平成25年度東京大学学部入学式 総長式辞

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式辞・告辞集 平成25年度東京大学学部入学式 総長式辞

 このたび晴れて東京大学に入学なさった皆さん、おめでとうございます。東京大学の教員と職員を代表してお祝いを申し上げます。
 また、この日を心待ちになさっていたであろうご家族の皆さまにも、心よりお祝いを申し上げたいと思います。ご家族の皆さまは、この東京大学への入学を目指して全力を振り絞っているお子さんをしっかりと支えるべく、大きな力を注いでこられたことと思います。その過程では、嬉しいこともあれば、苦しいこと、あるいは、はらはらしながら見守ることもあったことでしょう。私自身の経験を振り返ってみても、ここにいる新入生の皆さんは、言葉には必ずしも出来ないにしても、ご家族の皆さまに対して深い感謝の思いをもっているはずです。今日これから、新入生の皆さんにどのような大学生活を送ってもらいたいかをお話ししますが、ご家族の皆さまにも、東京大学としての教育姿勢をご理解いただき、またご協力もいただければと思います。

 今年の学部入学者は3,153名です。その内訳は、文科一類から三類までの入学者が1,301名、そして理科一類から三類までの入学者が1,852名となります。また、このうち留学生の数は、40名です。これだけの数の皆さんが、これから素晴らしい教職員や仲間たちと出会って、大学生活の間に大きな成長を遂げていかれることを願っています。

 私たちを取り巻いている周囲の状況の厳しさについては、皆さんも承知していることと思います。東日本大震災からの復興は言うまでもなく、経済の見通し、日本の国際的な地位、社会の少子高齢化、あるいは環境・エネルギー問題など、課題は枚挙にいとまがありません。しかし、多くの課題があればあるほど、また直面する課題が困難であればあるほど、「学ぶ」ということの意味は大きくなってくるはずです。また、若い皆さんに対する社会の期待も大きくなってきます。実際、この間、いわゆる「グローバル人材」の育成に対する社会からの期待には、大きなものがあります。東京大学は大学憲章の中で、「世界的視野をもった市民的エリート」を育成することを宣言していますが、「グローバルである」ということの意味は、ただ英語などの外国語でコミュニケーションが出来たり、海外で活躍したりということだけではありません。自分とは異なった考え方や生き方や価値観をもっている人たちと深く触れ合い、あるいは悩んだり、あるいは刺激を受けたりしながら自らを成長させていくこと、つまり、「世界の知恵を自分のものにしていく」ことだと、私は考えています。そうした出会いを意義あるものとしていくために必要なのが、知的な力です。また、そうした世界のもつ多様性との出会いを通じて、知的な力は高められます。
 いま、「知的な力」という言葉を使いましたが、私はこの知的な力を必ずしも、良い成績がとれる、良い論文が書けるといった学問的な能力の意味に限定しては考えていません。こうした能力は、とりわけ研究者として生きていく場合は決定的な要件であることは言うまでもありませんが、皆さんの多くがそうであるように、社会で幅広く活躍する場合には、学問的な能力をベースとして、その能力を駆使しながら、多くの人々との交わりを通じて、社会の中で技術や制度や経済や文化などを創り出していくことの出来る、総合的な力をイメージしています。

 皆さんにそうした知的な総合力を身につけてほしいと願うときに、何より皆さんに期待するのは、大学にいる間に死に物狂いで学んでほしい、ということです。たしかに皆さんはこれまで大いに勉強をしてきましたが、学問の世界で、あるいは社会で活躍していくためには、まだまだ沢山の知らないことがあるということを強く自覚して、学ぶことに対するハングリーさ、飢餓感をもってもらいたいと思います。人を成長させていくのは、そうした飢餓感です。
 「学ぶ」ということについては、教科書や本で、教室で、実験室で学ぶということのほかに、社会の中で学ぶということも併せて強調しておきたいと思いますが、そのことには後ほど触れるとして、何よりまず、大学に入ったばかりの皆さんには、これまでと同じ、あるいはそれ以上の努力と緊張感をもって勉学に励んでもらいたいと願っています。皆さんは、受験生活をやっと終えて少しのびのびしようとしていたところでまた勉強か、とうんざりするかもしれません。しかし、これからの時代は、皆さんがたんに日本の中でのエリートであるにとどまらず、世界のエリートとして活躍することを期待しています。そのために、さらに学ぶべきことは無限にあります。
 日本の学生は、例えばアメリカの学生などと比べて概して勉強をしないと言われます。東大生の学習時間に関する調査があります。学部の1年生から3年生の学習時間は、平均して週6時間から10時間という学生が多いのですが、これは国内の他の大学とほぼ同じ水準です。それ以上の時間数を学習している学生の割合となると、国内の他の大学よりは多いのですが、アメリカの有力な大学と比べると少ないという傾向が明らかに見て取れます。私は常々、皆さんの知的な潜在力を、大学ではまだまだ伸ばし切れていないと思っています。

 この場合に意識しておくことが大切なのは、学ぶ、学習をするということの意味です。大学での学習に主体的な姿勢が強く求められること、また、ただ知識の量を増やすというだけではないことは、皆さんは、よく承知していることと思います。すでに皆さんは、東京大学への入学を目指す受験勉強を通じて、大学での学習の基礎となる方法論をある程度学んできているはずです。
 東京大学のアドミッション・ポリシーの内容を思い出してもらいたいと思います。そこでは、「東京大学が求めているのは、本学の教育研究環境を積極的に最大限活用して、自ら主体的に学び、各分野で創造的役割を果たす人間へと成長していこうとする意志を持った学生です」、と記されています。そして、「高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと」として、各教科において、正確で十分な知識に裏打ちされた、論理的な表現力、分析的思考力、総合的な理解力、あるいは、問題や現象の本質を見抜く洞察力・読解力といったものを求めてきました。私たちはそうした力を、入学者を選抜するための便宜として求めているわけではありません。そうではなく、このような力が、大学で皆さんが主体的な学習を行い、知性に裏打ちされた創造力を培っていくために欠くべからざる資質であると考えているのです。

 大学でこのような学習を皆さんが行っていこうとするときに、じっくり考える時間というものが必要になります。とにかく効率的に多くの知識を覚え込んでいく、というのとは違った性質の時間が必要です。このことについて、歴代の東大総長が、入学式の式辞の中でしばしば触れておられます。大河内一男総長、第18代の総長で、ちょうど私が大学に入学したときの総長ですが、昭和39年の入学式式辞の中で、大学では「自分で考える」ことが大切だと説きつつ、次のように述べておられます。「実務的な細目知識からしばらく離れ、基本の問題を理解し、見識をふかめ、そして自分自身の頭でものを考え、自分自身の意見、ともかく仮りにそれが下手な意見であっても、自分自身のものをもつことが諸君のなすべき第一義のことです。そのためにはどうしても、ある意味ではムダだと思われるような時間を諸君はもつことが必要でしょう」、と。また、「大学生活は、このように試行錯誤が許され、引き返すこと、やりなおすことが許されるところに特色があります」と述べて、「真剣な道草」の必要性を昭和58年に行われた入学式式辞の中で説かれたのは、第22代の平野龍一総長でした。
 このような、一見するとムダな時間があるような、あるいは道草のような、そうしたじっくりとした学習を皆さんには大学で行ってもらいたいと思います。そうした時間をもつことも含めて、さきほど、皆さんにもっと学習のための時間をとってもらいたい、ということをお話ししたのです。

 「学ぶ」ということ、それを、このように学問の場において真摯に行うとともに、さらにより広い社会的な場でも行っていくことが、今日のように大学と社会との結びつきが強まっている時代には、とくに求められています。ただ、そうした問題意識は、ずいぶん以前からもしばしば語られてきました。
 さきほどお二人の東大総長の言葉を引きましたが、もうお一人の総長の言葉を引いておきたいと思います。それは、第二次世界大戦後の東京大学の再出発にあたって、精神的な指導者としての役割を南原繁総長とともに果たされた矢内原忠雄総長の言葉です。矢内原総長は、戦争を経た経験に立って、「日本の大学が知的技術者を養成するところであって、人間をつくるところでなく人間養成という点では過去の大学は失敗であったという批判に対しては、われわれとしても反省の価値がある」としながら、さらに次のように述べています。
 「教室及び実験室を通じて体得されるべき科学的精神と、教室外の生活によって得られるべき人間の形成、人生観の確立によって、諸君が単なる知的技術者たるに止ることなく、人間としての価値と責任を自覚して世に出でることが出来るならば、それがどれだけ諸君の益となるか、又どれほど日本並に世界人類の益となるか知れないのである。諸君が数年の後本学を卒業する日において、そういう方向に高められた諸君であり得るならば、それこそ諸君が大学で学んだ最大の利益であらう」、と。

 ただ、このように一見ムダと思われるような時間を過ごすことの効用を言い、あるいは教室外の生活によって得られるであろう人間形成の大切さを語るにしても、そうした時間の余裕を見つけるには、いまの東京大学のカリキュラムはかなり密度の高いものになっています。皆さんのご両親たちの時代と比べると、学問はさらに発展し、あるいは細分化し、複雑になっており、学んでもらいたい知識のボリュームも大きく増えています。それを何とか皆さんに身につけてもらおうと、教員は大変な努力をしています。
 私は、こうした密度の高いカリキュラムや他大学と比較しても多い卒業単位数には、皆さんの知的な力を効果的に伸ばしていくためにそれなりの理由があると考えていますが、それと同時に、本当にこのままでよいのかという疑問も持っています。教育のあり方としては、もっと学生自身が主体的な学びを行うこと、またそのための時間的余裕のあることが必要ではないか、という思いです。実際、意欲と能力のある学生には、より主体的な学習や国際経験、社会体験が出来るような機会を、いま大学としても積極的に増やしつつあるところです。
 ただ、こうした取り組みを大学の側で進めているだけでは意味ある変化は起きません。より良い教育の姿という餌を皆さんがただ口を開けて待っているだけでは何事も変わりません。ここでは、皆さん自身が、学問であれ社会的な事柄であれ、主体的に学ぼうとする意欲を行動で示してこそ、新しい段階に進むことが可能となります。そうした皆さんの主体性と大学の取り組みとが一体として動いてこそ、新しい時代を支える東京大学の教育の姿が生まれてくるものと信じています。

 皆さんが、大学の中であれ外であれ、主体的な活動を行うためには、東京大学というのはまことに頼りになる組織です。東京大学の教員はおよそ4,000名近くおり、きわめて広範な学問領域をカバーし、しかも国際的にみても最高水準の研究を行っていることはご承知のとおりです。また、事務系・技術系の職員は約2,000名がおり、主なキャンパスは、本郷と駒場、そして千葉県の柏の3つですが、さまざまな実験施設や観測施設、演習林などが、北海道から鹿児島まで、日本全国に所在しています。さらに海外にも、各国の大学や研究機関との協力によって、何十もの研究拠点が設けられています。こうした東京大学の強さを、皆さんには存分に活用してもらいたいと願っています。
 こうした強さと同時に、東京大学という組織のもっているいくつかの弱さも、この機会に率直に申し上げておきたいと思います。皆さんが自らの頭で考え行動しようとする時に、いまの東京大学の姿を所与のものとしてその枠の中だけに留まるのではなく、この組織の弱さ、限界も知り、場合によっては大学の枠を超えて皆さんが活動するということも、私は期待しています。

 そうした弱さの一つとしてまず挙げておかなければならないのは、学生の流動性という点での国際化の遅れです。グローバル化ということが大きな時代の課題となっているこの時期に、この面での遅れはきわめて深刻なものがあると私は考えています。もっとも、東京大学の教育研究活動全体として国際化が遅れているとは私は全く思いません。むしろ逆です。もともと東京大学という組織は、その創立の当初から国際的な交流と国際的な水準を強く意識してきた大学であり、また今日、研究の面では強い国際的競争力をもち、また教育の内容も世界の学術との密な交流の上に高い水準を具えていることは、自信を持って語ることのできる事実です。ただ、こうした伝統的な国際性の高さが、逆説的なのですが、学生の国際的な流動性の促進には阻害要因になっている面がある気がします。すなわち、東大の中にいても国際的な水準の内容の授業を受けることができる、そのために密度の高いカリキュラムが組まれている、あるいは大学院への進学率が高いとくに理系学生の場合は、大学院に入ってからでも国際的な経験を積む機会がある、などといった事情が、学部学生の国際的な流動性を減じているように思います。
 ただ、それでも私は、学部生の間に国際的な経験をすることは、このグローバル化の時代にはきわめて重要なことであると考えています。実際、卒業時に学生に対して行っている学生生活の満足度調査というものがありますが、そこでは、たくさんの項目で全体として満足度が高い中で、国際経験については「満足」ないし「まあ満足」と答えた学生が28%、これに対して「満足していない」ないし「あまり満足していない」と答えた学生が68%、7割近くにも上っています。
 この点に関連して注目しておきたいのは、アメリカの有力大学における学生の国際的な流動性の状況です。それらの少なからぬ大学では、学部学生の半分以上が、在学中に外国へ行って勉学をする、インターンをする、ボランティアをするといった経験を持っており、大学もそうした機会を持つことを奨励しています。アメリカですから、海外に出かけて英語をトレーニングするというのは、目的として意味がありません。それは、私がさきほどグローバル化の意味としてお話したこと、つまり、感受性が豊かで柔軟性があり失敗も許容される若いうちに、世界の持っている多様性と出会う経験をしておくこと、それが「世界の知恵を自分のものにし」、このグローバル化の時代に大きな力となることを、それらの大学、また、それらの大学の学生が強く意識している、ということであろうと思います。
 そうした思いを私も共有をして、いま日本人の学生の海外への送り出し、そして海外の留学生の受け入れの拡大のために力を注いでいるところですが、システムが変化していくためにはどうしても時間がかかります。大学としての変化に並行して、皆さん自身も、これからの急速なグローバル化の動きについて認識を深め、また必要と思うチャレンジを行っていってもらいたいと思います。

 このような、学生の国際的な流動性という問題のほかにも、東京大学はとくに多様性という点で、ある面での弱さをもっています。それは、かなりの部分が東京大学の強さと裏腹の関係にあるとも感じていますが、弱さとしてもっとも気になるのは、学部の学生構成の均質性です。つまり、首都圏出身の学生の割合の高さ、中高一貫の進学校出身者の割合の高さ、学生の家庭の平均収入の高さ、あるいは女子学生の割合の低さ、さらには、今日この場には海外からの新入生の皆さんも出席していますが、そうした留学生の数の非常な少なさ、です。このような学生構成は、現実の社会の状況と、あるいは現実の国際社会の状況と、大きくかけ離れており、皆さんが多様性に満ちた環境の中で知的な力や社会的な力を鍛える機会を減じています。大学としても多様性を増やすようにさまざまな努力を続けていますが、理想的な姿は一朝一夕には実現できないことです。ただ、皆さんが、自分の置かれている環境に、沢山の強さとともにそうした弱さもあるということを認識しておくことは大切です。弱さは意識しなければ弱さのままですが、それを意識し克服しようと正面から向き合うことで、強さに転化させることができます。皆さんが、大学を卒業した後社会に出て、あるいは世界に出て仕事をしようとする時に、能力を競いあう相手となるのは、少なからずが、幅広い多様性を経験して、その中で揉まれてきた人たちであろうことに、想像をめぐらせてもらえればと思います。

 このたびの式辞は、新入生の皆さんに注文の多いものとなりました。ただ、それは、大学としても、こうした課題を強く意識し、しっかりと取り組みをすすめようとしているということのメッセージでもあります。今日のこの入学式が、より素晴らしい教育を目指す大学と皆さんとの共同作業のキックオフとなることを願いながら、そして、新入生の皆さんの知的なハングリー精神の発揮に大いに期待をしながら、私の式辞を終えることにします。
 

平成25年(2013年)4月12日
東京大学総長  濱田 純一

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