平成24年度学位記授与式総長告辞

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式辞・告辞集  平成24年度学位記授与式総長告辞

平成24年度学位記授与式総長告辞
 

 本日ここに、晴れて学位記を授与される皆さん、おめでとうございます。東京大学の教員と職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。また、この日に至るまで、皆さんを支えてきて下さったご家族の皆さまにも、感謝の思いとともにお祝いの気持ちをお伝えしたいと思います。

 このたび大学院を修了する学生の数は合計で3,997名です。そのうち留学生は461名で、全体の1割あまりの皆さんということになります。修了者数合計の内訳は、修士課程2,765名、博士課程891名、専門職学位課程341名です。これまでの通例では、学位記授与の式典は、本郷の安田講堂において2回に分けて行われてきました。今年は、安田講堂の耐震改修工事のために、この有明コロシアムで執り行うことになりましたが、結果としてこの式典は、文系理系を問わず、大学院を修了するすべての皆さんが一堂に集う、きわめて希な機会となりました。ご家族の皆様も別会場ではなく同じ場にご参加いただいています。このようにこの場に集った皆さんを見ると、改めて、これからの日本や世界の学術を、そして社会を、先頭に立って担っていくであろう、力強い熱気をひしひしと感じます。

 

 これまで、皆さんは、大学院で研究を進める中で、学部での幅広い勉強や経験とはまた違った形で、より主体的・能動的に考察の対象を絞り込んで掘り下げながら、能力を磨いてきたことと思います。そのことによって、皆さんの中には、ある特定の分野においては、研究の仲間たちはもちろん、指導教員の知識さえも超える水準の成果を達成した人も少なくないはずです。つい先日も、東京大学総長賞という学生表彰が行われましたが、そこで、大学院の皆さんの優れた研究成果を垣間見ることができ、まことに嬉しく、また誇らしく感じました。表彰を受けた研究成果はもちろんですが、表彰までには至らなかった研究も含めて、実に幅広い学問分野にわたって皆さんが卓越した成果を生み出していることに、深い感動を覚えました。
 皆さんのこれからの進路はさまざまでしょう。学位記を受け取り、すぐに社会で活躍しようとする人もいれば、引き続き大学の中で、さらに専門的な研究を深めていこうとする人もいます。これまでの研究を通じて自分の能力の大きな可能性を確認したはずの皆さんには、それが企業など社会の場であれ、あるいは大学の中、研究室の中であれ、自信をもって自らの力を発揮し、またさらに鍛えていってもらいたいと思います。
 そうした皆さんに私が期待したいのは、日々の仕事や研究を通じて社会や学術に対する具体的な貢献を行う中で、「時代の精神」というテーマを意識してもらいたいということ、またその形成に与るという意識を持ち続けてもらいたいということです。

 いまの日本社会については、将来の見通しの不透明さがしばしば語られます。また、日本に限らず、世界の国々がそれぞれに、予測や取り組みの難しい数多くの課題を抱えています。こうした不透明さの背景として、金融危機や国際社会におけるパワーバランスの変化、地球温暖化やエネルギー問題、食糧問題、少子高齢化の問題など、皆さんもおそらく多くの要因に思いあたることと思います。また、こうした不透明さ、そしてそれと結びついた漠たる不安感の存在には、それぞれの課題を規定している要素の多様さや複雑さ、さらに関連する情報の膨大さやスピードが、拍車をかけているように感じます。いずれにしても、こうした構造の下では、何か一つの手段や方法をとれば、それで課題がすぐに解決するという状況は想定しにくくなり、複数のさまざまな手段を組み合わせ、また手段や方法をたえず修正し続けるといった、粘り強い取組みが求められるでしょう。そして、さまざまな専門分野が互いに連携し協調し合うことがますます不可欠のこととなるはずです。

 このような取り組みにおいては、何よりまずは目に見える具体的な成果が期待されます。とくに今日の社会では、科学技術の発展に対する期待の大きさには格別のものがあります。科学技術立国といった言葉は、すでにかなり以前から用いられてきた言葉ですが、近年の日本の活力再生を目指す議論の中で、改めて真剣味をもって語られるようになっています。今日、この場では、多くの留学生の皆さんも修了の日を迎えていますが、皆さんの国でも、科学技術に対する期待には格別のものがあるはずです。そして、そうした期待の強さは、「イノベーション」という、最近よく使われる言葉にも象徴されているように感じます。科学技術の発展は常にイノベーションの積み重ねであるはずなのですが、あえてことさらに「イノベーション」という言葉が強調されるのは、これまでの延長線上での発展だけではなく、一段の飛躍となる技術開発が期待されているということです。そうした大きな変化が学問研究にも求められている時代です。
 言うまでもなく、時代の課題に応え、これからの新しい社会作りにかかわるのは科学技術だけではありません。制度や経済、あるいは教育や文化などのあり方といったことも、重要なテーマです。実際、この間の金融危機の中では、金融や経済システムのあり方が大きな論争の的になり、資本主義そのものを見直そうという議論も出てきました。また、日本の国内の法制度に目を向けても、120年ぶりに民法を大改正しようという取り組みがすすんでいますし、あるいは憲法という国の大本にかかわる法の改正論議もはじまろうとしています。ここでも、これまでの制度の仕組みが根本から問われるような大きな変化の可能性がうかがわれ、そこにさまざまな人文科学や社会科学がかかわる役割には少なからざるものがあります。そして、科学技術にせよ、社会のさまざまな制度やシステムにせよ、それらの大きな変化を促していくのは、個々の知識や知恵や工夫であるとともに、「時代の精神」であると、私は感じています。

 「時代の精神」という言葉を用いると、あるいはドイツ哲学の系譜の中で、精神文化の発展段階論的な議論の中で使われてきた用語法を思い起こす人もいるかもしれません。ここでは、それほどの深い意味はなく、ごく一般的な用法として、ある時代を構成するさまざまな要素-それは、政治であり、経済であり、社会の組織・構造であり、文化であり、人びとの日々の生き様であるわけですが-、そうした諸要素全般を規定するような影響を及ぼす精神思潮、といったものを意味しています。日本の近代史の上でも、欧米へのキャッチ・アップが時代の精神であったこともあれば、国家主義が、民主主義が、あるいは経済的な豊かさが、時代の精神であった時期もあります。
 ここであえて「時代の精神」という言葉を用いたのは、皆さんがこれから個々の分野で力を発揮し、技術や制度といった社会の外形を作っていくにあたって、その外形に大きな変化を生み出していくその背景に存在するかもしれない社会的な流れは何か、ということをも意識してほしいと思うからです。皆さんが大学の中で培ってきた能力は幅広く豊かなものであるはずですから、その力を、次の社会を形成する、いわば要素技術の創出だけにとどまらず、その要素技術を生み出し、それらに力を与えていく背景となる社会の無定形なものへの洞察にまで、発揮してもらいたいと思うのです。
 こうした時代の精神ということに私が言及するのは、さらにまたいまの日本社会において、あるいは世界の多くの国々において、さまざまな課題を克服しようと取り組みがなされていく時に、個々の具体的な技術開発や制度形成だけでは、人びとになお落ち着かない感覚が残るように感じるからでもあります。今日のように複雑で大きな変化が起きている時代には、目前で個々の取り組みがなされているようであっても、そうした取り組みが時代の流れの中でどのような位置にあるのかを直感できなければ、漠たる不安が残るのが人間という存在であろうと思います。課題への個々の取組みが、時代の精神とマッチしていることを感得して初めて、人は安心できるように思います。

 私がこうした思いを漠然ともっていたところでたまたま接したのが、本学の工学系研究科で建築学を担当している隈研吾教授の「小さな建築」という話です。隈教授は、「強く合理的で大きな」建築に対して「小さな建築」ということを提唱しています。そこで「小さな建築」の例として挙げられているのは、小さな材料単位であり、「もたれかかる」技術であり、「木を織る」という発想です。詳しいことは、関心があれば、隈教授の本を読んでいただくとよいのですが、教授は、歴史上で「大きな災害が建築の世界を転換させてきた」と語りながら、一昨年の東日本大震災の経験から、「強く合理的で大きな」ものの限界を感じて、自立的な「小さな建築」に興味が移っていった、と述べています。その著書の一節を引かせていただきますと、「いまや世界は大きなものから小さなものへと流れはじめている。人間という生物が、自分一人の手を使って世界と対峙しようとしている、大きなシステム(たとえば原発)を受け止めるだけの受動的存在から、自ら巣を作り、自らエネルギーを手に入れる能動的な存在へと変身を遂げつつある」、と記されています。

 つまり、ここに述べられている「大きなものから小さなものへ」というのが、時代の精神ということです。こうした「小さなもの」へのシンパシーの感覚は、たしかに東日本大震災の後に、少なからぬ人びとによっても共有されていたものです。つまり、それは、教授個人の思想にとどまらず、時代の精神という意味合いを持っていたということになります。
 こうした捉え方に対しては、おそらくいろいろな意見があるだろうと思いますが、ここでのポイントは、それに同意するかしないかではなく、この例に見られるように、時代の精神思潮を意識してこそ、自分たちが日々行っている活動-隈教授の場合は、それが建築ということになるのですが-、そうした活動の位置や意味が見えてくる、そして、たんに瞬間的な満足感や論理的な納得とはまた異なった次元の安心感や達成感が生まれるであろうし、さらに、そうした意味づけがまた、新しい取り組みを生み出す後押しもするだろうということです。ある技術にしても、ある制度でもシステムでもよいのですが、それ自体としての有用性、有効性だけでなく、それを越えて、さまざまな他の分野にも、さらには人々の生き方にさえも影響を及ぼしていく力を内在させている時に、それは時代の精神の発露としての色合いを帯びることになります。皆さんには、日々の仕事や研究においてそうしたものを意識するのみならず、その形成に与ることのできるだけの時代に対する洞察力と構想力が備わっているはずだと信じています。

 いまの時代の大切な価値の一つとして、多様性ということがよく語られます。時代の精神というのは、それに反する感覚のように思われるかもしれません。しかし、私たちは、多様性という価値を語るだけで、そこで思考停止をしていなかったか、その先にあるもの、あるべきものまで踏み込んで見つめようとしなかったのではないか、と考えてみる必要もあります。また、時代の精神というのは、決して永遠不変のものではなく、その変化を促していくものこそが多様性の存在だろうとも思います。
 同様の意味において、学術というものは、本来的にまさしく時代の精神の揺りかごとなるものです。時代の精神をつねに新たに生まれ変わらせていくものこそ、学術のもっている豊かさです。学術は、その内容において時代の精神に影響を与えるだけでなく、好奇心に充ち溢れた知的な試行錯誤が許容される自由闊達さ、あるいは事物や論理の新たな発見に感動できる精神的な豊かさといったものに象徴される学術のスタイルそのものが、いつの時代においても、その折々の時代の精神の基盤を構成する不易の要素であっても不思議ではないように思います。

 変化のまことに激しい時代ですが、それだけに、東京大学という場で学術というものに本格的に携わる経験をもった皆さんの知的な力の幅と豊かさが、新しい時代の技術や制度などといった外形を作るだけでなく、同時に時代の精神を直観し、あるいはそれを生み出すのに寄与することが期待される時代でもあります。大学院の課程を修了した皆さんの、これからの大いなる活躍をお祈りして、告辞を終えることとします。

平成25年3月25日

東京大学総長
濱田純一

 

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