令和3年度東京大学大学院入学式 農学生命科学研究科長式辞

令和3年度東京大学大学院入学式 農学生命科学研究科長式辞

東京大学大学院に入学、進学された皆さん、本日は、まことにおめでとうございます。ご家族の皆さま、関係者の皆さまも、お喜びのことと存じます。心よりお祝い申し上げます。大学院進学以来、すでに40年近くを研究者として過ごしてきた私自身の実感を交えて、時間の流れという観点から、皆さんへのご挨拶を申し述べたいと思います。

中国唐代の詩人劉廷芝が詠んだ詩のなかに、「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」という有名な一節があります。自然の悠久なさまと対照させて、人生のはかなさを詠っています。科学の領域においても、自然界と人間社会とでは時間の流れ方が異なると認識させられることがあります。一つの例を挙げてみます。いまから70年ほど前、戦争で荒廃した国土の治山治水対策として、そして、戦後復興のための材木需要に備えて、生長の速い針葉樹の植林が推進されました。しかし、その後の高度成長の過程で木材貿易が自由化されると、輸入材が安価に供給されるようになりました。その結果日本の林業が衰退して針葉樹林の管理がおろそかになり、台風などの大雨の際に、洪水や地滑りなどの災害が引き起こされています。他方、現在では、日本の山林には世界でも有数の森林資源が蓄積されており、その有効利用が新たな課題となっています。人間は、自分たちの都合に合わせて自然を改変します。ところが、人間社会と自然とでは、変化のタイムスパンが異なります。70年前に人間自らが植えた針葉樹によって、現在の人間社会は、当時は想定しなかった複雑な課題に直面しているのです。

私は、この10年ほど、ソルガムという植物の研究をしています。高粱(コーリャン)というほうが、馴染みがあるでしょうか。ソルガムはイネ科の穀物で食料や飼料に用いられる一方、化石燃料を代替するバイオマス資源としても有望です。人類は古くから、より好ましい形質をもつ作物品種を得るために品種改良を行ってきました。最近では、ゲノム情報に関するビックデータと数理統計モデルを用いて個体の形質を予測し、品種改良に要する時間を大幅に短縮することが可能になりました。とはいえ、実験のスケジュールは、依然として、春に芽を出して秋に実を結ぶという植物の生育パターンを前提にしなければなりません。十分なデータを得るために、ひとつの実験が数年間に及ぶこともあります。生物を研究対象とする農学において、データ収集に要する時間は長期に亘ります。森林を研究対象とする林学や生態系の変化を観察する生態学などでは、それが数十年に及ぶことも稀ではありません。こうしたことは農学に限ったことではないでしょう。自然科学、人文学、社会科学を問わず、データを収集するために長期の時間を要する研究分野があります。さらには、どの研究分野においても、データや研究成果を長期に亘って蓄積してゆくことが要請されています。

「歳歳年年人同じから」ざる人間社会において、世代を超えてデータや研究成果を蓄積してゆく装置として、大学というしくみは有効であり、貴重です。それらの永い積み重ねをもとに、私たちは、新たな知を生み出し、未来を切り拓くことができるのです。そこにこそ、大学の社会的役割があるということもできます。皆さんがこれから生み出してゆくであろうデータや研究成果も、この大学に蓄積されて、将来世代によって活用されます。ただし、皆さんは、そのような歴史的使命を負担に感じる必要はありません。みなさんは、自分の関心にもとづいて自由に研究課題を見つけて、それに取り組んでいただければよいのです。そこで得られたデータや研究成果が、結果として、将来世代の研究に寄与することになる、ということです。

さて、東京大学は、研究者同士、さらには研究者以外の人たちとの対話を通じて、大学の外に開かれたネットワークを形成してゆくことを目指しています。農学生命科学研究科では、「One Earth Guardians(=地球医)育成プログラム」という新しいプログラムを立ち上げました。人間の都合で自然を改変し、資源として利用してきた結果、地球環境は危機的な状況にあります。このプログラムは、100年後の地球で、人間と他の生物たちが共存できる世界を実現するための人材、すなわち「One Earth Guardians」を育成することを目指しています。100年後という設定に対して、長期のタイムスパンを以って臨む視点、短期のタイムスパンの積み重ねを重視する視点など、立場によってアプローチは異なります。私のソルガム研究でも、ベンチャー企業との連携を進めていますが、企業人が求める実用性と研究者が設定する課題との違いに気づかされます。One Earth Guardians育成プログラムでは、研究者同士だけではなく、行政、企業、NPOなど異なる立場の人たちがそれぞれのアプローチを互いに提案しあって協働することで、よりよい未来へ向かって新たな視点を獲得してゆくことを目指しています。

多様な立場の人たちとネットワークを形成しながら行動を起こしてゆく力量のことを、私たちは「巻き込み力」と名付けました。それは、対話を通じて他者との関係を築いてゆくための能力のひとつと言えます。ただし、他者を巻き込むためになにより重要なのは、自分の研究を自分自身が心から楽しめているか、ということだとも思います。自分の研究を楽しめてこそ、他の人たちに自分の研究の魅力や意義を伝えることができます。そこではじめて、立場の異なる人たちとのコミュニケーションが始まるのです。

自分が楽しめる研究テーマは、自分自身で探し出さなければなりません。そのためには、まず、何がすでに知られていて、何が知られていないのか、を確認しなければなりません。前に述べたように、大学は情報を蓄積し、新たな知を創出する装置です。この東京大学は、日本随一の巨大な装置です。世界でもトップクラスといえるでしょう。巨大かつ複雑な装置ですが、その使い方に熟達した教員や職員が、皆さんをサポートします。この装置を駆使して、自分が心から楽しめる研究テーマをぜひ探し出してください。

最後に、少しだけ研究以外のお話をいたします。大学の内外で、新たな出会いに接する機会も多いはずです。新型コロナウイルスの影響で、対面の機会は少ないかもしれませんが、交友関係を広げていけるようにお互いに工夫していきましょう。大学院生は、研究に邁進するあまり不規則な生活になることもあります。健康面などで困ったときには周囲の教職員に相談してください。専門家によるサポート制度もあります。皆さんが健やかに、充実した学生生活を過ごされることを、心から祈念いたします。

令和3年4月12日
農学生命科学研究科長
堤 伸浩

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