令和2年度東京大学入学者歓迎式典
総長式辞

令和2年度東京大学入学者歓迎式典(学部) 総長式辞

令和2年度入学者のみなさん、はじめまして、今年度、第31代東京大学総長に就任した藤井です。

昨年は、COVID-19の急速な拡大によって、楽しみにしていた入学式も中止となり、授業もほぼオンラインで開講されるというかつてない事態となりました。この困難な状況への対応の中で、前期課程におけるオンラインでの定期試験の実施など、新しい試みが重ねられ、東京大学にとって貴重な経験となりました。みなさんには、授業はもとより、キャンパスへの立ち入り、図書館の利用、運動部やサークルといった課外活動など、多くの制限に協力していただきました。キャンパスで新しい友人を作る機会が得られず、オンライン授業に孤独を感じ、大学生活の将来に不安を感じた人もいるでしょう。みなさんの不安と不便をいくらかでも解消できるよう、できるだけの措置をとり、各施設でケアに努めましたが、いたらないところもあったと思います。にもかかわらず、東京大学が教育と研究を止めずに前に進めたのは、みなさんの協力があったからです。ほんとうにありがとうございます。

新型コロナウイルスについては、感染力の高い変異ウイルスへの置き換わりが続き、感染拡大の制御が難しい状況が続いています。4月の終わりに実施を計画していたこの歓迎式典も、直前に延期を決断せざるを得ない事態となり、急なことでみなさんにはご迷惑をおかけすることになってしまいました。

この歓迎式典は、この一年、入学式に集えなかったことに始まり、勉学や研究や大学生活のうえでも多くの困難を経験してきたみなさんに直接お会いして、その労をねぎらうとともに、東京大学の仲間として改めて歓迎の気持ちを表したいと思い、開催するものです。その意味では、2ヶ月ほどの延期を経て、本日改めて開催できることを大変嬉しく思います。

すでに公表していますとおり、私自身、この4月に総長に就任して間もなく新型コロナウイルスに感染してしまいました。どれだけ気を付けていても、感染のリスクは身近にあるのだということを痛感しました。約2週間の入院療養の間、昼夜を問わず患者に対応し、健康観察や治療に取り組む方々を目の当たりにし、世界中でいまも続いている保健・医療関係者の格闘にあらためて思いをいたしました。この災厄の克服に力を尽くしているすべての方々に、心から敬意と感謝の意を表したいと思います。

さて、コロナ禍の状況は、私たちに新たな困難だけでなく、大学で学ぶことの意味を教えてくれているようにも思います。いま、世界の分断はさらに顕在化し、社会の在り方は急速に変化しつつあります。これまでにない、新たな人類史的課題が生じてきているといえます。

私は、こうした状況にあってこそ、大学の存在価値はより大きくなるものと考えています。なぜなら、いま最も必要なのは、直面する困難を乗り越える道を見出すことだからです。それぞれの専門領域において蓄積されてきた知識や、経験から生みだされたさまざまな知見や知恵を編み合わせて、新たな道標となる「知」を創出する。私は総長として、この東京大学を、そのような多様な「知」が生まれ、交じり合い、新たな実を結ぶような活動の場にしたいと考えています。

とはいえ、言うは易し、行うは難しです。実際のところ、同じ専門分野の者どうしでも、すぐに話が通じるとは限りません。分野が異なれば、なおさらです。学生のみなさんにとっても同じで、せっかく大学に入ったにもかかわらず、同じクラスや学科の仲間以外とはほとんど語り合わないまま卒業してしまう、ということにもなりかねません。

いろいろな人が集う東京大学という場で、何よりもまず大切なことは「対話」であろうと思います。本来的な対話の試みとはいったいどのようなものか、そこにはどのような可能性があるのか。ここでは私自身の研究に関連した、知の交流の事例から、お話したいと思います。

私は、東京大学工学部の船舶工学科を卒業し、大学院生時代は海中ロボットを研究しました。その後、本学の「生産技術研究所」で自分の研究室を持ってからは、マイクロ流体デバイスを使って新しいセンサを作り、たとえば深海を詳しく調査する方法の研究を進めてきました。2015年にこの研究所の所長に就任した頃、デジタル革新によって産業構造が大きく変化するなかで、「ものづくり」の未来像を改めて描きなおすべきである、と考えるにいたりました。

工学の最先端の研究を実社会と結び付けるためには、その研究から得られる新しい技術をどのように活かすべきか、ユーザーは何を求めているか、さらにそもそも何をつくるべきか等々を基本から問い直し、実社会を視野に入れてデザインしなおすアプローチが必要です。このため、2017年に「デザインラボ」を立ち上げました。

デザインラボのミッションは、最先端の研究や技術を、実用のアイディアにつなげることです。デザイナーたちは研究所内の研究室を訪ね、面白そうな研究の種を探して回ります。これはトレジャーハンティング、宝探しと呼ばれます。このとき、「ことば」が共通でないがゆえに生じる「疑問」や「誤解」が、逆に宝物を見つけるうえで役に立つといいます。作り手とはまったく異なる視点から対象を眺めることで、思いもよらないかたちで、新たな「問い」が立ち現れてくることがあるからです。

2018年、私の研究室でも、デザインラボとの対話を通じて、「OMNI」という革新的な海洋調査の在り方を提案しました。OMNIとは、Ocean Monitoring Network Initiativeの頭文字をとったものです。一般に海洋調査には多額の費用と長い期間が必要で、ごく限られた専門家たちだけの世界のように見られてきました。OMNIは、そうした現状を変えようとするプロジェクトです。海は本来、誰に対しても開かれていますので、低コストで自由度の高い海洋調査のツールが用意できれば、誰でも簡単に海のデータをとることができる、それを皆で共有するような仕組みができないか、と考えたわけです。

私たちが開発した観測機器は、ちょうどサッカーボールくらいの大きさです。今日はMark III、三つ目のバージョンをここに持ってきました。材料は100円ショップや秋葉原の電気街などで手に入り、誰でも簡単に組み立てることができます。手作りのこの浮力体の中に、緯度経度を与えるGPSやバッテリーが入っており、トップにはソーラーパネルがあり、この棒の先端のセンサで水温や塩分濃度などのデータを得ることができます。データはリアルタイムでサーバーに送られ、ウェブ上で公開されます。

まさに、デザイナー、エンジニア、科学者の「対話」の産物ですが、さらにこの観測機器は、広く学外の人々との対話と連携を可能にしています。例えば中学生や高校生に学校でOMNIの活用法を考えてもらったこともあります。漁業者、釣り人やサーファーなど、海に関わる多くの人たちが、このシンプルな機器を対話のツールとして、自由な発想を語り合い、問いをぶつけあい、響き合わせることができます。OMNIプロジェクトの発展から、思いもよらないイノベーションが生まれ、海と人との豊かな対話が広がっていくことを期待しています。

このように、広く深い海についての探索を進めようという試みにも、実は複数の意味での対話が関係しています。「対話」という概念には、単に向き合って会話をするという以上の意味がありそうですので、少し整理してみましょう。

「対話」には、大きく三つほどの意味が見いだせそうです。

第1の意味は、向かいあって話すことによって、ある問題に対する理解を深め、問いを共有し、解を探っていく。いわば、真理に到達するための対話です。OMNI Mark IIIを「作る」作業を進める上で、この意味での対話が重ねられたことは言うまでもありません。昨年度のオンライン授業の環境構築にあたり、みなさんと重ねた対話も、これでしょう。

オンライン授業の導入において大きな役割を果たしたのが、ポータルサイトuteleconへの全学からの質問やフィードバックです。多くの声が寄せられることで、システムの弱点がわかり、新たな試みが生まれました。また、迅速な対応から信頼感が生まれ、不具合があったとしても互いの力で解決できる連帯感が生まれました。こうした経験を重ねて、授業はもとより、教養学部前期課程の定期試験をすべてオンラインで行なうという決断が可能になったのです。

しかしながら、多くの場合、みなが同じ方向を向いて目標を共有しているわけではありません。それなら、そこでは対話は生まれないのでしょうか。実は、解決を生み出すことだけが対話の目的ではありません。

対話の第2の意味は、共感的理解の構築です。すなわち答えを出すよりも、まず対話の相手を全体として受け止め、そこから自分に向けられた問いかけを聞き取ることです。たとえば、みなさんのなかにも、オンライン授業に対応できるようになったけれど、それでは足りないと感じている人はいるでしょう。一方で、いや、オンラインで十分だ、かえって便利でよい、という人もいるでしょう。こうした意見の違いは、じつはどんな学生生活が望ましいのかという問いをめぐる価値観の違いにも根ざしています。ネットなどでは、互いの価値観の直接的な対立がしばしば見られますが、言葉尻を捉えたやりとりで、対立が解消することはありません。まずは相手の声を全体として受け止め、信頼し、その問いかけを共感的に理解すること。それが大事です。

とは言うものの、そのように理解することは簡単ではありません。そこで重要なのが第3の意味での対話です。相手が何を語っているのか、何を問うているのかよく理解できなくても、対話を続けるうちに、結果として意外なことが起こります。自分にはなかった新たな視点が、むしろ理解できない相手からもたらされるからです。先ほどお話ししたデザインラボで、「誤解」から新たな宝が生まれたのは、まさにその例でしょう。OMNIの観測機器の活用も、実はこうした意味での対話を期待していると言えるのかもしれません。観測機器を手にして海に入る人びとの動機はさまざまであり、必ずしもお互いに意図を共有しているわけではありません。しかし、各々がそれぞれの場で海を介した交流を楽しむことで、結果的に海についてより多くのデータが集まってくることになります。

この第3の「対話」は、「ポリフォニー」としての対話である、と考えることができます。ポリフォニーは、多声音楽と訳されます。単一の主旋律と伴奏からなるホモフォニーではなく、独立した旋律が複数あり、結果として一定の調和を見る音楽のことです。一致することを目指さない多様な声が響きあうことで、結果として何かが生まれます。その前提には、他者のことはそう簡単には理解できないという認識があるとも言えます。

現代の世界では、共感にもとづいた理解などとても生まれそうにないと思うほど、社会の分断が顕在化しています。アメリカ大統領選挙をめぐる騒乱は記憶に新しいところですが、世界各国においてマイノリティに対するヘイトクライムをはじめ、耐えがたく殺伐とした空気が広がっています。地球上には70億人以上の人が暮らしていて、相互理解それ自体が、容易ではありません。しかし、声を聞くことから始めることはできます。自分が声を上げてそこに響き合わせることもできます。大切なのは、対話への試みをやめないことです。

昨年のSセメスターに行われたオンライン定期試験も、こうした考えのもとで設計されました。複数の方式があり、またマニュアルも複雑で、二度とやりたくないという声があったのも承知しています。ただ、学生・教員ともに多様な考え方がある中で、試験をできるかぎり公正に、また特定の人に過度な負担がかからないように実施する。そのためにこそ、あのように複雑なシステムが生みだされたのだ、ということを伝えておきたいと思います。そして最終的には、みなさん一人ひとりが協力してくださったからこそ、なんとか成績を出すところまで漕ぎつけたのだと考えています。

多様性を尊重して物事を進めるときには、想像以上に多くの困難が伴います。多くの声に対応しようとして、一人ひとりの負担が増えてしまうことは少なくありません。単純な方法をとることは、一時的にはとても楽です。しかし、ポリフォニーの実現と負担の軽減をいかに両立させるか。それは、大学で学ぶ者にとっての究極の課題だと考えています。なぜならば、多様な声による多様な問いこそが大学の活力となるからです。このような考え方を大事にしながら、今後もみなさんとともに、よりよい大学を作っていきたいと思っています。

これは広く社会全体に、必要な考え方でもあります。COVID-19との闘いは、私たちの生活のさまざまな側面に、かつてないほど多くの制限を課しています。「緊急事態弱者」ともいうべき、想定外の困難な状況に陥る人びとも見られます。そうした人びとが孤立し、取りのこされることがないよう、配慮し、考える、そのような実践が求められています。そこでも「対話」が必要なのです。

さて、ここでみなさんにお話しなければならないことがあります。5月15日と16日に開催が予定されていた五月祭の延期についてです。その公表が開催直前の5月10日となってしまい、大変ご迷惑をおかけしました。

当時の東京の感染状況を振り返ると、5月6日付の東京都のモニタリング分析では、若年層を中心とした流行が続くなか、感染力の強い変異ウイルス(N501Y)に急速に置き換わりつつあり、若年層の重症化も懸念されると報告されています。実際に、5月6日から8日のたった3日間に、東京都の新規感染者数は約2倍に急増し、1,000人を超えてしまいました。このことは、危機管理をになう大学本部にとって大きな脅威となりました。

一方、本学では、5月7日に緊急事態宣言が延長されたことを受け、大学の感染対策レベルを「準1」で継続することを決定していました。一部で対面授業を継続するなかで、本学でも感染者が増え、警戒を強めなければならない状況にもありました。そのような状況のもと、大学本部では五月祭の企画が「準 1」の範囲として許容できるかどうかを検討しました。みなさんも十分に考慮してくださったと思いますが、過去の学内での感染事例を踏まえると、感染拡大を防ぎきれない企画があったことや、仮に五月祭を完全にオンライン開催に切り替えたとしても、準備や活動を自宅やレンタルスペースなどに集まって継続すれば、さらに感染が拡大することが危惧されました。

さらに、変異ウイルスが先行して流行した大阪府で、かつてない医療逼迫を経験したことから、当時、首都圏の人々は今後の急激な感染拡大を懸念していました。五月祭は、大学と社会との対話の場でもあります。だからこそ、そのような状況において学園祭を開催することが社会一般から見てどのように判断されるかという観点も考慮しました。その結果、主催者、参加者共に安心できるような五月祭を開催するには、十分な検討の時間が必要と判断し、当初の日程での開催を見送る決断に至りました。

決断がぎりぎりになってしまったことについては、先ほど述べたとおりお詫びしたいと思いますが、こと公衆衛生に関わる緊急の決断プロセスにおいては、その緊急性ゆえに「対話」を難しくする要素をはらむことがあります。学内の専門家とも検討を重ねた結果、大学の最終責任者として今回の決断をせざるを得なかったことも同時にご理解いただければと思います。

これを機に、五月祭がポストコロナ社会におけるより濃密な「対話の場」として発展的に開催されることを願い、その実現に向けて学内での対話にも力を注いでいきたいと考えています。

昨年度はみなさんにとって、つらいことが多かったと思います。後半から一部、対面での授業や活動がはじまり、直接顔を合わせることができた時のみなさんの笑顔をよく覚えています。私たちも対面の割合を増やす方向で進めています。ただ、しばらくはオンラインとの併用もやむを得ないところかと思います。そういう状況だからこそ、今後も対話をいっそう重視したいと考えています。受講環境の問題はもちろん、心に不安や落ち込みを感じた時は、いつでも相談してください。

今年度の後半には、後期課程での専門分野に漕ぎ出すことになります。自らの関心に応じたゼミでの議論、実験室での試行錯誤、多くの文献や資料との格闘、フィールドで汗を流しながらの調査等々、これまで以上に多彩な学びの機会と、多くの新たな出会いと問いが、みなさんを待っています。活動の制限を余儀なくされる局面が続くとは思いますが、是非、新しい発想で工夫しながら、目的を達成できる方法を見出す、ということを心がけていただきたく思います。そうした新たな発想は、往々にして、周りの教員や仲間たちとの対話の中で生まれてくるものです。

最後に一つ。オンライン環境では、ともすれば聞きたい声だけを選び取って聞くことができてしまいます。だからこそ意識的に、共に学ぶ仲間の声に耳を傾け、世界の多様な声を、たとえ理解できなくても、聞き続けてください。そしてみなさんもぜひ声を出して、話しかけ、問いかけてみてください。この一年を経験したみなさんだからこそ、語れることがあるはずです。

改めて、この一年のみなさんの努力と協力に感謝します。そして、一年遅くなりましたが、みなさんの入学を、一緒に祝いたいと思います。

ともにこれからの東京大学をつくっていきましょう。
 

 

令和3年6月26・27日
東京大学総長  藤井 輝夫

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