平成23年度卒業式総長告辞

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式辞・告辞集  平成23年度卒業式総長告辞

平成23年度卒業式総長告辞
 

 皆さん、ご卒業おめでとうございます。東京大学の教員・職員を代表して、お祝いを申し上げます。また、この晴れの日をともにお迎えになっていらっしゃるご家族の皆様にも、心よりお祝いを申し上げたいと思います。
 振り返ってみれば、おそらくあっと言う間の大学生活だったような気がするのではないかと思いますが、この間に、皆さんの知識の量や論理の力、実験の技など、大きく成長したはずです。また多くの友人を得るなど、皆さんの生活の幅は随分と広がったことでしょう。このたび学部を卒業する学生の数は、合計で3,161名になります。うち留学生は61名です。

 つい1年前には東日本大震災が発生して、すさまじい惨禍をもたらしました。こうした事態に対応して、昨年度の卒業式は、各学部卒業生の代表の皆さんだけが出席するという異例の形で実施しました。この大震災がもたらした悲惨な事態について、皆さんもさまざまな思いを持ったことと思います。また救援活動や復興支援活動には、少なからぬ学生の皆さんがボランティアとして参加してくれました。こうした大きな社会的出来ごとの中で真剣に考え、あるいは行動することを通じて、皆さんは、日々勉強を重ねてきたことによる学問的な成長にくわえて、社会的な成長も遂げたことと思います。今日そのような経験も経て卒業の日を迎えている皆さんの姿を見ると、実に頼もしく感じます。

 もっとも、いまの日本社会が置かれている多難な状況を考えると、この場でただお祝いの言葉だけを述べて皆さんを送り出すというのは、教育に携わる者としてはいささか無責任であるという思いに駆られます。幸い、皆さんには、この東京大学での勉学と経験を通じて、大きな困難にも立ち向かっていける基本となる力は付いているはずです。であればこそむしろ、私が持っている、これからの日本社会の見通しについての危機感を、率直にお話ししておきたいと思います。そして、皆さんのように国立大学で、とりわけ東京大学というとても恵まれた環境で学んだ人間が、これから社会でどのような責務を担うことになるのか、改めて思いを強くしてもらいたいと思います。

 皆さんもよく見聞きしているように、いまの日本の財政はきわめて厳しい状況にあります。いわゆる赤字国債への予算依存度の増大や国債残高の累積、これからの社会保障関係費の増加などを考えると、果たしてどのような形での財政再建がこの国で可能なのか、なかなか見通しがつき難いところもあります。いずれにしても、財政赤字が大きく膨らんでいること、また年金負担増と労働人口の減少をもたらすであろう少子高齢化現象が急速に進んでいるということは、よく知られている事実です。産業構造の面でも、地方の空洞化にとどまらず、円高などの影響を受けた企業の生産現場の海外移転によって、日本全体の産業空洞化が進む傾向が危惧されます。また、貿易収支についても、なかなか予断を許さない状況が今後も続いていきそうです。

 ただ、こうした危機の構造の多くは、すでにだいぶ以前から語られていたことです。にもかかわらず、必ずしも有効な対応がなされないままに、今日に至った感があります。危機はどうやら、私たち自身の中にもあります。例えば戦争といったような大変動に比べれば、危機的な状況へのいまの変化の動きは緩やかです。企業の中には素早く状況に対応しているところも多いのですが、日本社会全体としては、少し手直しすれば何とかなる、明日には少しは良くなるのではないかという、必ずしも根拠の十分でない希望にすがりながら、ただ年月が過ぎてきたような気もします。「失われた10年」が「失われた20年」になり、さらにはいま、「失われた30年」に足を踏み入れ始めているのかもしれません。
 たしかに、日本では高度経済成長を経て、かなりの程度の生活水準が一般的に確保されるようになってきました。こういう時には、人は、近づく危機の足音を聞いても、いままで何とかなってきたしこれからも何とかなるだろう、と考えがちです。物事が急に変化する時には人びとは慌てて対応に走りますが、物事がほどほどに動いて緩慢に社会が縮んでいく時には、人はなかなか行動できないものです。

 こうした大きな問題の解決を日本という範囲の中だけで考えようとすると、どうしても限界があります。いま日本が抱えている課題には、アジアあるいは世界という大きな枠組みの中で取組んでいかなければ解決が見通せない事柄も、少なくありません。このような時代状況の中で、私は、東京大学を卒業していく学生は、これまでよりはるかに、国際的な場面で仕事をする機会が多くなるものと想定しています。そして、そこでは当然、海外の大学を出た優秀な人びとと、能力を競い合うことになると思います。おそらく国内においても、競争は高まるでしょう。国内の雇用機会が減少する可能性にくわえて、近い将来には、これまでよりももっと多く、海外の優れた人びとが日本の社会で活躍する時代になるでしょう。今日卒業式を迎えた皆さんの多くは、この場にいる数少ない留学生の皆さんがまさしくすでにそうであるように、国境を越えた、国籍を問わない環境の中で、能力を競い合うことになるはずです。

 こうした厳しい状況を乗り越えていくだけの十分な力を、この東京大学が皆さんに育んでもらうことが出来たかと問われると、率直に言って、まだ満足できる状態ではありません。高い学問水準を誇ることが出来るなどの面もありますが、国際性や多様性に満ちた環境の中で学生の力を錬磨する仕組みなどの面については、なお強化していくことが必要です。ただ、東京大学の中でしっかりと学生生活を送ったのであれば、自分の力をさらに鍛えるために競争の中に飛び込んでいくに足るだけの基本的な能力は、すでに皆さんの身に付いているはずです。また、皆さんはこれで学部を卒業しますが、さらに大学院に進んで勉強を続ける人も多いと思いますし、一度社会に出てもまたこの大学で学ぶ機会を得る人も少なくないはずです。そうした皆さんのためにも、東京大学の教育力と研究力をさらに、そしてすみやかに、強めていかなければならないと思っています。

 東京大学の研究の競争力、また卒業生の競争力は、これまで、東京大学の歴史的な蓄積や東京大学を取巻く社会経済環境にも支えられて、高い水準を保ってくることができました。ただ、それは、東京大学の創立以来、この日本社会が、部分的にはともかく全体としては、国際社会と同じ平面上で競争することにさらされてこなかったからこそ可能であった面もあります。これからも東京大学は、日本国内においてトップ大学であり続けることは間違いないと信じていますが、人、物、サービスが世界を自由に行き交うグローバル化の大きな流れの中で、それが「お山の大将」のようなものになってしまっては困ります。
 「世界大学ランキング」というものがあります。そこでの東京大学の順位は、年々、じりじりと後退しています。そこで使われている指標や指標のウェイト付けが適切かという批判はいくらでも出来ますし、また教育研究の絶対的な水準で言えば、東京大学の総合力はかつてより高くなってきていると思います。ただ、他大学との相対比較という視点で見ると、私は、東京大学の順位の低下が続く可能性はあながち否定できないと感じています。それはつまり、東京大学の力が伸びる以上に、諸外国の大学の力が急速に伸びてきているということです。
 東京大学が思い切り力を出せない背景には、予算削減のために国際化など教育研究の基盤的な部分に力を入れる余裕が乏しいこと、多くの教員が教育研究にあてることの出来る時間が少なくなっていること、柔軟な人事や財務運営に制度的な制約があることなど、いくつかの深刻な事情があります。他方、高等教育機関への公財政支出や科学技術関係予算の増加などを背景に、中国をはじめとするアジアの諸大学が、いま、非常に力をつけてきています。分野によっては東京大学よりもすぐれた大学も出てきています。こうした傾向は、今後さらに強まるでしょう。また、これまでやや「内向き」とも見えていたドイツやフランスなどの大学についても、それぞれの政府が国際的な競争力を意識しながら大学の統合や重点投資を強めています。さらに、アメリカの有力大学でも、国内だけでなく国際戦略を積極的に展開する動きが見られます。
 念のために言っておきますが、私はランキングの順位そのものを気にしているわけではありません。そうではなく、ランキングに少なくとも傾向としては反映されるような大学の総合力の相対的な低下が、東京大学が送り出す卒業生の皆さんの競争力―国内だけではなく国際的な競争力―の低下の兆候、さらに日本の基盤を支える研究の競争力の低下の兆候を示しているのではないか、ということを懸念しているのです。しかも、このような大学をめぐる国際的な競争環境の変化のスピードは、非常に速いものです。

 こうした状況を見据えながら、東京大学では、国際化や教育力の強化をはじめとして、さまざまな改革を進めています。東京大学はとても大きな組織です。また、明治期以降の「成功体験」を持っています。今まで通りやっていれば国内でトップの地位は揺るがないと考えるのは自然です。しかし、少なくとも、先ほど申し上げたように、大学を取巻く国際的な環境は、これまでとは大きく様相を異にしてきています。「今まで通り」でよいのかどうか、真剣に問い直さなければなりません。また、問い直す時には、今まで当たり前だと思ってきた考え方や社会的な仕組みが本当に当たり前のものなのか、ということも考えなければなりません。そうした根本的な問い掛けをすることは、学問というものに携わる人や組織が当然とるべき立場であるはずですし、育てる学生たちの10年後、20年後をも見通すべき、教育に携わる者の責任でもあるはずです。

 社会の在り方を考えるにせよ、大学の在り方を考えるにせよ、私たちの思考や発想は、どうしても、いま出来上がっている制度や仕組みに拘束されがちです。いま現にあるシステムを前提として、その一部を改善することで何とかできればと考えるのは、よくあることです。私たちはしばしば、あるものがほどほどに動いていれば、それで満足して本質的な改革のチャンスを失います。しかし、日本社会をめぐる状況が内外ともに、これほど激しく変動している時代にあっては、現状の仕組みや私たちの思考方法を根本から疑う視点も持たなければ、あっという間に流れに取り残されていきます。これからの時代を作っていく主役となる皆さんには、決してそうであって欲しくないと思います。いま私が、「秋季入学」という構想について学内で議論をしてもらっているのも、そうした強い危機感を持っているからです。

 東京大学の総長が、困難な社会状況の中に卒業生を送り出していかなければならない、それでも卒業生たちの若い知性と徳性に未来をかけよう、という思いをしたことは、この大学の歴史の中で何度もありました。とりわけ、第二次世界大戦が終了した年に総長に就任した南原繁総長の卒業式における演述には、そうした思いが満ち溢れています。当時のような、焦土から国家を再建していくことが求められた時代に比べれば、まだいまの日本の社会にも経済にも力があり、また大学でしっかり学ぶ機会を得た皆さんの、新しい時代を作る知的な力と人間的な力を信じることが出来ます。だからこそ、今日、私は、日本社会のこれからの厳しい見通しを語りつつも、なお、皆さんを明るい気持ちで送り出していくことが出来ます。
 先ほども言いましたように、社会や組織が緩やかに衰退しつつあることに気付いていても、ほどほどにうまく行っていると思うと、多くの人はなかなか動くことが出来ません。そうした時に、あえて一歩も二歩も前に出て、新しい時代の基礎を作るのが東京大学の役割であり、東京大学の卒業生の役割です。この卒業式を機会に、困難な時代に立ち向かっていく皆さんと、困難な時代に立ち向かっていく大学との、新たなコラボレーションが始まるということを願いながら、告辞を終えることとします。皆さんのこれからのご活躍をお祈りします。
 


平成24年3月23日

東京大学総長
濱田純一

 

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