平成30年度東京大学大学院入学式 総長式辞

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式辞・告辞集 平成30年度東京大学大学院入学式 総長式辞

本日ここに東京大学大学院に入学された皆さんに、東京大学の教職員を代表して心よりお祝いを申し上げます。また、ご家族の皆様にも、心からお慶び申し上げます。

本年4月に東京大学大学院に入学されたのは、修士課程が2959名、博士課程が1126名、専門職学位課程が330名、合計4415名です。皆さんは、これから始まる学びと研究活動への期待に胸をふくらませていることと思います。

 

今年は明治維新から150年の年で、明治以来の歴史を思い起こす良い機会となっています。東京大学も昨年、創設140年を迎えました。この間の日本の近代化の歩みを振り返ることは、日本社会だけでなく、将来の人類社会のあり方を考える上で有益な示唆を得る機会となるはずです。

今、人類社会は大きな転換点を迎えていると感じます。社会制度、経済活動、国際政治、科学技術などのあらゆる面において、かつてない大きな変化が起きているからです。しかも、これからの変化は遙かに短い時間の中で起こり、急激なものになることは間違いありません。

20世紀は科学の世紀と呼ばれ、自然科学がめざましく進歩し、そこから革新的な技術が次々に生まれました。人々は国境を越えて活動し、世界中の出来事を瞬時に知ることもできるようになりました。20世紀後半にはこの技術革新を牽引力として、工業化が世界中で進み、世界経済の規模は飛躍的に拡大しました。日本も高度経済成長を達成し、先進国としての地位と平和な社会を獲得しました。

しかし、今こうした成長モデルは飽和の状態に達しつつあります。一方で、世界を見渡してみると、地球環境の劣化、地域間格差、金融不安、内戦やテロといった地球全体を脅かす課題がいっそう顕在化し、人類社会は不安定さを増しています。変わり方自体が変貌し、不気味さを感じることすらあります。

この変化を加速している一つの要因が、デジタル化の浸透による科学技術の新たな展開です。その中で人と人との繋がり方や人と社会の関わり方が質的に変わってきていると感じます。そして、それによって、人類が数世紀をかけて構築してきた、資本主義や民主主義といった、社会を支える基本的な仕組みそのものが揺らいでいるのです。私達は、この変化の時代に起こっている様々な問題から、目を背けてはならないのです。

 

大きな変化の時代は、不安と危機の時代であると同時に、可能性とチャンスの時代でもあります。たとえば、私達がインターネットを日常的に使うようになってから、既に20年以上経ちます。この間に、サイバー空間上には、以前の想像をはるかに超える膨大なデータが蓄積されました。さらに、物を直接インターネットに繋ぐ技術、IoTにより、物が自動的に人を介さずに収集したデータも加わり、サイバー空間上のデータ量は加速度的に増大しています。その大量のデータをリアルタイムで人工知能が自動的に解析するような可能性も出てきています。こうした状況はデジタル革命とも呼ばれ、経済社会に、歴史的な変革をもたらし、第四次産業革命が到来すると言われていることは、皆さんも耳にしたことがあるでしょう。

私達が暮らすリアルな物理空間がサイバー空間と高度に結合し、人間それぞれの身体に経験的に刻まれた知恵と、公共的に蓄積された情報が高度に連結して新たな知と価値が生み出されるという可能性が見えてきました。すなわち知識や情報が価値の中心を担うような、知識集約型の社会です。さらに重要なことは、このような知識集約型社会への変化はこれまでの延長としてではなく、不連続で、異質なものへの飛躍を含むパラダイムシフト、という形で起こると考えなければならないということです。

私はこの知識集約型社会への転換は、現代社会が抱えている様々な困難を乗り越えていくチャンスだと捉えています。都市と地方の格差が縮小し、老若男女、障害のあるなしを問わず、ひとりひとりの知恵と可能性が最大限に引き出され、皆が参加できる、今よりもむしろより良い社会に向かうきっかけともなりうると思うからです。

 

このパラダイムシフトが、人類社会をより良い方向に導くのか、それともさらに困難な状況へと導くのか、私達は分水嶺に立っていると感じます。では、この変革をチャンスとして活かすために私達はどうすれば良いのでしょうか。それを考えるために、一つの事例として、自動車の自動運転について、ここで考えてみましょう。

自動運転には、物流や人の移動についてコストを大幅に減らし、産業全体に大きなメリットをもたらす可能性があります。また、高齢者の移動や物資の配送などと結びつくことで、超高齢社会における人々の生活の質を大きく向上させるかもしれません。だからこそ、今のうちから、自動運転が応用され普及した状況について、想像力を駆使して描き出し、その恩恵や影響が各人にどのように及ぶのか、それを良く考えておくべきです。そして、その技術をみんなが安心して使えるように備えるのです。

さて、想像力を駆使して備えるとは、どういうことでしょうか。自動運転技術の柱は、いかに事故を起こさないようにするかという、危険の予知とそれを回避する仕組みです。走行中に周囲の状況変化を捉え、瞬時に適切な判断をするためには、高度な空間情報の認識と処理が必要です。3次元のイメージセンシングとそのデータ分析の技術が鍵となります。さらにそれだけでなく、実際の場面に即してどのように判断し、反応させるべきかというソフトの開発も重要です。実際の走行データを大量に集め、それを人工知能に学習させるという研究も進み、まさしく世界規模で熾烈な開発競争が繰り広げられています。

しかし、人々が安心して自動運転車を利用できるようにするためには、こうした技術の開発だけでは足りません。いかに技術が発達したとしても、起こりうる事故を完全にゼロにすることはできません。不幸にして事故が発生し、例えば自動運転の車に乗っていた人が怪我をした場合、その治療費等については誰がどのように責任を負うのか。そういったことについて、多くの人々が納得できる社会的なルールを構築することも、技術開発と同じぐらい重要なのです。これは直接には法学や社会科学の分野に関わるものです。

たとえば、自動運転のタクシーやバスに乗っている人が、事故にあって怪我をするというケースを考えてみましょう。バスやタクシーに乗るということは、法律的には乗客がバスやタクシーの事業者と契約、すなわち約束をするということです。それゆえ、安全に目的地まで運ぶという約束が守られなかった場合には、法的な問題が生じるわけです。そこに関わる責任をどのように整理し合理的に対処するかのルールを、あらかじめ決めておくことが必要になります。しかしながら、現在の民法には自動運転車の損害賠償について直接の規定はありません。

新しい法律をつくって国会で決めればいいではないか、と皆さんは思うかもしれません。しかし、法律をつくるためには、社会で現実に起こっていることをきちんと調べるとともに、どうするのが正しいことなのかについての議論を尽くさなければなりません。人工知能を含む新しい技術が、これからどのように社会に受け入れられて行くのかということも重要な論点です。そうした未来の社会像もふまえて、自動運転中の事故から発生する損害の賠償責任を、誰がどのような形で分担するのが公平で公正なのか、そうした議論を深めていくことが求められるのです。

他方で、これらの課題を警戒しすぎて、予防的に過剰な規制を課してしまうことも好ましくないでしょう。自動運転が果たしうる将来の可能性を抑えてしまうことになるからです。革新的な技術に基づいて新しい社会や経済の活動が生まれたときに、どこまでを民間の自由に任せ、国は最低限どこを規制すべきなのか、これは古典的な難問です。その難問を解決する際には、まず原理的な問題、公平あるいは正義とは何かという法学の基本的な知見に立ち返り、あるべき規制とは何かを考えることが必要になります。さらに、規制を課すことによる社会全体のコストの増減という、経済学的な観点からの判断も深く関係してくるでしょう。そして技術の限界や信頼性についての科学技術的知見も欠かせません。何より重要なことは、これら全ての知見を組み合わせて考えていくということです。すなわち、自動運転の車が引き起こす事故を想像し、その処理に備えるためには、文系理系といった枠を飛び越えた連携による研究と協働作業が不可欠なのです。

 

東京大学は、文系の学部・研究科と理系の学部・研究科の両方を有し、さらに学際領域の多数の研究科を擁する総合大学です。多様な分野の最先端で活躍する多くの専門家を抱えています。そのため、今話題にした自動運転に限らず、新しい技術を社会に実装する際に生じる問題を深く研究し、総合的に検討する場として、他に類がない恵まれた条件を備えています。入学後の皆さんが、幅広い学習を通じて、従来の専門分野の垣根を越えて、複眼的な視点から現代的な問題に取り組む力を身につけ、そしてそれを実践されることを大いに期待しています。

文系理系の融合がますます重要になる分野はほかにも沢山あります。例えば、金融のシステムは、ブロックチェーンなどの新しいデジタル技術でがらっと変わるでしょう。また、国や地方自治体が政策を立案する際にも、データに基づく根拠が重視され、これまで以上に多様な調査結果を活かすことが求められます。そこでは、社会事象に関するビッグデータを扱うために、社会科学として積み上げられてきた社会調査についての専門知識と最新の数理データサイエンスの知見とを組み合わせて考えていくことが不可欠になるでしょう。

 

社会において、次々に新しい問題が生まれていく中で、その解決のために大学は何ができるでしょうか、また何をすべきでしょうか。そのことを、皆さん自身も学びながら考えてください。新しい問題は、世の中の人々の注目を集め、われわれもそれに目を奪われがちです。しかし、大学は、問題を考えるための、基礎となる原理原則の考え方を探求し、「真理」を追究するために、時を超越した活動をすることが許されている場でもあるのです。それによって、新しい問題の真の解決に立ち向かうことが大学に期待されているのです。

たしかに現在は社会の変化が非常に速く、新たな情報が次々に生まれては消えていきます。情報通信技術の進歩によって、情報拡散の仕方も大きく変わり、事実か「フェイクニュース」かの見極めに迷う場面も少なくありません。私達の毎日は溢れる情報を如何にさばくかが仕事になってしまっているようにも感じます。昔のように図書館に籠もって、書籍の匂いを感じながら先人の足跡を追うという機会はめっきり減りました。ディスプレイを見ながらキーボードを叩くことで、遙かに効率的に情報を得ることができることも事実でしょう。しかしこの便利さの中で、「知のプロフェッショナル」として備えるべき、強靱な足腰を鍛えることがなおざりになってしまってはいないでしょうか。うわべの情報に振り回されるのではなく、背後にある本質あるいは真理を見抜く力を養うには、時に立ち止まってじっくり考えることが必要です。

 

例えば、さきほどの自動運転の例でも、民法が深く関わっていることに触れましたが、法をつくり整備することが社会にどう役立つものなのか、歴史を振り返ることで学ぶこともできます。

民法の制定当時、明治政府は不平等条約の撤廃に向けて、近代的な法典の整備をする必要に迫られていました。しかし当時は、日本人の力だけでは世界に通じる法典の整備は困難でした。そこでフランスから民法の専門家ボアソナードを招き、民法典の原案を作成させました。しかし、このボアソナードが作成した民法典は、公布はされたものの、日本の伝統や風習と折り合いがつかず、議会を通すことができず、施行はされませんでした。その時、梅謙次郎を中心に、穂積陳重、富井正章の若い三博士が奮闘し、明治29年の民法制定に至ったという経緯があります。とは言え、ボアソナードの草案が、現在の民法の礎となっていることは間違いありません。最初の出発においては、お雇い外国人の手を借りなければ、民法という社会を支える基本法の立案をすることもできなかったのです。

昨年、この民法のうち、契約に関する債権法と呼ばれる部分の大改正がおこなわれました。約120年を経てはじめての抜本的な大改正でした。今回は全て自前で、しかも諸外国の法律との比較をしつつ、改正案を作成しました。120年の消化吸収を経て、日本独自の法の整備を自分たちの手で行ったのです。

現在日本は、政府開発援助(ODA)としてアジア諸国の民事基本法の整備を支援するという活動を行っています。政府開発援助というと、道路や橋の整備を思い浮かべる人もいると思いますが、社会における様々な活動を支えるインフラであるという点では、法律も同じです。日本は、明治期に近代化を進める中で、ヨーロッパの法体系を受け継ぎながら日本の社会で使える形にして移植しました。先進国の中でこのような経験を持つ国は珍しいのです。この経験をもとに開発途上国への法整備支援をすることは日本の歴史的な特徴を活かした援助だと言えるのです。

さきほど、時に立ち止まってじっくり考えることが必要だといいましたが、時間を自分の思うように使うことができるという学生の特権を存分に活用してほしいと思います。大学院での研究生活はその絶好の機会なのです。いったん社会に出ると、目の前の案件の処理を優先せざるを得なくなり、原点に立ち戻って考える余裕はなくなるというのが現実です。これから40年なり50年なり、知のプロフェッショナルとして、考え続ける力をぜひとも在学中に養って頂きたいと思います。

 

最後に、皆さんにお願いしたいことがあります。それは、東京大学を素通りしないで下さい、ということです。東京大学というかけがえのない場の中に深く立ち入って、東京大学を活用し尽くしてほしいのです。才能に恵まれた皆さんにとって、自分の専門について勉強をし、過去の例にならってそれをきれいにまとめるだけなら、それはそれほど難しいことではないでしょう。しかし、そこで、安易にわかったつもりにならないということが何より重要です。

見たこともないような、新しい問題、糸口がすぐにみつからないような難しい問題にぜひ果敢にチャレンジして下さい。これらを避ける理由を探すことは容易です。しかし自分の時間がたっぷりあるという特権を活用すべきです。東京大学はそのような挑戦を行う最適の場所です。そこから逃げていては、東京大学に入った意味がありません。東京大学は、従来の枠にとらわれない発想を何よりも大切にします。キャンパスには、多彩な専門家がいます。その気になりさえすれば、世界をリードする第一線の専門家から直接学び、議論をして思索をめぐらすチャンスがたくさんあります。研究室で周りを見渡せば、自分にはない発想を持っている学友がいます。その中での切磋琢磨を通じて自分を鍛え、みんなで高めあうことも大いに期待できます。さらには、複数の領域に関わるセミナーやシンポジウムがキャンパスで毎日のように開催されています。時には自分の専門と遠いように見える分野のシンポジウムに参加してみるのも良いと思います。新しい発想のきっかけは、意外に近くにあるかもしれません。

皆さんは今日から、私達の仲間となります。私は総長として、皆さんが安心して最高の学びと研究に打ち込めるように、大学院の環境を充実させていきます。また、皆さんが「研究する人生」に魅力を感じることができるように、研究者の雇用環境の改善にも努めていきます。

大学で学び、研究する私たちが果たすべき役割は、先人たちのたゆまぬ努力の中で蓄積されてきた成果を、敬意をもって継承し、さらに学問を深めて新たな価値を創造し、変革し続ける社会をうまく駆動させる知恵を生み出すことにあります。私は21世紀を担う皆さんと共にその現場に立てることを、幸運だと思っています。共に夢を抱きながら課題の解決に挑戦し続け、新たな価値、そして伝統を一緒に創り出していきましょう。

皆さんが元気に活躍されることを期待しています。

 

平成30年(2018年)4月12日
東京大学総長  五神 真
 

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