1973年から1974年にかけて物理学の和田靖教授の研究室で充実した9ヶ月間を過ごさせて頂いた経験がありますので、東大とは深いご縁を感じています。また昨年は、同学から名誉博士称号を頂くという栄誉にも預かりました。こうした経緯から、本日皆さまにお話しできますことを、大変嬉しく思っております。また、このような大変な状況の中、お話しする機会をいただいたことについて、とりわけ嬉しく思います。
入学式に出席されている学生の皆さんはもちろんのこと、今日この日を迎えることが出来るよう皆さんを支えてこられたご家族や学校、大学の先生方にも祝意を表したいと思います。東大に入るための競争は、学部から東大に入られた方も、また大学院で初めて東大に来られた方の場合も非常に厳しく、恐らくは世界で最も熾烈な受験競争だったのではないかと思います。合格を手にするまでの道のりは、長く苦しいものだったことでしょう。ご両親や先生方は皆さんを大変誇りに思い、また皆さんもご自身を誇らしく思うのは当然のことだと思います。
これからの数年間、皆さんは東大でしかできない経験をなさることと思います。皆さんに、その経験を最大限に活かすためのアドバイスを何かできないだろうかと考えたところ、私自身が皆さんと同じ年齢だった頃の経験(当時としては珍しい経験だったと思いますが)をお話しすれば何かのお役に立てるのではないかと思いました。私はオックスフォード大学の文系学部に入学し、ギリシャ語やラテン語、古代史や(近代の)哲学を学びました。ですが長い回り道をした末に、私が一生の仕事として探究したいのは物理学であることに気付いたのです。実は物理学は、学校では私にとって全く馴染みのない科目だったのですが・・・。最終的には多くの方々のお力添えもあり、また様々な思いがけない幸運も重なって、物理学者になるという夢を実現することができました。また博士課程を修了後、オックスフォード大学の研究奨学制度の支援を受けて、ここ日本で、京大の松原武生教授の研究室で1年間を過ごすこともできました。文系学部で費やした4年間も、京大での1年間も、短期的な視点から見れば私のキャリアを大きく左右するものではなかったかも知れません。ですが私はこうした経験をしたことを1度も悔いたことはありません。結果的にどちらの経験も、私の人生を大いに豊かにし、他では得ることのできない見識を与えてくれたからです。特に、オックスフォードで分析哲学を勉強したことや、英語という媒体によって歪曲されることなく直接日本語で有意義な会話ができるように日本語を覚えようとしたことは、私にとって大きな意味がありました。以前は自分に備わっていることさえ知らなかった筋肉の使い方を学んだかのような、そんな経験でした。
なぜ皆さんにこの話をするのかと言いますと、皆さんにも東大での勉学の合間に様々な面で視野を広げて頂きたいと思うからです。今や、世界情勢の中心地が欧米から南アジアや東アジアに移行していることは明らかです。21世紀半ばの世界においては、この地域で最も古くから工業社会を築いてきた日本が必ず中心的役割を果たすことになるでしょう。その頃には皆さんの多くが、政治や経済、文学、あるいは学問の世界で日本のリーダーの1人となっていると思います。ですから皆さん自身のためだけではなく、世界のためにも、これからの数年間を専門分野の知識習得だけでなく、より広い意味で経験を深めるために使って頂きたいのです。確かに専門分野の研究に十分な時間をかけることは必要ですが、全ての時間を捧げる必要はありません!この偉大な大学で見つけることのできるその他の機会もぜひ利用してください。例えば科学分野を専攻されているのであれば、歴史や文学の講義も受けてみてください。あるいはもし哲学を専攻されているのであれば、神経科学の近代の発展状況についての情報収集ぐらいは心がけてください。特に、ぜひ国際的な経験を積んでもらいたいと思います。東大には多数の留学生や外国人の教授もいますから、留学しなくともある程度の国際的経験をすることはできますが、やはり異文化に「完全に浸りきる」に勝る体験はありません。ぜひ大学院の交換留学制度(東大にはそのような制度が多数あると思います)を使って、あるいは博士課程修了後に独立の研究者として、外国で過ごす期間を設けて頂きたいと思います。そうすることによって専門分野に対する新たなアプローチを見つけることができ、また更に重要なことに、自らを外国語と外国文化の中にどっぷりと浸らせることによって、人生を長きにわたって豊かなものにすることもできることでしょう。将来、皆さんに家族が出来たりその他の責任を担うことになったりしてからよりも、次の数年間の方が自由に海外に行けるのではないかと思います。この貴重な機会をどうか逃がさないでください!
次の数年間の皆さんの「公式」の研究課程については、私はよく次のことを聞かれます。「学問の世界で成功するにはどうすればよいのでしょうか?」と。ですがこの質問に対する良い回答は存在しません。なぜなら学問の世界もその他の職業と同様に、いわゆる世間的な「成功」というものは、単なる運に左右される部分が非常に大きいと思うからです。ですが、学問生活を実りのある充実した経験にするためのヒントなら、いくつかお示しできるかと思います。こうした学問の経験は、何か別の人生のための序章に過ぎないこともあれば、あるいは生涯を学問に捧げる人もいることでしょう。こうしたヒントについては、主に自身の専門分野である物理学の観点でお話しますが、それをより一般的に適用することもできると思います。
第一に、なんと言っても自らの好奇心に従って行動してください。たとえ皆さんの仲間やあるいは先生までもが、皆さんの疑問は些細な問題だとか、くだらない質問だと思ったとしても、その疑問を追及するのを諦めないでください。(アインシュタインが「真空ではなぜ全ての物体が同じ速度で落下するのだろうか?」と尋ねたとき、多くの人は、「なんとくだらない質問だろう。それは自明の理だというのに!」と思ったのですが、この単純な疑問から、現代物理学の重要な構成要素である一般相対性理論は生まれたのです。)「くだらない質問」というものは存在しません。たとえ単純明快な回答のある質問であっても、質問する価値はあるのです!第二に、何か興味深い問題に遭遇したら、既にその分野にはその問題に対する合意済みの解決策があるのではないかということを、あまり気にしないでください。たとえ解決策が既に存在していたとしても、開かれた心で、既存の研究成果を敢えて無視して研究に取り組むことによって、新たに素晴らしい視野が開ける可能性もあるからです。第三に、誠実に行った作業を時間の無駄だったとは決して思わないでください。たとえそのときは何の成果にもつながらないように思えても、自分の行った作業について全て記録し、引き出しにしまっておいてください。そうすれば10~15年後に、恐らくは全く予期しない方法であなたの役に立つ日がくるはずです。(実際に私自身にも、こうしたことが研究の重要な段階で起こりました。)そして第四に、研究と後進の指導という二足のわらじを履くことになる皆さんは、少なくとも研究と同じくらい真剣に指導も行ってください。そうすることは、指導を受ける学生にとってのみならず、皆さんと皆さんの研究にとっても役立つはずだからです。
以上、少しはお役に立てることをお話しできたでしょうか。最後に、皆さんが将来どのような道に進まれるにしても、東大大学院で過ごす日々が成功と幸福に満ちたものとなることを祈念いたします。
平成23年(2011)4月12日
イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校物理学教授
アンソニー・ジェームス・レゲット卿
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