平成26年度東京大学大学院入学式 祝辞

式辞・告辞集 平成26年度東京大学大学院入学式 祝辞

 平成26年度大学院入学式にお招きいただき、祝辞を述べさせていただくことを大変光栄に思います。このたび東京大学大学院に入学、進学された皆さん、心からおめでとうございます。また、ともにこの日をお迎えになったご家族の皆様にも心よりお祝いを申し上げます。

 本日から皆さんはそれぞれの専門分野に分かれて学問の道に進むわけですが、東京大学はまさにその専門的な知力を鍛える場です。東京大学は皆さんに学問の喜びを伝え、知的好奇心を刺激し、皆さんの目を一層輝かせることのできる素晴らしい大学です。

 私自身のことをふり返って見ましょう。私は1989年の冬学期に研究生として駒場の大学院総合文化研究科地域文化研究専攻に入り、1990年4月から1996年3月までに、修士課程・博士課程を修了し博士学位を頂きました。20世紀80年代に留学に来た中国人留学生といえば、小・中・高校時代のほとんどを文化大革命の中で過ごし、「知識は無用だ」といわれる時代に、まともな勉学ができず、高校卒業後農村に「下放」された世代です。1977年鄧小平の指示により大学の入試・試験制度が復活した際に、文化大革命の10年間待たされた「高校卒業生」が一斉に受験生となり、激烈な競争を経て、ようやく大学に入りました。その多くは、今度は「四つの近代化」政策の後押しを受けて、海外に留学しました。私もそうした世代の一人です。

 1990年4月に修士課程に入学すると、自分より一回りも年下の正真正銘の東大生たちと一緒に勉強するようになりました。彼らの多くは日本の受験有名校の出身者で、難関の中学・高校を経て東大に入り、さらに大学院にまで進んだエリートでした。なぜ、本郷ではなく、駒場の総合文化研究科に入ったのかと質問すると、「いままで学んできたものは一つの専門の学問の中だけでは処理できないことがいろいろあって、ここではそういうことを全部取りまとめて何か新しいものを見つけられるのではないか」というような意味の話をしてくれて、羨ましくてたまりませんでした。と同時に、このように優れた仲間から学問的な刺激を受けることのできる東京大学の環境は素晴らしいと強く感じました。さらに、文革の10年間で失ったものの多さをあらためて痛感し、この10年間の知的空白に、急いでいろいろな物を詰め込もうとして必死でした。学ぶことに対する貪欲さ、知的な飢餓感は、おそらく同じ時期の中国人留学生がみな感じていたことでしょう。

 ふり返ってみると、東京大学のリベラルな学問環境の中で6年間留学生活を過ごせたことは、自分にとってかけがえのない幸運であり、いままでの人生の中で最も知識を学んだ貴重な6年間であり、研究を進める上で大きな糧を得ることができました。東大生にとって何より貴重なのは、大学での研究を通じて自分の中にある力の大きな可能性を確認できることであり、その後の人生の中で、いかなる困難に遭遇しても、自らの力を発揮できるのだという自信をもらえることです。
東京大学のすぐれた研究と教育の環境は、皆さんに私の体験と同様の貴重な機会を必ずや与えてくれるはずです。ぜひ在学中にこの素晴らしい環境を思い切り活用して下さい。

 さて、現在の東京大学では世界第一級の研究・教育を維持するとともに、「グローバル・キャンパス」を構築することが重要な課題になっています。その際、特に重視されていることが二つあります。一つはより多くの、多様な留学生が東京大学で学ぶ環境を作ること、もう一つは国際的な学生交流の推進です。

 第一点に関しては、私が入学した1980年代の後半に、東大の学内はすでに国際的な色彩が濃く、キャンパスを歩いていると、英語・フランス語・中国語・韓国語などを話す多彩な国籍の学生の声が聞こえてきました。私が所属した総合文化研究科では、大学院在籍学生全体に対して外国人留学生・研究生の占める割合が常時40%前後に達していました。私が卒業した1996年の時点で、東大には70以上の国々から2000人近い外国人留学生が在学し、留学生の集団は“Another Tokyo-University”と言われるほどでした。各国の留学生の間の共通語は日本語で、ゼミでも、食堂でも、電車の中でも、留学生らは各国なまりの日本語で交流をしていました。
 あれ以来、東大は引き続き外国人留学生の受け入れに力を尽くし、外国人留学生が「普通」の学生として勉学に励めるように手厚く効果的な支援を行うことを目指してきました。私自身の東大留学経験からも、「中国人留学生」だからといって差別されたことは一度もなかったと断言することができます。
 ただここで敢えて物足りなさを指摘するなら、いまの東大が掲げる「グローバル・キャンパス」の目標を、キャンパスの主人公である東大生がどのように受け止め、どういう姿勢で関わってきたか、それが必ずしもよく見えない、ということです。
 2002年に、駒場50年史編集委員会が「駒場の50年」を編纂した際、私は光栄にも外国人留学生の代表として一文を寄せる機会がありました。いまから20年ぐらい前の東大生に対するやや厳しい苦言で、いまの状況にはふさわしくないかもしれませんが、ここで敢えて引用させていただきます。

 「ついでに東大生についても一言。東大教授が一生懸命留学生の世話をするのと対照的に、東大生は留学生との付き合いが少ない。東大生はどちらかといえば、異質な相手、考え方の違う相手などとは付き合おうとしない。勉強会とか、授業後の会食などで、留学生らは各国なまりの日本語で一生懸命意見を交換し、激しく議論したが、日本人の学生は、議論が必要になってくると、あたらずさわらずの対応をしてその場を逃げる。以後は留学生との接触は避ける。生活体験が異なり、したがって感じ方、考え方の異なる人への配慮ができないようである。
中国では「雄弁は金」であるのに対して、日本では「沈黙は金」であるようだ。ゼミでは、質疑応答が不可欠のはずだが、日本人の学生は沈黙の行(ぎょう)を続ける学生が多い。先生の方もそれを不思議と思わないらしい。だが、留学生の方からは実に積極的に質問をする。ただし留学生の日本語が誤りだらけで、なまりがひどく、自分以外の参加者にはさっぱりわからないことも少なくはなかった。にもかかわらず、日本人の学生は、一向にして「沈黙は金」という姿勢を崩さずに「やせ我慢」をしている。しかし、いざ先生に指名されれば、今度は「一言千金」という見事な応答に、留学生らはただ目を見張るばかりであった。日本の大学国際化に際して、辛抱しているのは先生の方だけではないようだ」。

 このような20年ぐらい前の留学体験を、今日この場で引用するのが適切かどうかずいぶん迷いました。しかし、濱田純一総長が近年入学式、卒業式、学位記授与式の総長告辞の中で、「国際化」や、「グローバルである」ということの意義について、繰り返して強調されたのは、「自分と異なった考え方や価値観をもち、異なった生き方をしている人たちと深く触れ合い、あるいは悩んだり、あるいは刺激を受けたりしながら自らを成長させていくこと」です。
総長が何度もこれを強調されるということは、私の在籍していた頃と同じような問題が、現在の東大になお存在しているからでしょうか。いまの世界は20年前より遥かに国際化の度合いが深まり、各国の社会経済の姿も大きく変容しています。さまざまな問題を一国の範囲の中で解決するには限界があり、日本はアジアあるいは世界という大きな枠組みの中で、問題の解決に取り組んでいかなければなりません。
東大生は将来国際的な場面で仕事をする機会がますます多くなるものと想定されます。自分と異なった考え方や価値観を持ち、異なった生き方をしている人たちとの出会いは不可欠なこととなります。私は、自分の留学経験、そしてマレーシア、韓国、日本での仕事の経験で、自分と違った価値観、異なった習慣や生活スタイルをもった人々と交わることを多く学んできました。最初は戸惑うことがあり、ぶつかり合うことがあり、理解し合えぬ自分の無力さを感じたこともしばしばありました。しかし、まさに、濱田総長が指摘されたように、お互いの触れ合いの中で、これまでは自分でも知らなかった、自分がもっている潜在的な力が引き出され、もう一人の自分に出会う経験を重ねていくことができました。それが人生における成長ということでしょう。ぜひ積極的に海外からの学生たちと交流してください。

 これは現在の東大のもう一つの課題である国際的な学生交流の推進と深く繋がることだと思います。わたくしは自分の留学経験から、皆さんに対して一定期間の海外留学をぜひお勧めします。国際感覚を身に着けた「タフな東大生」になっていただきたい。さらに、いわゆる「欧米先進国」だけではなく、中国のような発展途上国への留学もお勧めしたいと思います。
 日本人の海外留学は2004年に8万余りと過去最高の人数を記録した後、2011年には5万人台になり、30%減少しました。対照的に中国の場合、2004年に11万人余りだったのが、2011年は34万人近くなり、3倍になっています。日本にいる中国人留学生は10万人前後で、外国人留学生全体の6割を占め、私が留学した25年ぐらい前からつねにトップとなってきました。また、アメリカへの留学は、日本人学生は、大学院20%となっていますが、中国とインドは、大学院71%となっていて、日本は他国に比べ大学院レベルの海外留学がとくに少ないようです。
 日本では、海外留学を通じて「他者を意識する」ことの必要性、それによって自分が成長するチャンスを得ることの重要性が繰り返し強調されています。他方、中国の若者にとって、「他者」と向かい合うことは、通常それほど面倒なこと、厄介なこととは意識されていません。そもそも「他者を意識する」という表現が、社会ではそれほど一般的ではないのです。裏返して言えば、「他者」という概念に対してそれほど敏感ではないということなのかもしれません。「他者」に対する意識は、このように、日本と中国の間で違いがあるようです。留学を通じて、こうした問題を体験し考えてみるだけでも十分に面白いことだと思います。
 今日の世界は、私が東大生だった頃と比べ、極端に小さくなっており、世界のある場所で起こった出来事が直ちに世界中に周知され、地域の小さな衝突が世界に大きな影響を及ぼします。皆さんが社会の中核として活躍する二十年後は、情報の更なる共有化により、世界を活躍の舞台とすることはもはや当然のこととなるでしょう。入学進学された皆さんが、この東京大学の素晴らしい環境を生かして存分に研究に邁進されると同時に、海外留学を通じて国際感覚を磨き、人的ネットワークを形成し、世界を舞台に素晴らしい活躍を展開されることを祈念して、私からの祝辞とさせていただきます。

平成26年(2014年)4月11日
駐日中国大使夫人 汪婉

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