令和4年度東京大学大学院入学式 祝辞(国際高等研究所 カブリ数物連携宇宙研究機構 大栗 博司 機構長)

令和4年度東京大学大学院入学式 祝辞

東京大学大学院に入学された皆さん、まことにおめでとうございます。またご家族や関係者の皆様にも心よりお祝い申し上げます。

今回の祝辞を準備するにあたり、学校教育法を読んでみたところ、大学院の目的は、「学術の理論や応用を研究しその深奥をきわめること」と「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識や卓越した能力を培うこと」の2つであると書かれていました。

人類は何千年もの歴史の中で知識を積み重ね、それを共有の財産とし、文明を発達させてきました。大学院の目的のひとつは、それをさらに押し広げることです。そして、自らの力で新しい真理を発見したものだけに授けられるのが博士号です。本日は10分ほどお時間をいただきましたので、「価値のある発見をするには、どうすればよいか」についてお話しします。大学院に進まれる皆さんのご参考になれば幸いです。

皆さんは、小学校から大学までの教育によって、必要な知識や技術を身につけ、それを使って自分の頭で考える力を伸ばし、またその考えを言葉として伝える能力を鍛えてこられました。東京大学の大学院に入学が許された皆さんには、そのような素晴らしい能力が備わっています。では、皆さんのこの能力を、どのように使えば、価値のある発見ができるのでしょうか。

そのために必要なのは、第一に「問題を見つける力」です。大学までの教育では与えられた問題を解くことに主眼が置かれてきました。しかし、大学院では自ら問題を見つける力が求められます。では、「よい問題」とはなんでしょうか。

偉大な数学者アンリ・ポアンカレは、その著書『科学と方法』の最後の章で、「幅広い分野に影響を与える普遍的な発見にこそ価値がある」と述べています。普遍性の高い発見のすそ野は分野を超えて広がっていく。グーグル検索では、多くのウェブサイトからリンクされているページが上位に表示される、いわゆるページ・ランクが使われています。同じように、学問においても、より幅広い分野にリンクされる発見に価値があるというのです。

学問が進歩すると分野が分かれて専門化していきます。普遍性のある発見は、そのように分かれていった分野の間に新たなつながりをつけ、それらの発展を促す。そうした大きな流れの先には、社会に役に立つ応用も含まれます。それが、文明を発展させ、私たちの生活を改善する力ともなるのです。

新型コロナウイルス感染症の世界的大流行において、米国の感染症対策を指導したアンソニー・ファウチ博士は、科学誌「サイエンス」に寄稿した論説で、新型コロナ・ワクチン開発の歴史を振り返り、「このように高い効果のあるワクチンが迅速かつ効率的に開発され、 数百万人の命を救った背景には、パンデミックに先立つ何十年も前から積み重ねられてきた、基礎、応用、臨床の幅広い分野に渡る、知られざる努力があった」と総括しています。私たちの生活は科学と技術によって改善されてきました。そこでは基礎から応用にひろがる研究のどれもが、重要な役割をはたしました。

また、私が教鞭を執っているカリフォルニア工科大学の前学長であったジャン=ルー・シャモー博士は、ある講演で、「科学の研究が何をもたらすかをあらかじめ予測することはできないが、真のイノベーションは人々が自由な心と集中力を持って夢を見ることのできる環境から生まれることは確かである」と語っていました。それ自身に価値があり、真のイノベーションにつながる研究をするには、「自由な心と集中力」が必要だというのです。

一方で、皆さんは、大学院に在籍する数年の間に解決できる問題を見つけなければなりません。そのためには、まず、自身の学問分野を俯廠し、その最先端が何なのかを見極める必要があります。研究する意義のある問題は、その先にあるはずです。そこに向かって努力をすれば新しい知識が得られ、学問の最先端を押し広げることができる。そのような、目標を見定めるのが、「問題を見つける力」です。

私は、米国の大学で30年ちかく、大学院生を指導してきました。大学院生が入学してくると、最初のプロジェクトでは、問題を見つけるところから論文を書くまで、実地で教えます。しかし、博士号を取得するまでには、自らの力で問題を見つけ、それを解く方針を立て、研究を遂行して、論文を仕上げられるようになることを目指しています。それを達成した学生だけに、博士号審査に進むことを許しています。

さて、問題を見つけても、それを価値のある発見につなげることは、簡単ではありません。そこで、もうひとつ重要になるのが、「粘り強く考え続ける力」です。

日本人として初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、その自伝に「未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅人である」と記しています。真理の探究はオアシスを求めて砂漠をさまようようなものです。地図がないので、どちらに行けばオアシスにたどり着けるのかもわかりません。そもそもオアシスがあるという保証もない。そこにはリスクもあります。

また時には、目標を修正することも必要になります。私は数年前に紫綬褒章をいただいた時に、他の受章者の著書を読んでから伝達式に臨みました。その時に読んだ、皆さんの先輩である橋本和仁博士の本に、こんな話が書いてありました。橋本博士は太陽光で水を分解して酸素と水素を作る光触媒を研究されていました。いわば人工光合成で、成功すればエネルギー問題が解決します。ところが、この方法ではエネルギー効率が悪く実用にならないことがわかりました。「自分が一所懸命やってきた研究が現実に役に立たないことを突きつけられて」橋本博士は落胆します。しかしふとした機会から別な応用が見つかりました。この光触媒は有機物を分解するので、それをコーティングしておくと、汚れを分解し、微生物を不活性にできるのです。これが抗菌や防汚効果のある製品の開発につながりました。失敗を成功に変えた素晴らしい発見です。

計算されたリスクを取り、地図のないところに道を切り開き、これまで誰も知らなかったことを発見し、人類の知識を押し広げる。このような経験は、大学院修了後に、アカデミアに進まれる場合にも、また社会に出て活躍される場合にも、皆さんの自信と力になると信じています。

このようにお話ししますと、「大学院の研究とはなんと大変なことか」と思われるかもしれません。たしかに、自らの力で真理を発見し、知識を押し広げるのは、簡単なことではありません。しかし、私たちに深い喜びを与えてくれる行為でもあります。

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、14巻からなる著作『形而上学』を、「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」という言葉から始めました。私は、どのようなものでも、その機能が発揮できるときが幸せなのだと思います。そして、人間の場合には、アリストテレスが述べたように、より深く、より正しく物事を理解しようとすることが、本来の機能です。

大学院は、「知ることを欲する」という人間の本来の機能を存分に発揮できる場所です。私も、大学院生になり研究を始め、論文のカギとなるアイデアを得た時に、研究室からの帰り道に星空を見上げながら、「この答えを知っているのは世界に自分だけだ」という感動を味わったことがあります。こうした発見が、人類を迷信や偏見から解放し、この世界の理解を深めることで私たちの心を豊かにしてきました。しかも、それが長い目で見ると社会に役立つ。真理の探究とは、なんと素晴らしいことでしょうか。

先月、カリフォルニア工科大学の私の研究室で、大学院に合格した学生たちと面談する機会がありました。その中のひとりは、ウクライナからの留学生でした。「ご家族は」とおききすると、「皆、祖国を守るために戦っています」と答えました。そのような状況でも、理論物理学を研究するためにと大学院に進学してきたのです。

皆さんは、「学術の理論や応用を研究しその深奥をきわめる」もしくは「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識や卓越した能力を培う」ために、人生の最も美しい時期のひとつを大学院で過ごすことを選ばれました。先人たちが築き上げてくれた平和と繁栄の中で、知のために生きることのできる機会を、大切にしてください。

ご入学、おめでとうございます。皆さんのひとり一人が、大学院で価値のある発見をされることを期待しています。
 

令和4年4月12日
国際高等研究所 カブリ数物連携宇宙研究機構長
大栗 博司

関連リンク

カテゴリナビ
アクセス・キャンパスマップ
閉じる
柏キャンパス
閉じる
本郷キャンパス
閉じる
駒場キャンパス
閉じる