令和4年度 東京大学卒業式 総長告辞

令和4年度 東京大学卒業式 総長告辞

本日ここに卒業式を迎えられたみなさんに、本学の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。ご卒業おめでとうございます。

みなさんは、2020年から続くCOVID-19のパンデミックにより、キャンパスに共に集い、実験室や演習室で顔を突き合わせて学業や研究に打ち込む時間を、自由にはもてなかったかもしれません。そうした苦境を乗り越えて、この場に集っておられるみなさんの努力に、敬意を表します。また、ご家族をはじめみなさんを支えてこられた方々にも、感謝を込めてお祝いを申し上げたいと思います。

コロナ禍による日常生活の変化の筆頭に、遠隔技術の急速な浸透が挙げられます。みなさんも授業のために導入されたオンラインミーティングのツールなど、以前はそれほど頻繁には使わなかった技術を日常的に使うようになったのではないでしょうか。コロナ禍の下では感染防止のため、人と人との接触の回避を強いたこともあって、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、これまで予想されたことのない速さと規模で遠隔技術の応用が広がりました。

遠隔技術は19世紀のモールス信号に代表される電信(テレグラフ)の発明から発展し続け、日常的にもリモコンや携帯電話で使われていますが、たとえばロボティクスに関係する技術としてテレオペレーションやテレプレゼンスといった領域の研究も行われてきました。それはさまざまなインタフェースの介在によって新たな知覚――オンラインミーティングツールの場合には視覚と聴覚――を可能にしてくれる技術だということができます。物理的には離れているのに距離がないかのように感じさせ、現実には目で見えないほどに小さいもの、あるいは近づいて覗き込めないものを拡大して見せてくれます。このように距離と大きさを自由に変えることができる技術が、人間にもたらした意味について少し考えてみましょう。

大学でのオンライン授業の効用のいくつかは、誰もが身近に実感したところでしょう。COVID-19の心配がまったくなくなったとしても、オンラインツールの便利さは完全には手放されないと思います。以前であれば遠いとか時間がないなどの理由で参加を諦めていた催しにアクセスできる機会が増えました。海外留学中の学生が授業に参加したり、教員が海外出張先から講義を行ったり、国際的な学会へのオンライン参加などの研究交流も容易になりました。本学でも海外の大学の先生にGlobal Fellowとして講義を行っていただくなど、活用が広がっています。

遠隔技術が物理的な距離の困難を、ある形で乗り越えたことは確かですが、それならば、もはや教室に集まる必要はない、距離の問題は遠隔技術で解消されたのだから、と言えるでしょうか。

おそらく、そう単純に割り切ることはできないでしょう。それはオンライン授業を対面授業に戻してほしいという、みなさんの希望が一貫して強かったという事実からも裏付けられます。長期のオンライン授業で孤独を味わった後に、同級生たちが集う対面授業が再開した時には、どこの教室でも静かな興奮と解放感が見られました。学生も教員も、同じ場を共有して互いの反応を、肌で直接感じ取ることができるこの経験は、やはりかけがえのないものだと痛感したように思います。隔離を余儀なくされたからこそ、対面での人とのやりとりが貴重なものとして再発見されたとも言えるでしょう。

それでは今のオンラインツールには、何が欠けているのでしょうか。

物理的な距離を解消するとはいっても、二次元映像と音声とが、私たちが生活する現実の三次元空間での複雑で複合的な距離感を再現するわけではありません。このことを見落としてはならないと思います。オンラインツールにおける二次元の画面は、すべての人やものとの距離を平面化する、あるいは、すべての人やものを均質な等距離に配置します。しかし、現実の空間は立体的で奥行きがあり、二次元の画像の遠近法だけで再現できるものではありません。私たちは現実の空間のなかで身体を動かし、同じ時間のなかで人やものに接近していきます。その過程では、視覚と聴覚だけでなく、触覚や嗅覚をも用いて周囲の環境と対象のありようを感じ取っていきます。近くの人には小声でささやき、遠くの人には大きな声で語りかけるといった、その場の空間の認識に応じた行動をすることで、空間の奥行きを身体的に確認し、実感しています。

距離を縮めるかに思えた遠隔技術の機能が、かえって私たちの知覚を平板化し、現実の身体経験から遠ざけているという逆説がここにはあります。つまり、オンラインツールでの対話には、現実の空間での交流が創り上げる、身体的実感の立体性ともいうべき奥行きが欠けている、ということになります。

一方、最先端の遠隔技術は急速に進化しています。たとえばメタバースと呼ばれる仮想空間やバーチャルとリアルとを組み合わせた拡張現実感など、三次元の空間的知覚を可能とするさまざまな試みが進んでいます。

すでに、画面上に表示された自分の分身アバターを使って学会に参加することもでき、まるで同じ空間にいるかのように、参加者同士が挨拶や会話を楽しむことが可能となっています。仮想空間の教育研究への活用は、特に医学の領域で盛んで、日本VR医学会には20年の歴史があるといいます。教育の現場では障害のある生徒、あるいは病気療養中や不登校の生徒などが自宅で分身ロボットを操作して「登校」する試みもあり、二次元のオンラインツールとは異なる、現実の身体感覚に近い経験が生まれつつあります。

ご存知のように、本学では昨年9月にメタバース工学部が設立され、その設立記念式典が行われたメタバース上の安田講堂には、大勢の方のアバターが出席しました。その出発点となったのは、バーチャルリアリティ教育研究センター、通称VRセンターが置かれた工学部1号館の教室であり、この部屋を仮想空間化する学生たちの試みから挑戦が始まりました。カメラ80台を連結させたシステムにより、これまでに私を含む数十名がアバターを作るための3Dスキャンを体験しています。そのおかげで2022年1月の国立情報学研究所のシンポジウムでは、私のアバターが海中のメタバースから講演し、そこに学生のアバターが参加して、その場で彼らとの対談を行うことができました。

業務訓練や、就労支援に役立つ仮想空間の開発も行われていて、そこには情報学、医学、心理学、社会学に加え、芸術や言語など、さまざまな分野での知見が深く関わっています。本学でも、手足を失った人に対するVR治療の効果を調べる医学部附属病院のプロジェクト、美術館・博物館展示の3Dスキャンデータや高精細画像などを分析に活用した人文社会系研究科のプロジェクト、数学における概念の可視化にこの技術を応用する数理科学研究科のプロジェクトなど、多くの試みが進められています。たしかに数学の講義で黒板に書かれた図から立体を想像することが難しい場合でも、学生の手元に立体図形が出現し、さらにメタバース空間で触れたり入り込んだりすることができれば、概念が分かりやすくなり、あるいはその把握の仕方が大きく変わることも考えられそうです。

これらの試みは、やむをえず遠隔技術に頼るといった消極的な利用とは異なっています。ここではむしろ、これまでにはできなかったことを、メタバースだからこそ実現することが目指されています。

VR(仮想現実感)やAR(拡張現実感)の研究は、一面では、現実とは何かを考えることでもあります。つまり私たちが「リアル」だと感じるのはなぜか、あるいは私たちが確かに実感している「リアリティ」とはそもそも何か、という問いを突きつけるからです。おそらくメタバースのリアルさは、教室における一方向的な講義よりも、深く没入し没頭するという「実感」あるいは「体験」において現れます。それゆえ、現実の環境のなかにある身体ではなかなか感じられないような、新たな「リアリティ」を得ることすら起こりえます。

私自身、かつて自分の研究のために無人探査機を用いた深海調査をたびたび行ってきました。遠隔操作型無人探査機は一般にRemotely Operated Vehicle=ROVと呼ばれ、日本にはかつて世界最深部、およそ1万900メートルの深海に潜航可能な「かいこう」というROVがありました。私がよく使用していたのは、同じく海洋研究開発機構(JAMSTEC)が保有しているハイパードルフィンというROVです。

ROVはアンビリカルケーブルと呼ばれる電源とデータ伝送を行うためのケーブルに繋がれた探査機であり、このケーブルを介して遠隔から、すなわち海面上の母船から操作して深海の調査を行うものです。照明を落とした操縦室の壁全体に広がる大型ディスプレイに表示される探査機からの映像を注視しながら操作、観測を行いますが、まさに深海の環境に自らが没入しているかのように感じます。このような経験は、もしかすると、小説を読むことに近いかもしれません。没入して読むなかで、私たちの身体と想像力は、経験したことがない作品の世界に巻き込まれていきます。

メタバースが、感覚過敏や対人不安などによって、社会参加に困難を抱える方の就労や社会復帰の支援に役立つのは、それゆえです。利用者は、アバターの身体を使って、メタバース空間内の店舗で商品を受発注して準備し、来客に応対することで、社会との関わりを取り戻していくことができます。こうした能動的な身体感覚と対話に満たされたインタラクティブな空間だからこそ、新たな「リアリティ」が生まれるのです。

翻って、人間固有の文化である言葉によるコミュニケーションについても考え直すことができるでしょう。コミュニケーションもまた一方的な発信ではなく、他者が応答してくれるという関係において成り立つものです。しかも、一回一回の応答で完結するものではありません。繰り返され、重なり合い、繋がり合う応答の蓄積こそがコミュニケーションであり、それを支えている言葉は、いわば何世代にもわたって創られ継承された仮想現実空間なのだと考えることができます。

19世紀から20世紀にかけて、言語学、記号学や情報理論の発展とともに、言葉によるコミュニケーションの理論化が進みます。出発点は「伝達」モデルでした。言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが『一般言語学講義』で示した「ことばの回路」の図は、2人の人物の電話での会話を外側から解説しているようです。情報理論の創始者クロード・シャノンもほぼ同様の「通信モデル」に数学的基礎を与えることでコミュニケーションを理論化し、構造主義言語学者ロマン・ヤコブソンは通信モデルを採り入れつつ、コミュニケーションの要因と機能に注目する総合的な言語伝達モデルを提案します。メッセージの内容を伝える機能だけでなく、「おお!」とか「ああ!」のような間投詞の機能や、コミュニケーションを開始するときの「もしもし」のような、無意味に思える表現の機能も考察の対象となっていきます。にもかかわらず、こうしたモデルの基本は「伝達」であり、発信者がエンコードして送ったメッセージを受信者が受け取り、元の通りデコードすることを想定しています。

しかしながら、私たちが日常的に実感しているように、コミュニケーションは単線の一方的な伝達でも通信でもありません。対話相手の反応をその状況のなかで確認しながら、自ら身振りや比喩などで動きを創り出し、さらなる反応を感知しながら、対話としての意思疎通を図っています。人間同士の対話は、喩えていえば「翻訳」の実践なのかもしれません。先に言及したヤコブソンは、適切な注釈、言い換えなどの言語内の翻訳だけでなく、画像から言語への変換などの記号間翻訳、すなわち、他の媒体への翻訳までも論じています。

さらに、人工知能あるいはロボティクスに関連する研究分野では、複数のロボット同士のコミュニケーションを創発させることによって、変化する環境条件のなかでも正しく機能する通信を実現しようとする試みや、生物あるいはヒトにおけるコミュニケーションの本質を構成論的に理解しようとする試みが、長年にわたり行われてきています。ハードウェアとしてのロボット同士が同一の対象物をどのように認識し合うのか、対話を通して言葉の創発を促す実験や、群ロボットシステムにおいて、空間認知に関連してロボット同士が通信シグナルを共有する動作、その創発を試みる実験など、さまざまな研究が行われてきています。たとえば群ロボットシステムのモデルで言えば、蟻や蜂に代表されるような社会性生物について知られている知見も活用され、ここでは個体の行動から集団としての振る舞いを制御するような翻訳がなされています。

こうした広がりは、先ほど論じてきた仮想空間のリアリティにも重なります。翻訳は、一見すると分断されているように見えるもの同士の間に、実感として共通し、呼応する水脈、いわば共通基盤を見つける探索の作業でもあると言ってよいでしょう。

ここまで、遠隔技術による距離の問題、三次元の仮想空間であるメタバースによる空間的知覚の実現と「リアリティ」の問い直し、そして、身体あるいはロボットなどの物理的な実体に基盤をおく言葉の大切さを話題にしてきました。こうしたことから、今まさに広く社会における活用が広がりつつあるメタバースやVRですが、ただ現実の身体感覚を再現するだけではなく、自分の身体では経験してこなかったこと、たとえば――動物たちの環境、他者の身体などが挙げられますが――こうしたことを「リアリティ」をもって疑似体験できる技術であろうと思います。そのことの意味を、もういちど深く考えてみてください。

人間は、現実の自分の狭い経験の枠に囚われず、他者の立場に立って考えることができます。他者と問いを共有し、対話を通じて未知の課題に対処していく力は、よりよい未来社会を創り上げていくうえで、不可欠です。まだまだ未成熟なメタバースの活用法についても、専門領域を超えて対話を重ね、どうしたらより望ましい方向へと発展させていけるのか、新鮮な発想が望まれます。

みなさんは本学において、各分野の学問の世界の最先端に触れてきました。ときには、その難しい内容を共有できるようにする、すなわち「翻訳」するために、かなりの時間を費やしたかもしれません。あるいは、さまざまな先端的な研究が、意外にもまったく異なる専門分野や、文理の枠を超えた多様な広がりに繋がっているということに、率直に驚いたかもしれません。これから新たな世界への一歩を踏み出すみなさんが、そうした東京大学での経験を活かし、国内外を問わず活躍する存在として大きく羽ばたいていくことを願ってやみません。

ご卒業、誠におめでとうございます。

令和5年3月24日
東京大学総長  藤井 輝夫

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