平成25年度東京大学大学院入学式 数理科学研究科長式辞

式辞・告辞集 平成25年度東京大学大学院入学式 数理科学研究科長式辞

 東京大学大学院修士課程に入学された皆さん、博士課程に入学、進学された皆さん、本日はご入学ご進学おめでとうございます。ご家族の皆様、関係者の皆様、誠におめでとうございます。東京大学大学院の教員一同、研究の仲間として皆さんを迎えられることを大変嬉しく思っております。
 この東京大学には学術研究の伝統があります。また東京大学は、新しい時代への最先端の研究が日々行われているところです。皆さんには、この東京大学の環境を生かして存分に研究に邁進していただきたいと思います。社会の中の東京大学大学院を考えますと、皆さんが研究に邁進し学術の発展に寄与することは、社会がそのために投資していることであり、皆さんの使命でもあります。

 しかし、そういうことはわかっていても、これからどう研究をしていくかということについて、不安を持っている方もおられるかもしれません。私自身、この東京大学で数学、特に幾何学の研究をしてきました。しかし最初から数学の研究がどういうものであるかわかっていて研究を始めたわけではありません。

 私は三十七年前に修士課程に入学しました。その時の大学院進学の動機は何だったのかを時折思い出すことがあります。確かに大学で勉強した数学は面白いものでした。面白いものをもっと見てやろうという気持ちもありましたが、正直な気持ちは、「それまで勉強したことでは、まだ自分は、何かわかっているとはいえない」というものでした。大学院以前の話となりますが、数学科に進んでみると、専門の講義、演習、セミナーというものは、それまで勉強してきたことと大きく違っていました。皆さんが大学生としてそれぞれの学科で体験されたことと同じだと思います。内容が高度である上に、それまでに経験したことのないスピードで進むのです。それが消化できないことが進学の動機であったわけです。

 そして修士課程に入学しましたが、強い問題意識を持って研究が始められたわけではありません。「まだ自分はわかっていない」という気持ちを引きずって目の前にあるものを勉強していました。つまり、セミナーや研究会に参加し、薦められた論文を読んだりしていました。そういうわけですから、正直なところ、ここにおられる特に修士に入学された皆さんには、明確な研究目的をもって始めなければいけないとは、なかなか言えません。

 少し話が変わりますが、理系の学問分野では「次元」がしばしば登場します。「点は0次元、直線は一次元、平面は二次元、我々は三次元空間に暮らしており、時間も考えに入れると四次元に生きている」ということです。次元とは何かを考えることは、数学自体においても非常に面白い問題です。数学の厳密化のために、「集合」を定義し、その上の様々な「構造」を定義し研究するという形に、数学自体が十九世紀の終わり頃から変わっていきました。「次元」の本質を考えることは、カントールが集合論を創った時からの問題ですが、現在でも面白い研究が行われています。例えば、フラクタルという整数値ではない次元によって図形の特徴を表現できることをご存じの方もおられると思います。

 私も次元の問題に出会いました。図形の性質の中で次元は最も基本的なものであり、二次元、三次元、四次元の空間それぞれに固有の理論があります。しかし大学院生の私に理解できたこととして、印象に残っていることの一つは、多くの幾何的な構造においては、次元の「差」が重要になるということでした。4次元空間のなかの3次元の図形を考えるときに鍵になることは、その次元の差が1であるということです。私自身は、次元の差が重要ということを意識するようになって、研究の対象が見えてきて、自分の研究の方向を考えることができるようになりました。新しいことを見つけ出すには、気持ちを強く持ち続けることが必要でもありました。その後、研究の面白さがわかること、つまり、苦しい思いをして山を登っていて、急に目の前が開け、頂上への道筋が見えるというようなこともあって、それに励まされて研究を続けてきました。

 この話では、研究は頑張っていれば、やがて何とかなると言いたいのではありません。次元の差が重要だということに、一人で勉強して自然に気が付いたのではないと言いたいのです。気が付いてみれば、様々なテキストにも書いてあることですから、一人で気が付いてもよかったはずのことかもしれません。しかし、こんな単純なことに気付いたのも、実際には友人や先輩と普段から話をしていたからです。

 数学の研究は、チームを組んで行う必要はないものです。共同研究を行う場合でも、三人を超えるものは珍しいと思います。論文は、普通は一人で書きます。しかし、それは他の人と関係を持たず一人で研究を行っているということではありません。一人でひたすら研究に励む時間も必要ですが、新しいアイデアについて他の人と議論をすることが必要で、それは非常に重要です。他の人のアイデアを聞くことと、自分のアイデアを他の人にわからせること、それが自分の研究を前進させる重要なプロセスです。話をすることで、問題の核心、問題のとらえ方がわかってきます。研究というものは、結局は人間の営みですから、このような議論をすることから進んでいく面が大きいと思います。そういう議論ができる環境あるいはコミュニティーが、伝統の力、最先端を担う力の一部でもあります。その議論のために、私のいる数理科学研究科では、毎日、午後のコーヒータイムを設けており、そのコーヒータイムの間、学生、教員が、コモンルームという黒板のある共同研究室に集まって、色々と雑談をしています。この雑談は、研究の重要な一部分です。

 大学院生として研究される皆さんにとって、どの分野を専攻される場合でも、他の人との議論あるいはコミュニケーションは、研究を進める上で必要不可欠であると思います。自分から進んで話をすることをお勧めします。

 ところで、アイデアというものだけで言うと、普段の生活の中で見たもの、聞いたものから出てくることも多いと思います。

 現在自分が行っている研究がうまくいかないと愚痴を言っている最中に、解決策が浮かんでくることもあります。ここにはご家族の方もいらしていただいていますが、ご家族と日常の会話をしていることは、大学院での研究の大きな支えになっています。研究以外の話をすることも重要なことです。

 これからの修士課程、博士課程の2年間あるいは3年間で、周りの人とうまくいっていて、研究費も十分にあって、自分の研究も順調であるということは、実際にはめったに起こりません。自分の進路の問題や研究以外の事も含めて、うまくいっていることはもっと難しいことです。私自身もそうでした。気持ちを強く持つことも必ずしも容易ではなく、いろいろと迷って、友人や先輩に話を聞いていただきました。あなたの周りのほとんどの大学院生は、あなたと同じように何らかの問題を抱えているものです。自分では抱え込めないということもよく起きます。そのときには周りの人に相談してほしいと思いますし、周りの人は友人として話を聞いてほしいと思います。大学院の専攻あるいは研究室に入ってしまうと知り合いがいないということも起こりますが、研究室の教員もスタッフも相談されるのを歓迎しています。また、本郷、駒場、柏及び白金の各キャンパスに学生相談ネットワーク本部という、そのための相談窓口もあります。そこに行けば大学院生活を豊かにするためのヒントが得られると思います。この場面でもご家族の方に支えていただくことがあるかと思います。ご家族の方からも何かありましたらご相談いただきたいと存じます。

 さて、大学院生となられる皆さんは社会から見ると研究者の一員です。皆さんの研究には社会の期待が寄せられていることは最初にも申しました。その研究において最も重要なことは正直であることです。ごまかしてはいけない、うそをついてはいけない、ということです。研究に向き合う姿勢の問題です。研究成果の発表においては、自分自身の研究を自分自身の言葉で発表する必要があります。自分の研究成果ではないものを自分の名前で発表するのは論外です。社会の中で研究をさせてもらっているという研究者の立場であれば、誰にでも説明できる研究姿勢を続けていかなければなりません。自分の良心に恥じない行動をすることです。正直な研究を行っていること、そしてそれを正しく発表することが、研究成果を未来につなぐことになります。それは、自分の研究分野の中での自分自身の信用を作るものでもありますが、社会へ正しく伝えることの必要性は、2年前の東日本大震災の折に、科学者に厳しく問い直されたことでもあります。これから研究を始められる皆さんも、そのことを踏まえて行動していただく必要があります。

 いろいろと申しましたが、修士課程、博士課程に入学進学されると、立場も変わりますし、環境も変わります。新しい環境で新しい気持ちで研究に取り組むことで新しい成果が得られます。確かに場所を変えるというのは、研究を進めるうえで非常に意味のあることです。私も二十六歳から二十八歳までの間ジュネーブ大学に行かせてもらいました。そのときに出会った多くの人たちと三十年以上たった現在でもやりとりを続けていますし、彼らと共同研究もしています。皆さんも大学院での研究を進めると国外で研究したり発表したりする機会が増えます。そこで多くの友人を得ることもできます。我々教員一同もそういう形で皆さんが自分の研究の幅を広げることを望んでいますし、出来るだけ多くの機会を提供しようとしています。それは伝統と最先端がともにある東京大学大学院の一員になって得られることの一つでもあります。そのときには新しいことにチャレンジする気持ちも必要です。

 入学進学された皆さんが、この東京大学の環境を生かして存分に研究に邁進していただき、いま申しましたように多くの方とコミュニケーションをとり、世界を舞台に素晴らしい活躍をされることを祈念して、私からの式辞とさせていただきます。

平成25年(2013年)4月12日
東京大学大学院数理科学研究科長  坪井 俊

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