令和4年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

令和4年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

本日、学位記を受け取られるみなさん、修了おめでとうございます。また、ご家族をはじめ、みなさんをこれまで励まし支えてくださった方々にも、東京大学を代表して、感謝の気持ちと、心よりのお祝いをお伝えしたいと思います。

みなさんは、これから社会と、そして世界と広くいろいろな形で関わり、さまざまに活動することになるでしょう。その時、重要なのは、自分を取り巻く世界がどのような状況にあるかを知ることです。

自分がいる世界の今を計測する、あるいはセンシングするにはどのような方法があるでしょうか。センシングとは、音や光、温度や圧力などの物理量を検出する感知器(センサ)によって対象の情報を取得する技術です。

最初に思いつくのは、人工衛星を使って宇宙から地球を計測する、リモートセンシングかもしれません。最近では毎年1,000基以上の人工衛星が新たに打ち上げられ、今現在、約8,000基の人工衛星が地球を周り続けています。そのおかげで、地球上のあらゆる地域の現在を、宇宙から詳細にセンシングできるようになりました。

最近はニュースなどで、壊れた戦車や倒れた人々、破壊された建物などの衝撃的な衛星画像を見て、心を痛めた方も多いかと思います。そういった痛ましい画像もまた、地上の現実を知るうえで、非常に重要な役割を果たしています。

人工衛星から地球をセンシングする技術は、実は世界的な平和を目指した多くの国々の協力から発展しました。

1957年7月1日から1958年12月31日まで続いた国際地球観測年は、日本、アメリカ、旧ソビエト連邦を含む世界64ヶ国が参加した国際研究プロジェクトでした。人工衛星の打ち上げ成功や地球の周りの放射線帯であるヴァン・アレン帯の発見、南極の領有権凍結に結びつく国際協力体制など、さまざまな成果を挙げます。

このプロジェクトに、日本はいくつもの貢献をしました。たとえば、1957年には第1次南極地域観測隊が昭和基地を開設し、現在まで65年以上にわたって南極観測を続けています。また、1958年には東京大学生産技術研究所の糸川英夫教授が中心となって、日本初の本格的な地球観測用ロケットを打ち上げ、地球の上層での風や気温の観測を行いました。この国際的な研究プロジェクトで示した成果は、第二次世界大戦後の日本の国際社会での信頼回復に大きく寄与しました。

地球センシングの研究は、東京大学の複数の部局にも引き継がれて、大きな成果を挙げ続けています。たとえば、生産技術研究所では1980年代にアメリカの気象衛星NOAAからのデータを受信するアンテナを設置し、そのデータ処理手法を開発しました。この観測データは、気象解析をはじめ自然災害観測や植生調査、農業開発の状況把握など多くの分野で活用されています。

海中のセンシングについても、成果を積み重ねています。グローブエンジニアリングというテーマで1991年に設置された寄附研究部門では、リモートセンシングと海中ロボットを用いて、空中と海中の両方から地球を観測する技術の研究が進められました。私自身も1993年から1995年まで、ここで海中ロボットの研究を行いました。最近では、2019年に開催された海底探査技術の国際コンペティションに日本から参加したTeam KUROSHIOにおいて、生産技術研究所のメンバーが重要な一角を担いました。世界中から32チームが参加し、日本チームは2位を獲得します。地表面の7割を占めるにもかかわらず、海底地形のマップが得られているのはわずか20%程度にすぎません。数年前まではほんの5%程度しか調べられていませんでした。これに対し、たとえば月面についてはすでにその全体が観測されており、今、国際プロジェクトとして、2030年までに海洋底を100%マッピングしようという計画が進められています。

ところで、リモートセンシングを含む科学技術に対する社会からの評価は、常に光に満ちたポジティブなものばかりではありません。

科学技術の発展に対する疑問をよく表した曲として、私の大好きなアーティストであるドナルド・フェイゲンが1982年に発表したI.G.Y.という曲があります。I.G.Y.とは、先ほどの国際地球観測年の英語名International Geophysical Yearの頭文字を取ったものです。この曲は、科学技術が高度に発展した一見便利に思われる未来社会を、皮肉たっぷりに歌っています。人々は、海底トンネルでニューヨークからパリまで90分で移動し、簡単に宇宙を旅行し、人工的に気候を操作し、機械が社会的に重要な判断までしてくれる、“なんて素晴らしい世界なんだろう(What a beautiful world this will be)”、という歌詞になっています。

なぜこれが皮肉に響くのか、その理由の一つは、科学技術の平和利用と国際協力体制の構築を目指した国際地球観測年の理想とは異なり、現実には冷戦を背景とした対立と競争のなかで、科学技術が使われることになってしまったからです。その結果として、環境問題も、人や国の不平等などのさまざまな社会問題も置き去りにされ、科学技術と実社会の課題との乖離が、人々の不信感や不安を増大させました。

このような状況への反省として、世界を物理的に計測するだけなく、そこで生活をしている人々の日々の営みや実際に感じていることを含めてとらえ、センシングすることの重要性が再認識されています。

社会をセンシングする手法には、上空から見るのではなく、地に足をつけ社会の中に分け入って、問いかけて調べるソーシャル・リサーチという方法もあります。いわば、ことばによるセンシングといってよいでしょう。ソーシャル・リサーチでは、知りたいことを質問文として書き上げた調査票を用意し、人々に問いかけて社会のありのままを調べます。

その大規模な全数調査の日本での一例が、国勢調査でしょう。これは5年ごとに実施される人口センサスであり、もちろんみなさんも対象になっているものです。

この国勢調査の起源にも東京大学が関わっています。現在の国勢調査につながる総人口調査の実施を提唱したのは、日本近代統計の祖と呼ばれる杉 亨二でした。杉が東京大学の前身の一つでもある開成所の教授となったのは1864年で、やがて現在の総務省統計局長にあたる太政官正院 政表課大主記となります。杉は国全体のセンサスを行うには、小さな地域でまず実績を挙げる必要があると考え、1879年に日本初の総人口の現在調査を山梨県で実際に行いました。その経験を基に、国勢調査の必要性を訴え続け、ついに実施のための法律の制定にこぎつけます。しかしながら、1905年に実施されるはずだった第1回国勢調査は、日露戦争の影響などの理由で延期され、1920年になってようやく実行されることになります。人口センサスは、近代国家の行政の基盤であり、「社会を数量的に把握すること」は「一等国」の必須条件とされていたため、国も力を入れます。一方で、増税のための調査ではないかと趣旨を理解しない人々も多かったといいます。大規模な一斉調査ですから、国民の理解と協力は不可欠で、1920年の第1回国勢調査は、今日からは想像できないほど盛大な国民イベントであったといいます。

19世紀から20世紀にかけて各国が威信をかけてセンサスを実施していきますが、大規模なセンシングだけに盛り込める項目はそれほど多くなく、とうてい充分なものではありませんでした。

20世紀の半ばくらいから、技法として発達し社会的に普及してくるのが、サンプリングに基づく世論調査やマーケット・リサーチです。これも問いかけて答えてくれる人々の声を集める方法であり、ソーシャル・リサーチ、すなわち社会調査の一つです。

たとえば、新聞社やテレビ局が選挙のときに国民の投票行動を調べる選挙予測や、公的機関が大きな出来事に関する住民の意見を聞くなどの世論調査などがこれにあたります。

東京大学でも、農業経済や社会学の研究者が、昭和初期の農村不況下で苦しむ村落の調査をリードし、経済学者が戦後復興のなかでバラック生活者や工場労働者の調査をするなど、さまざまな学部や研究所が社会調査の実践に関わってきました。また今も、東日本大震災後に顕在化した課題について、「希望学」、街づくり、防災、避難生活などの多様な観点から社会調査を進めています。

ことばによるセンシングとしての社会調査では特に、調査される側の人と調査する側の人との間での基本的な信頼関係を構築することが重要になります。

リモートセンシングでの計測では、対象者側には測定されているという意識はなく、ある意味で客観的ではあるものの、一方的なデータとなります。それに対して、ことばによる調査はまさに対話が基本です。であればこそ、信頼関係がない場合には、調査される側が回答を拒絶したり、時には意図的にウソを答えたりすることも、正当な権利の行使でありうることを忘れてはなりません。

すなわち、調査すればすぐに本当のことが分かると考えてしまうのは、少し単純にすぎるということになります。

ではなぜ、そうした対話に基づく調査を行うことが重要なのでしょうか。

それは、さまざまな人々の声に耳を傾け、実感に寄り添うことが、民主主義の根幹を支える大切な要素だからです。確かに、機械的なセンサを活用し、ネットワーク化した情報通信技術を使って、人々の表面的な行動を広く浅くセンシングしたほうが効率的な面があります。しかし、その計測データの向こう側には、人々のさまざまな思いやナラティブがあり、それに触れることなく一方的に解釈してしまう危険性と、私たちは常に誠実に向き合わなければならないのです。

第1回国勢調査からちょうど100年の節目になる2020年に、新型コロナウイルスによる想定外のパンデミックが始まり、これまた予想を超えて、オンライン授業やリモートワーク、遠隔医療、ネットショッピングなど、サイバー空間に頼った生活が広がりました。一方で、対面式の調査の実施は極めて困難となり、対話の機会が減ったのも事実です。GPSデータにより人々の移動を計測したり、工場の稼働状況を推測したり、サイバー空間上に蓄積する痕跡から社会経済活動のあらゆる分野の現状を迅速かつ詳細にセンシングしたりすることは、たしかに不可能ではありません。世の中では、インターネット上のビッグデータやSNSのやりとりをAIで解析すれば、そのほうが効果的だし正確だという極端な意見も聞かれます。

しかしながら、忘れてはならないのは、各種の社会調査で新たなデジタル手法の開発が求められている時代だからこそ、センシングの種類ごとの可能性と限界とについて、深く考えておく必要があるということです。

冒頭で、自分を取り巻く世界がどのような状況にあるかを知ることが重要だ、と述べました。なぜ今、社会状況を速やかに知ることが重要なのかといえば、社会経済活動が国の垣根を超えたものとなり、しかも環境問題などそれぞれの国だけでは解決できない地球規模の課題が深刻化しているからです。その点で、センシングの即時性と利便性とは、新しい可能性を用意しつつあります。

特に気候変動問題については、IPCCなどの世界的な科学者の協力で、さまざまな計測データや社会活動データが共有され、それを基に地球の危機を乗り越えるための取り組みが議論されています。また、COVID-19への対処において、衛星画像やモバイル通信のデータを用いた人の集中であるとか物の流通の把握などは、共有すべき問題に新しい切り口を提供しています。

そうした時代において、新たなデータやセンシング方法をよりよく、より望ましい形で使いこなすには、従来の枠組みにとらわれない柔軟な考え方が必須であり、豊かなセンスが不可欠でしょう。

今日、東京大学を巣立っていくみなさんに、ぜひ次の三つのセンスを磨いてほしいと思います。

第一に、構想力を磨き、適切な技術を選ぶ目を養ってください。課題に応じた方法を工夫し、多様な情報を得ることに努めてください。たとえば、世界の経済格差を知ろうとするとき、夜の地球を撮影した衛星画像を見れば、煌々と明るく、夜も活動している地域と全く明かりのない真っ暗な地域との差がはっきりと分かります。実際に地域ごとの課題に取り組むためには、それに加えて、生活水準や文化を実際に聞き取る調査によって、多くの事実を知る必要があります。すべてのセンシング方法には得手不得手があるので、適切な情報を獲得して深く知ろうとする際には、計測と分析の方法を選ぶあなたのセンスが問われます。世界にあるさまざまな社会問題の現実から目を背けずに、向き合い続けることで、そのセンスを磨いてください。

第二に、データの背後にある人々の声に、いつも耳を傾けるようにしてください。現在得られているデータは、本当は社会の真実のほんの一部しか反映していないかもしれないのです。実際に現場に行って感じることが必要かもしれません。そうして、観測されていないところにある、あるいは語られていないところに潜む、人々の痛みや苦しみへの共感を持ち続けてください。たとえば、テレビの画面に映し出された破壊された街並みの近くに、苦しんでいる人たちがいることを思いやることができる、みなさんの内なるセンサを大切にしてほしいと思います。

最後に、センシングして得られたビッグデータに振り回されることなく、未来を見据える力を大切にしてください。そのためには、自分らしい判断力や、粘り強い思考力、そして豊かな発想力を磨くことが重要です。センシングされた情報は、いくら大量にあっても、あくまでも今に至る状況しか反映していません。これからの地球と社会をどうするのか、それはみなさんそれぞれが発想し、責任をもって創っていくしかないはずです。これまで東京大学で学んだことを、そこで役立ててください。自分の理想を忘れない強さと、他人の気持ちを思いやるやさしさとを持って、ともによりよい社会を創りあげていく、創造的な地球市民(Global Citizen)になっていただきたいと思います。

たとえ世界がどんなに大変な状況にあったとしても、決して未来への希望を失わないでほしいと思います。そして諦めないで、これからも学び続けていただきたいと思います。世界中の誰もが先ほど触れたようなセンスを磨いていけば、前に紹介した私が好きな歌に込められていた「皮肉」を乗り越え、実感とともに

“What a beautiful world this will be
  What a glorious time to be free”

と歌えるでしょう。この歌詞がみなさんの声で、素直に歌われる日が来ることを願っています。 みなさんのこれからの活躍を、大いに期待しています。修了、誠におめでとうございます。

(“”は、Donald Fagen氏の「I.G.Y.」より引用)

令和5年3月23日
東京大学総長  藤井 輝夫

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