令和4年度東京大学大学院入学式 経済学研究科長式辞

令和4年度東京大学大学院入学式 経済学研究科長式辞

東京大学大学院に入学されたみなさん、おめでとうございます。また、入学者のみなさんを支えて来られたご家族、友人の方々、今日はオンラインでご覧になっていると思います。お祝いを申し上げます。さらに、みなさんがこうして学問を究めるために大学院に進学するきっかけを作ってくれた多くの先生方がいらっしゃると思います。そうした大学時代、高校時代、あるいはもっと前の先生方にも、お祝いを申し上げると同時に、ここまで皆さんを導いて頂いたことに感謝したいと思います。

私自身も、もう40年ほど前になりますが、この大学の経済学の大学院に入学しました。ただし、その頃は大学院にはこのような立派な入学式はなかったと思います。ただ自分の所属する研究科に行って、学生証を受け取っただけのような気がします。

私の場合はその大学院にも一年ほど在学しただけで、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)の大学院に移り、そのままアメリカで就職して、三年ほど前に東大に赴任したので、これから東大で学位を取得して頂きたいみなさんを前に話すのは気が引けるのですが、研究者になろうというみなさんに何か参考になるのではないかということを、40年近い研究者としての経験から話したいと思います。

自分の研究生活を振り返ってみて、重要だったと思われることが四つあります。一つは、偶然のめぐりあわせということ、二つめは他人とのネットワークということ、三つめは他人との競争と協力ということ、そして最後は何事も簡単にわかった気にならないということです。順番に説明します。

最初に、偶然と思われる出来事がその後の人生を左右するというのは、みなさんもたぶん経験があることで、いまさら言うまでもないと思われるかも知れません。私の場合は、日本経済を理解するということを研究の中心にしてきましたが、そのきっかけがそもそも偶然でした。大学の一年生の時になりますが、履修したいと思っていた教養科目の最初の授業が休講になって、ただその日はキャンパスに来る用事があったので、同じ時間に開講されていた統計学という授業に行きました。確率分布とか統計量とかいう難しい話かと思えば、社会に関する統計の歴史から話が始まって、たいへん興味深いものでした。その授業を教えていた中村隆英先生は、経済統計の専門家で、日本経済や歴史の研究でも有名な方であるということを後で知りました。それ以来、統計学を応用して、実際の経済を分析していくのに興味を惹かれ、中村先生の他の授業や演習も履修して、経済学の大学院に進んで、最終的には日本経済を中心に研究をすることになりました。

重要だと思うことの二番目は、他の人との関係、ネットワークというものです。また、私の経験から一例をあげると、同じ教養学科の友人で日本経済新聞社の当時データバンク局と言ったデータ分析の部門に就職した猿山純夫さんという人がいました。いまも、マクロ経済モデルの専門家として活躍されていますが、東大の大学院時代、彼の誘いで日経データバンク局でデータ分析の手伝いをやるようになりました。MITに行ってからも、日経データバンク局の方々との関係は続きました。MIT時代に、同級生と一緒に日本経済の研究を始めたのですが、日経の方々に企業データを使わせてもらえないか相談したところ、許して頂いて、分析を始めることができました。この同級生はアニル・カシャップといって、いまはシカゴ大学の有名な経済学者ですが、日本経済に関する共同研究はいまも続いています。

三番目は、競争と協力の大切さということです。研究者の世界も競争が激しいところで、特にアメリカには世界中から優秀な研究者が集まってくるので、競争も厳しくなります。ここで強調したいのは、他の研究者と競い合うことによって、自分がどこで比較的優れた能力を持っているのか、ということがわかるということです。すると、違う分野で強みを発揮する人達と協力しやすくなります。アメリカの経済学の大学院は、日本にくらべて競争も激しいですが、助け合って一緒に勉強するということも盛んで、その協力関係が将来も共同研究をやったりして続いていくという傾向があります。自分一人で研究するよりも、他の人と協力した方が、論文の出来も良くなるということがあって、私の場合も、引用回数の多い論文というのはほとんどがアニル・カシャップを始めとする様々な人達との共著です。

研究者にとって重要なことの四つ目は、簡単にわかった気にならないということです。新しい発見というのは、往々にして、多くの人が当たり前だと思っていることを疑うことから始まります。研究者として成功するためには、ほとんどの人が信じて疑わないことを疑う能力が重要になるということです。これは研究に限らず、他の分野、たとえばビジネスの世界でも同じだと思いますが、なかなか難しいものです。皆さんの多くもそうだと思いますが、成績が良かった人には、特に難しいことです。日本の少なくとも高校までの勉強では、先生がいうことに疑問を持たずに、物事を早く理解する能力の方が有用だからです。私もこの点では、成功した場合よりも失敗した場合の方が多いと思います。

比較的うまくいったと思われる経験を一つだけあげます。私が日本経済を研究し始めた当時の社会科学の主流の考え方は、一言で言えば日本特殊論で、西洋で発展してきた経済学などの社会科学では日本を説明できないというものでした。その裏返しとして、日本を研究しても経済学の発展には役立たない、というのが経済学での主流でした。その頃、もう30年以上前になりますが、日本の特殊性の典型例だと思われていた系列と呼ばれる企業の集団が、当時発展してきた情報の経済学が注目する、資金の貸し手と借り手の間の非対称情報の問題を軽減する仕組みとして理解できるということを指摘した論文を書きました。すると、日本のデータを使うことによって、欧米のデータだけでは判別が難しかった、企業の内部資金の量によって設備投資額が制約される理由を検証できる、という論文です。もちろん共著の論文でしたが、常識的な考え方をしないことによって新しい発見をすることができた、私の数少ない成功例の一つかと思います。

以上、私自身の経験に照らして、研究者として重要な四つのことについて話しました。繰り返すと、偶然を大事にすること、人的なネットワークを大切にすること、競争から自分の比較的強いところを発見して仲間と協力すること、そして何事も疑ってかかることの四つです。これらが、みなさんのこれからの研究にどれくらい役に立つかはわかりません。何よりも私の話をまず疑ってかかることが大事です。

いずれにしても、みなさんの研究生活が、楽しく実り多いものであることを願って、お祝いの言葉といたします。

令和4年4月12日
経済学研究科長
星 岳雄

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