平成30年度東京大学学部入学式 総長式辞
式辞・告辞集 平成30年度東京大学学部入学式 総長式辞
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。東京大学の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。ご列席のご家族の皆様にも、心からお慶び申し上げます。本日、3132名が東京大学に入学しました。
皆さんが入学された東京大学は、明治10年、1877年に創設されました。そして、昨年4月12日に創設140周年を祝いました。この140年は、明治から昭和前半の終戦を迎えるまでの約70年間と、戦後と呼ばれ平成にいたる後半の約70年間の二つの期間に分かれます。最初の70年は、新たな文明へと大きく舵を切った明治の初期にはじまり、第二の70年は第二次世界大戦後、国家と社会の体制が根本から転換したところを起点としています。それぞれのスタートにおいて、総合的な知に基いて時代へ対応し、新たな挑戦をすることが、東京大学に求められていました。今日、世界の社会や文化が、大きく変動する時期を、また迎えています。その中で、東京大学が伝統の中で培ってきたものの見方や作りあげてきた知見を、次の時代の新たな知の扉を押し開く力にしなければなりません。皆さんは、まさに第三の70年間の最初の年に、東京大学の一員になられたのです。70年という期間は、皆さんのこれまでの人生と比べてはるかに長いでしょう。この機会に、この歴史の時間スケールで、自分が今立っている位置を見直し、これから進むべき方向を考えてみてほしいのです。
現在は「変化の時代」だと言われます。それは、社会や思想が大きな転換期にあり、先が読めないこと、また、変化の速度が極めて速いため、その場の対応に追われてしまうことを意味します。この変化の時代に、私たちはどのように生きていけばよいのでしょうか。時代の流れに呑み込まれて右往左往していると、自分の立ち位置が自分自身にも見えなくなり、いつのまにか好ましくない事態にまきこまれてしまうでしょう。
古代ギリシアの哲学者プラトンは、そういった事態への対処について、晩年に記した書簡の中で、次のように論じています。「目の前で変転する政治や社会の状況に振り回されているとめまいを起こしてしまう。だから、一旦距離を取って、本当に大切なことが何かを見極めなければならない。そこでは、現状から離れた視点が必要なのだ。その視点こそが哲学である」と、そう言っています。皆さんがこれから取り組む学問は、そのような哲学の上に築かれているのです。すなわち、大学の学問とは、自分が今どのような場所にいるのか、どちらに向かうのかを冷静に考えるための思考の基盤であり、時代の変転に流されないための視点を獲得することなのです。
もし、その場ですぐに役立つ知恵や技術が手元にないとしても、あきらめてはいけません。それを探求し、新たに創り出していく基本的な態度、知を求め愛する姿勢を、皆さんは東京大学で学んでいくからです。その姿勢こそが、変化の荒波を乗り切るための指針となるのです。
変化の波の真ん中に放り込まれると、不安あるいは無力感に襲われ、守りの姿勢に陥りがちです。しかし、変化は時代が皆さんに与えた大きなチャンスでもあります。変化に合わせようと追われるのではなく、自分も変化を作り出す一人として能動的に立ち向かい、ぜひこの絶好のチャンスを積極的に捉え、大いに楽しんでもらいたいのです。
さて、今年はまた、明治維新150周年にあたります。今、歴史に学ぶ姿勢がいよいよ大切になっています。ここで「歴史に学ぶ」とはどういうことか、考えてみましょう。
それは、単に歴史の諸事実を確認するというのではありません。過去を見直すことで現代へのヒントを探ること、そこから新たな価値を生み出すことを意味するのです。同じ出来事でも、異なる視点から捉え直されることで、その都度別の新たな意味が加わるのです。社会や学問の見え方も、時代ごと、年ごとに変わっています。長い時間の尺度で見渡すことは、私達が生きる現代について、その本質を見抜く目を養ってくれるのです。歴史的な視野を持つとは、決して静止したものを受動的に受け入れることではなく、躍動するものを能動的につくり出すことなのです。50周年や100周年という記念の年は、単に過去を思い出して祝うだけではなく、そこから現在を捉え直し、新たな時代を切り開く始まりになるのです。
想像力を働かせて知ろうとする者だけに、歴史はダイナミックな姿を見せてくれます。皆さんは東京大学での学びの機会を通じて、これからそのような様々な経験をしていくはずです。歴史から何を学ぶか、それこそが時代の変化に挑み、変化を楽しむために皆さんが持つべき視点なのです。
ここで、変化の時代を楽しんだ一人の先輩を紹介したいと思います。そこから学問をどう作り上げていくかを学ぶことができるでしょう。
今から141年前、東京大学創設の年、1877年に文学部の第一科に入学し、1880年に卒業した文学部第1期生の中に、あの岡倉天心(岡倉覚三)がいます。文学部で「国家論」や「美術論」の論文を書き、英米作家の小説に熱中し、漢学・漢詩をよく学んだ岡倉は、後に日本美術史という新しい道を切り開いていきます。そのきっかけには、ハーバード大学を卒業し東京大学に外国人教師として招かれて、哲学や政治学を教えていたアーネスト・フェノロサとの出会いがあります。
幕末明治期には、西洋文明を急いで取り入れたいという機運の中で、「廃仏毀釈」とよばれる運動が起こりました。その中で、日本美術の価値が過小評価されていました。多くの仏像が打ち捨てられ、破壊されてしまうという状況が生まれてしまいました。かつて美術学校でデッサンと油絵を学んだこともあるフェノロサは、日本の古美術にも興味を抱き作品を収集し、研究していました。岡倉は、大学卒業後文部省に勤務し、フェノロサの京都や奈良への調査旅行に通訳を務めながら、度々同行します。そこで、現場で様々な古美術品を見てその保存状況等を知っていきます。岡倉はアメリカ人のフェノロサと共に行動し、状況をつぶさに観察する中で、外部から日本を見るという目を養い、日本美術独自の価値と時代への危機感に目覚めていきます。古いものの価値を外からの視点で捉え直し、それを積極的に活用したのです。この二人のコラボレ-ションは、この時代の主流となっていた日本文化軽視の風潮に抵抗して、日本が伝えてきた美術を再評価し、その保存と修復の仕組みを整えていく運動へと発展します。時代の空気に迎合するのではなく、それを吹き飛ばす新たな風を起こしていったのです。
中でも有名なエピソードは、法隆寺夢殿にある秘仏、救世観音(ぐぜかんのん)像の扉をついに開いた開扉(かいひ)でしょう。1884年に法隆寺をおとずれた二人は、政府派遣の権限でその開扉を求めました。秘仏の扉を開けると仏罰が下ると信じていた僧侶たちは激しく反対します。しかし、それを押し切って、長年閉ざされていた秘仏をついに人々の目の前に出したのです。錆びた錠前を開け、扉の向こうに現れたのは、木綿の布が幾重にも巻きつけられた彫像でした。500ヤード(約450メートル)以上にわたる布を取り除き、ついに姿を現した救世観音像は、世界無比の存在感だったと言います。それは日本古来のすばらしい美が顕れた、痛快な瞬間でした。二人はその後、そのときの感激を語りひろめることで、新たな時代への挑戦を強く印象づけていきます。すぐ目の前にありながら、真価が分からずに闇雲に信奉したり、あるいは棄却したりしてしまっていた事物に対して、本当の美を評価する目の大切さを、この二人は実際の行動によって示したのです。それは、信仰の対象の中に押し込められていた仏像を「美」というあらたな視座から示したもので、世界の見方の転換でもありました。普遍性を目指す一つの学問が、新たに近代日本に生まれたのです。
東京大学を卒業した時に岡倉は17歳、教師のフェノロサもまだ27歳でした。この若い師弟は、一緒に旅し、そこで感動を共有し、日本美術の保存と復興という目標を見出し、大きな役割を果たしました。国や言語を超えた師弟のこの協働は、既に明治の最初期から東京大学の知がグローバルな視点で探求されていたことを示しているのです。そしてそれが日本の文化や社会の新たな形を創っていったという、東京大学草創期の様子を伝えてくれます。教える側にいたフェノロサも、教えられる側にいた岡倉たちも、日本で新たな価値と出会いそれを吸収しつつ、相互に触発しあいながら、新しい知を作っていったのでしょう。時代の偏見や一時の流行に流されず、ときにインパクトやショックを楽しみながら独自の生き方へと変えていく、その時代を生きた挑戦者のたくましさが感じられます。変化の時代に行われたこの知の創造と、そこでの師弟の関わりは、大学という場での学びの本質を物語るものだと私は思います。
岡倉は後に、ボストンに赴き、フェノロサの収集品などを収蔵するボストン美術館の東洋部長として、活躍しました。そして、日本や東洋美術の価値を欧米に積極的に伝えました。また、中国、インドにも赴いて「アジア」という理念を打ち出し、日本をアジアの中に位置づけながら、そのあるべき姿を徹底的に考えたのも岡倉です。彼の考察は、有名な『茶の本』や『東洋の理想』などの英文著作として、欧米で刊行されました。彼は日本や東洋における美と文化のあり方を広く世界に発信し、それを通じて平和を訴えようとしたことがわかります。
岡倉は自由奔放で敵も多かったことから、同時代には多くの批判もありました。また、そのアジア主義が後に政治イデオロギーに利用された面もあり、彼の業績には毀誉褒貶が付きまといます。しかし、この先人の評価は近年大きく見直されてきています。批判や失敗を恐れず、変化と困難をバネに常に新しいことに挑み、近代日本において日本の文化の真の価値を世界に訴えた意義は、今日では国際的に高く評価されています。今、日本は、文明の真価が問われ、これまで私たちが培ってきた底力と発信力が試されています。変化を楽しみながら日本、アジア、そして世界の歴史を新たに作り出していった東大草創期の教師と学生との交流を、皆さんが今思い出すことは大変意義があることだと思います。その交流の現場を想像し、皆さん自身が、これから新たな知を作る現場に立ち会う糧として下さい。
さて、大学に入ると、今までとはまったく異なる勉強や生活が始まります。今までは決められた課題が与えられ、それを着実にこなしていくことが求められてきたかもしれません。しかし、これからは違います。自分で問いを見つけ、自ら時間の使い方や対応策を考え行動することが必要になります。大学で学ぶとは、すでに出来上がったコースを進むことではありません。
新たな見方や価値を作り出していくためには、何よりも豊かで繊細な感受性が大切です。
また、どのような学びの場を選ぶかが決定的に重要です。東京大学では、多様な講義だけでなく、様々なチャレンジの仕組みを準備して皆さんの参加を待っています。海外に出て語学や文化を勉強したり、ボランティアや社会活動に積極的に関わったりする機会も提供しています。これらは、とっつきにくく思われるかもしれませんが、とても貴重な学びのチャンスなのです。必修ではないからといって、見送ってしまうのはとても残念です。明治の時代に岡倉とフェノロサが創設当時の東京大学という場から飛び立って活躍したように、皆さんもこの東京大学という場を最大限に活用して、広い世界へと羽ばたいてもらいたいのです。
大きな夢を持って入学された皆さんが、学問研究に打ち込みながら、人間としても大きく成長するためのプログラムをたくさん揃えてあります。ぜひそれを存分に生かして下さい。そのヒントとして、具体的にプログラムをいくつか紹介しておきましょう。
まず、皆さんが異なる生活や文化・価値観に触れるための「体験活動プログラム」があります。数日から1ヶ月くらいの期間、主に休暇中に国内や海外の様々な場所でボランティア活動、就労体験、地域活動やフィールドワークに参加し、実地の体験をするプログラムです。自分が興味を感じるプログラムを探して応募し、事前の研修を経て現地に入って活動します。活動の後にはその成果を話し合う報告会もあります。説明会や応募締め切りは春にありますので、ホームページなどで情報を確認しながら、自分で計画を立てて参加してください。専門課程に進むと、より限定された領域の中で知識を深めていくことになりますが、それに先立って、あるいは、それと並行して自分の関心を広げ、「体験の知」を生かしていく絶好の機会となるでしょう。正規の授業では得られない貴重な学びの機会です。
もう一つ、昨年度から「フィールドスタディ型政策協働プログラム」が始まりました。グループに分かれた学生たちが全国の地方自治体と協働で地域の課題を考えるというプログラムです。学生が年に何回か現地に行ってその土地の生活を体験し、現地の人たちや役所の方々と議論し見聞を広げながら、提案をまとめて報告するものです。3月の最終報告会では、地域の視点に立つことで、日本や世界を見直す機会となったと言った、成果が披露されました。
こういった体験学習では、学年や専門分野を超えて、様々な仲間と一緒に活動する機会が得られます。これからの人生の糧となる貴重な出会いがあるかもしれません。人とのつながりは、いつも楽しいものばかりではなく、時に誤解やぶつかり合いを経験することもあるでしょう。ですが、そういったことを恐れては何も生まれません。厳しく楽しい体験を通じて得られた仲間や、指導を受けた先生方とその経験は、一生の宝となるものです。
皆さんは、これからの人生において、世界の人々と共に生き、共に働いていくことになります。そのためには国際舞台で自分の意思を伝える力を身につけておかねばなりません。なかでも、英語での書く力と話す力は、受験での受動的な学習では鍛えにくいものですので、大学での学びが大切です。そのために、少人数クラスの必修コースを用意しています。理系はALESS、文系はALESAでアカデミック・ライティングを学びます。また、2015年にはじめたFLOW(Fluency-oriented Workshop)という授業は、英語で話し討論する力の獲得を目指すものです。7週間という短いコースですが、英語で話す自信と、その後自分でトレーニングし続けるためのコツを身につけることができます。
その他、国際的なトレーニングに役立つ多様なプログラムがあります。これらのプログラムを効果的に履修するために、「国際総合力認定制度」(Go Global Gateway)という制度を新たに設けました。いろいろなプログラムに参加し一定の基準を満たしたらそれを認定する制度です。ぜひ活用してください。
東京大学にはこの他にも素通りしてはもったいないプログラムがたくさんあります。これらの多様なプログラムを通じて、皆さんは大学で「知のプロフェッショナル」になるための基礎力を身につけ、自ら新しいアイディアや発想を生み出す力を培うことができるのです。
大学生として過ごす期間は、人生の中でけっして長い時間ではありません。しかし、他の時期には得られない貴重な経験ができる、かけがえのない、濃密な時間です。気がつくと限られた時間はあっという間に過ぎてしまいます。そのことをしっかりと心に刻んで、大学生活を始めてもらいたいと思います。大学に入ると、新たな環境に慣れることや、授業についていくことだけで手一杯になってしまい、自分が知らない世界に入っていくことに躊躇するかもしれません。ですが、様々な場に自由に参加できるというのは、実は大学で過ごす皆さんの大事な特権なのです。新しいスタートを切った今、ぜひ未知の体験に果敢にチャレンジしてください。
皆さんがこれから充実した大学生活を送ることができるためには、まずは心身の健康が大切です。困ったこと、心配なことがあれば大学の教職員や仲間に相談しながら、前向きに対応していきましょう。皆さんが実りの多い大学生活を楽しまれるよう、私たちはできるだけのサポートを行なっていきます。皆さんが、素晴らしい大学生活を送り、立派な東京大学の卒業生となる日を楽しみにし、皆さんの健闘をお祈りしています。
平成30年(2018年)4月12日
東京大学総長 五神 真
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