北京大学におけるUTフォーラム閉幕式挨拶


式辞・告辞集 北京大学におけるUTフォーラム閉幕式挨拶
国立大学法人東京大学総長 小宮山 宏 ご出席の皆様、本日は朝の9時から午後5時半に至るまで、長時間にわたり熱のこもった報告と討論が続き、知的興奮とともに、また快い疲れも感じていらっしゃることと存じます。北京大学における東京大学フォーラムの閉会に際しまして、東京大学を代表して、一言御挨拶をさせていただきます。 本日のフォーラムは、北京大学の先生方をはじめとする多くの方々の暖かいご協力により、可能になりました。1972年の日中国交回復後、北京大学と東京大学との間では、すでに様々な機会において活発な交流が行なわれております。本日の報告者の先生方、そしてご在席の皆様のなかには、外国人教師として、また外国人研究員として、本学に滞在された経験をお持ちの方も数多くいらっしゃるとうかがっております。このような交流の成果が、本日のフォーラムとなって現れたということができます。ご協力をいただきました先生方にあらためて心より御礼申し上げます。 本日のフォーラムのテーマは「アジア的視野から見た中国学」というものでした。そこでは、中国を中心としたアジア諸地域における文化の交流とともに、異なる文化をもつ諸地域の間の緊張や対立も描かれました。また、異なる文化から受けた衝撃が自国の社会への反省を経て新しい思想を生み出してゆくダイナミックな過程も論じられました。そこで私が改めて考えさせられたのは「国際化」という言葉の深い意味です。 東京大学は、国際的に開かれた大学になること、そして学問において世界的な貢献のできる大学になることを目指しています。おそらく今日の世界の諸大学のなかで、国際化を目指さない大学はないといってよいでしょう。現在、自然科学の領域においては、研究の成果は世界の学者による共通の評価を受けることが当然であり、各国・各地の研究者は、それぞれ独自の研究に没頭しながら、世界の研究者に認められる成果を挙げようと競争努力しています。評価の基準が国によって異なるのではなく、国籍や出身地を問わずあらゆる研究者が同じ科学的な基準に基づいて公平な競争を行なってゆくこと――これが「国際化」のめざすところであるといえます。私も自然科学の研究者ですが、東京大学がこのようなグローバルな学問世界のなかで、北京大学をはじめとする各地のすぐれた大学と切磋琢磨しつつ学問の進歩に貢献することを強く願っています。 むろんこのような国際化の波は、自然科学にのみ当てはまるものではありません。人文社会科学においては文化の相違によって多様な評価基準が並存する傾向が強いとはいえ、国際交流が盛んになるにつれて人文社会科学でも、世界的に共通の評価基準が形成される方向に向かうことは自然なことでしょう。しかし私は同時に、異なる文化から受ける衝撃、そして異なる文化を理解しようとする情熱が、人間の精神を広く豊かにしてきた側面にも注目したいと思います。日本の研究者が中国の研究者から多くのことを学び、またその逆もあるとすれば、それは単に他国の高水準の研究成果を学習するというにとどまらず、より深い文化にねざした世界観や歴史観の相違が、心の奥底にまで届く衝撃を与えるからではないでしょうか。そのような衝撃を通してこそ、人は世界の広さと豊かな複雑さを知るのではないでしょうか。このような文化の多様性に対する感受性を養うこともまた、「国際化」の一つの側面ということができるでしょう。 このフォーラムの開幕の言葉において古田副学長は、成熟した日中関係の構築において大学どうしの交流の果たす役割が重要であることを述べましたが、私も同感であります。それは過去の歴史に対する真剣な反省とともに、自国と異なる文化への関心と尊重があってこそ、初めて可能になるものだと思います。東京大学の追求する「国際化」とは、普遍的な評価基準のもとでの公平な競争を意味するのみならず、多様な文化への関心と尊重を意味するものでもあるのです。 東京大学には、現在2000人あまりの留学生が在籍し、工学・理学から法学・経済学、そして歴史学や文学に至る様々な学問を学んでいます。そのうち650人前後が中国からの留学生です。東京大学の歴史のなかで、留学生は重要な役割を果たしています。留学生のおかげで東京大学が大きく変わったこともありました。皆さんは、東京大学に始めて正式に入学した女子学生が北京大学出身の中国人留学生であったことをご存知でしょうか。戦前の東京大学、当時は東京帝国大学といいましたが、東京帝国大学では女性が正式の学生として入学することを認めていませんでした。当時大学院には女子学生を排除する明確な規定はなかったのですが、女性が東大に入れない状況のもとでは大学院を受験することもできませんでした。ところが北京大学を卒業したある勇敢な女子留学生が法学部の大学院に入ろうと願書を出したのです。法学部の教授会では審議の結果、北京大学を卒業した優秀な学生を排除するのは道理に合わないということで、彼女の受験を許可しました。彼女は合格し、法学部の大学院で五年間学びました。そして彼女に続いて、日本人の女子学生も東大の大学院に入ってくるようになったのです。彼女が在籍していた1930年代は日本の侵略戦争が始まった不幸な時代であり、彼女はその後帰国して、愛国運動・革命運動に身を投じました。その方は韓幽桐(かん・ゆうとう、ハン・ヨウトン)さんといって、のちの中華人民共和国成立後に法律の専門家として大きな役割を果たされた方であります。 これは一例にすぎませんが、研究者の国際交流のみならず留学生の交流も、学問を発展させ、大学を変えてゆく豊かな可能性を持っています。彼らが大学を活性化してくれる源は、遠方から留学してきた彼らの奮闘精神とともに、異なる視野から新たな問題を提起してくれるところにあるといえるでしょう。様々な考え方をもつ日本と中国の人々が、信頼に基づく率直な対話を通じ互いに批判しつつ学びあってゆく――そのような状況が、大学を起点として社会全般に広まり、60年後の次の乙(いつ)酉(ゆう)の歳にはごく自然なものとなっていることを、私は念願しております。 今回のフォーラムにおいて力のこもった報告やコメントをしてくださった先生方、多大なご援助を賜った北京大学、そして熱心に参加してくださった聴衆の皆さん、本当にありがとうございました。東京大学は中国の諸大学との交流を活発化するため、北京に代表所を置き、昨日その開所式が行なわれました。今後このような交流はさらに急速に活発化してゆくでしょう。今回のフォーラムによってその一歩を記すことができ、私は大変うれしく存じております。皆様に心からの感謝をささげ、閉会のご挨拶といたします。どうもありがとうございました。
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