平成25年度東京大学学部入学式 教養学部長式辞


式辞・告辞集 平成25年度東京大学学部入学式 教養学部長式辞
東京大学に入学された皆さん、本日はどうもおめでとうございます。また、ご家族の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
すべての新入生を最初にお迎えする教養学部の教職員を代表いたしまして、ひとことご挨拶申し上げます。
皆さんは、この日を迎えるまでに、人一倍の努力を重ねてこられたことと思います。その努力がこうして報われたいま、次の目標として、いったいどんなことを思い描いておられるでしょうか。
東大に入った以上、まずは勉学にいそしんで、早く先端的な学問の姿に触れてみたい、という期待感に満ちている人もいるでしょう。あるいは、とりあえず勉強よりもサークル活動に打ち込んで、友人の輪を広げてみたい、という人もいるでしょう。
中には、せっかく受験勉強も一段落したのだから、このさい新しい体験に挑戦して自分を鍛えてみたい、という人もいるかもしれません。今年度からは、初年次長期自主活動プログラム、通称FLYプログラムが開始されましたので、これに応募して海外留学や体験活動を計画している人もいると思います。
これからの過ごし方については、もちろん皆さんが自分で決めるべきことですが、どんな過ごし方をするにせよ、大学生活を始めるにあたって、ぜひ心にとどめておいていただきたいことがいくつかあります。
まず、第一に申し上げておきたいのは、あたりまえのことですが、大学での勉強は、高校までの勉強とは本質的に異なるものであるということです。
これまでの勉強は、もっぱら、与えられた問いに対する「答え」を探すことに主眼があったと思います。厳しい入学試験を経て、皆さんがこうしてこの場にいるということは、取りも直さず、限られた時間の範囲内で、相対的により多くの「正解」を探し当てる能力を身につけてきたということにほかなりません。
そのこと自体は、もちろん正当に評価されてしかるべきことでしょう。しかし、たとえば次のような問いが突きつけられたとき、皆さんだったらどう答えるでしょうか。
「労働することで何が得られるか?」
「あらゆる信仰は理性に反するか?」
「国家がなければわれわれはより自由になれるか?」
「われわれには真理を探究する義務があるか?」
いずれも即答することのできない問いばかりであり、皆さんはきっと頭を抱えて考え込んでしまうのではないでしょうか。私自身も、即答することはできません。
じつをいえば、これらはすべて、フランスの大学入学資格試験であるバカロレアの哲学部門において、昨年、実際に出題されたものです。つまり、フランスでは皆さんと同じ年代の高校生たちが、こうした問いを通過して大学に入学してくるわけです。
もちろん、文化も制度も異なる国の試験を単純に比較して、その良し悪しを云々するつもりはありません。また、こんな問題を出して、いったいどうやって採点するのだろうと、ひとごとながら、余計な心配をしたくもなります。けれども、皆さんがこれからの人生で直面するであろう問題の大半が、このように、あらかじめ決まった答えが用意されているわけではない「正解のない問い」であることは確かです。
皆さんは、ひところ話題になったマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」のことをご存じだと思います。そこで提起されていたのも、「金持ちの税金を貧者に分配するのは公正か?」とか、「前の世代が犯した過ちについて、私たちにつぐないの義務はあるか?」といった、「正解のない問い」でした。
こうした問いを前にして必要なのは、もはや正解を探し当てる能力ではなく、筋道をたてて思考する能力であり、その思考の過程を他者に向けて明快に説明する能力です。重要なのは、最終的な解答に到達することではなく、思考のプロセスそのものである、と言ってもいいでしょう。
それだけではありません。皆さんはこれから、「問い」そのものがいったい何であるのか、どこにあるのか、そうしたことさえわからない状況に、しばしばぶつかることになると思います。「答え」が用意されていないだけでなく、そもそも「問い」自体が与えられていない―そうした事態に直面したときには、いったいどうすればいいのでしょうか。
当然ながら、私たちは自分で「問い」を発見しなければなりません。
身の回りに転がっている日常の小さな問題から、世界の未来や宇宙の成り立ちに関わる大きな問題まで、この世にはさまざまなレベルの問いが満ちあふれています。ところが、それらの問いは、ただじっと待っていても、私たちの前にひとりでに開示されるわけではありません。また、誰かが目の前に差し出してくれるわけでもありません。
自分の意思で、社会のさまざまなできごとや、自然の多様な現象に注意深く視線を注ぎ、それらと真剣に対峙し、さらにはこちらから能動的に働きかけ、自明と思われていることに疑問符をつけ、みずからそれを「問い」として構成するのでないかぎり、それはけっして「問い」として立ちあがってはこないでしょう。
では、こうして「問い」を立ちあがらせるためには何が必要なのでしょうか。これから「教養学部」で学ぶ皆さんの心にとどめておいていただきたい第二の点は、このことに関わっています。すなわち、「教養」という言葉の本当の意味はいったい何なのか、ということです。
私たちはしばしば「あの人は教養がある」という言い方をしますが、それはたいてい、自分の専門外のことも幅広く知っている、といったことを意味しています。しかしながら、いくら知識が豊富であっても、それらが単なる断片の集積にとどまっていたのでは、本当の意味で「教養がある」とはいえません。さまざまな知見が有機的に関連づけられ、全体として構造化され、いつでも動員できる状態にまで高められていてはじめて、それらは真に「教養」の名に値するものになるでしょう。
そしてそのような意味での「教養」こそが、先ほど述べた「問いの発見」を可能にするものであると、私は考えます。いわば、教養とは鍛えぬかれた知的身体に宿る、「みずから問いを発見する力」にほかなりません。
皆さんがこれから過ごすことになる駒場での二年間は、しばしば「教養課程」と呼ばれますが、もし皆さんの中に、「教養課程」とは「専門課程」に進む前の予備段階であり、駒場での二年間が終わればそれで完了するものであるという考えがあるとすれば、そうした先入観はぜひ捨ててください。
「教養課程」とは、わずか二年間で「完了」するような性格のものではありません。それは皆さんが後期課程に進んだ後でも、さらには大学院に進んだり、就職したりした後でも、休みなく継続されなければならない、不断の営みです。
というのも、ある学問を深く究めていけばいくほど、それを他の分野と関連づけて俯瞰する力、すなわち「みずから問いを発見する力」としての教養が、ますます重要性を増してくるからです。その意味で、「教養」と「専門」は車の両輪のように、絶えず連動していなければならないものであると、私は思います。
さて、これから大学生活を始める皆さんに申し上げておきたい第三の点は、以上にお話ししてきた二点とは少し違ったレベルのこと、身心の健康に関わることがらです。
皆さんはこれから、高校までとはまったく異なる環境の中で新しい生活を始めるわけですが、はじめのうちは慣れない雰囲気に戸惑うことも多いでしょうし、クラスやサークルでの人間関係に悩んだりすることもあるでしょう。時には、自分はなぜ生きているのか、これからどう生きていけばいいのかといった、それこそ「正解のない問い」にとらわれて、出口の見えない森の中に深く迷い込んでしまうこともあるかもしれません。
これは皆さんの年頃には当然のことであり、何も特別な現象ではないということを、まず申し上げておきたいと思います。青春というのは、いわば無防備に肌をさらけだして、じりじりと照りつける直射日光の下を歩いていくようなものです。時には精神が火傷を負うこともあるかもしれませんが、それは大人として成長していくための、一種の通過儀礼のようなものだと思ってください。
けれども、中には自分の痛みを共有してくれる家族や友人が身近におらず、どうしていいかわからなくなってしまうケースも、ないとはいえません。そんなときは、自分ひとりで問題を抱えこまずに、どうぞ気軽に相談に来てください。教養学部には、悩みを抱えた学生さんたちを支援するために、さまざまな窓口が用意されています。また、私たち教員や職員も、皆さんが少しでも安心して学生生活を送れるように、できる限りのお手伝いをしたいと思っています。
そして、さらに具体的なお願いをひとつ申し上げておきます。それは、飲酒に関しては、くれぐれもルールと節度を守っていただきたい、ということです。
皆さんの大半は未成年だと思いますが、ご存じの通り、未成年の飲酒は法律で禁じられています。また、たとえ成年に達していたとしても、度を越したアルコールの摂取がきわめて危険であることは、言うまでもありません。
特に入学後間もない時期は、開放感にまかせて、つい羽目を外したくなってしまうものですが、どんな場合でも東大生としての自覚をもち、けっして守るべき節度を踏み外すことのないよう、強く注意を喚起しておきたいと思います。この場にはご家族の方も多数いらっしゃると思いますが、ご家庭でもぜひこのことを徹底してくださいますよう、お願い申し上げます。
入学式という晴れやかな場で、このようなお願いをすることは、いささか唐突であり、必ずしも適当ではないかもしれません。しかしそのことは十分承知しながらも、事の重要性を認識していただくために、あえてこの場を借りてひとこと申し上げた次第です。
以上、大学での学問のあり方から生活上の注意まで、いくつかのことをお話しいたしました。どうぞこれらのことを心にとどめた上で、それぞれの目標に向けて充実した大学生活をスタートさせてください。
最後に、皆さんがエリートとしての誇りを胸に、学問への高邁な理想とみずみずしい情熱を絶やすことなく、遠からず、現代社会に山積する数多くの課題に果敢に挑戦してくださることを期待して、私の式辞といたします。
平成25年(2013年)4月12日
東京大学教養学部長 石井 洋二郎
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