令和2年度東京大学入学者歓迎式典
総長式辞

令和2年度東京大学入学者歓迎式典(大学院) 総長式辞

令和2年度入学者のみなさん、今年度、総長に就任した藤井です。

みなさんは、新型コロナウイルス感染症の急速な拡大によって、昨年度の大学院の入学式が中止されたことに始まり、大学院での生活においても日常生活においても多くの困難を経験してきたと思います。そうしたみなさんに、ここで直接お会いして、これまでの労をねぎらうとともに、東京大学の仲間として歓迎の気持ちを伝える機会を持てたことを大変嬉しく思います。

日本のみならず世界全体が、かつてない危機的な事態となり、大学もまた授業のオンライン化はもとより、キャンパスへの立ち入りやフィールド活動について多くの制限をみなさんにお願いしてきました。キャンパスで新しい友人を作る機会が得られず、大学院生として学び、研究することの将来に不安を感じた方もいるでしょう。大学院において海外でのさまざまな活動を夢見ていた人にとっては、大変もどかしい状況であると思います。

こうした制限が必要な緊急事態は、今年度になってもなお続いています。4月の終わりに計画をしていたこの歓迎式典についても、直前になって延期を決断せざるを得ない事態となり、みなさんにはご迷惑をおかけしました。また多くの方々が楽しみにしていた五月祭も、オンラインでの開催を求める声もありましたが、残念ながら、主に二つの理由から延期しました。第一に、すべての講義や演習がオンラインであった昨年の9月と異なり、今年度は、対面での講義を一部取り入れており、その貴重な学内での教育の機会を極力守らなければならなかったからです。第二に、緊急事態宣言が発出された中で、感染拡大防止に努めるという社会の一員としての責任を果たす必要があるためです。秋に延期して、安全・安心に開催できるよう、いま検討が進められているところです。

すでに公表していますとおり、私自身、この4月に総長に就任して間もなく新型コロナウイルスに感染し、約2週間の入院療養をしました。どれだけ気を付けていても、感染のリスクは身近にあるのだということを痛感しました。最近は感染力の強い変異ウイルスへの置き換わりが続き、感染拡大の制御が難しい状況が続いています。昼夜を問わず患者に対応し、健康観察や治療に取り組む保健・医療関係者をはじめ、この災厄の克服に力を尽くしているすべての方々に、改めて敬意と感謝の意を表したいと思います。

さて、コロナ禍の状況は、私たちに新たな困難だけでなく、大学で学ぶことの意味を教えてくれているようにも思います。いま、地球温暖化や海洋汚染、差別や不平等など、グローバルな問題を前に、世界の分断はさらに顕在化し、社会の在り方は急速に変化しつつあります。

私は、こうした状況のなかにおいてこそ、大学の存在価値はより大きくなる、と考えています。なぜなら、いま最も必要なのは、その困難をともに乗り越える道を見出すことだからです。それぞれの専門領域において蓄積されてきた知識や、経験から生みだされたさまざまな知見や知恵を編み合わせて、新たな道標となる「知」を創出する。私は総長として、この東京大学を、そのような多様な「知」が生まれ、交じり合い、新たな実を結ぶような活動の場にしたいと考えています。この一年間の苦しい経験を経て、私たちは新たな「知」のスキルを身につけつつあります。実際、教育や研究におけるデジタルトランスフォーメーションへのうねりも加速しました。

とはいえ、スキルや技術革新だけで、すべてが解決するわけではありません。いろいろな人が集う場で、何よりもまず大切なことは「対話」であろうと思います。東京大学には、異なる国や地域の人たち、異なる考え方やバックグラウンドを持つ人たちが集まり、互いに出会う機会があります。そうした機会を、よりよい世界を生みだすために生かせるかどうかは、われわれ次第です。

例えば、デジタルトランスフォーメーションはビッグデータ社会への変革でもあるわけですが、サイバー空間を飛び交うようになった多くの情報が、自動的に、地球上の人びとの対話を促して、互いを理解する方向に導いてくれるというわけではありません。「フェイクニュース」がもたらす混乱や、「炎上」による分断・対立、条件反射的な「いいね!」の副作用など、気がかりな傾向も拡大しています。

新型コロナウイルスのワクチン接種に関しても、真偽のほどが不明な多くの情報が出回っています。多くの情報に囲まれた社会であるからこそ、私たちは、無批判に情報を受け入れるのではなく、その正確さや信頼性を常に考えなければなりません。東京大学としても、できる限り正確な情報を積極的に公開することに努めますが、多くの情報があふれかえるなかで、やはりみなさんたち自身による取捨選択をしていただく必要があります。信頼できる情報かどうかを吟味し、選んで発信する力が必要不可欠です。

だからこそ、いま、多様性を踏まえた対話が大切なのです。もし、似たような背景を持ち、同じような考え方の人たちだけが意見を交換し、確認しあうようになると、しばしば偏った情報のみが集まり、それらを信じてしまうことになりがちです。データや情報を活用したより良い社会を作るためには、多様な考え方、多様な背景を持った人たちの間の対話が重要な役割を果たすことを知っていただきたいと思います。もちろん、東京大学としても、これまで以上に多様性を重視する必要があると考えています。

さて今日は歓迎の集まりですので、30年近く前に大学院で学んだ先輩として、私がみなさんに大切にしてもらいたいことについて、お話ししたいと思います。それは、未知なるものへの好奇心、新しいものを創り出そうとする創造性、そして、お互いを尊重して協力する協働性です。この3つは、じつは密接にからみあっています。

私は今年の大学院入学式式辞で、探査機「はやぶさ2」が、昨年12月、小惑星リュウグウから砂や小石などのサンプルを地球に届けたプロジェクトを取りあげました。

初代の「はやぶさ」は、その10年前の2010年に人類史上はじめて、小惑星「イトカワ」からのサンプルの持ち帰りに成功しました。このはやぶさ1号機と2号機に至る我が国の宇宙開発が、東京大学の生産技術研究所で始まったということを、みなさんはご存じでしょうか。日本初の観測用ロケット開発のプロジェクトを率いたリーダーは、生産技術研究所の糸川英夫先生でした。小惑星「イトカワ」は、先生の名前にちなんで命名されたものです。

糸川先生は、1950年代半ばからロケットの研究に携わっていきます。しかし、糸川先生がロケット開発に取り組み始めた当時、国内にロケットを作る技術はありませんでした。つまり、このプロジェクトは「何も無いところから短期間で宇宙に到達するロケットを開発しよう」という、無謀ともいえる挑戦でした。

地球からの重力に逆らって、数十キロメートルの高さまで大型のロケットを飛ばすには、大きな推進力を発生させるかなりの量の燃料が必要です。しかも、推進力を制御するためには、固体燃料と酸化剤を練り混ぜたものを、適切な形状と大きさに仕上げなければなりません。ところが、当時、日本国内でそのような大型燃料を調達することは、極めて困難でした。

ロケットは大きいもの、という常識からすると、大型燃料なしでは研究が始まりません。しかし、糸川先生は発想を逆転させ、少量の火薬で飛べる超小型のロケットを作ることにしました。長さ23cm、重さ約200gの「ペンシルロケット」です。いま、手元に、そのレプリカがあります。みなさんのロケットのイメージからすれば、ほんとうに小さなものでしょう。たとえどんなに小さくとも、ロケットの原理で実際に物体を飛行させることが何より大切だと考えたわけです。実際、このペンシルロケットを使った実験によって、研究グループは貴重な経験とデータの蓄積を得ることができ、その後の研究は大きく進むことになります。

この糸川先生のモットーが、「前例がないからやってみよう」でした。それは、常識としての前例にとらわれない発想であり、これまでの考え方を変えてみよう、という精神です。これがまさに不可能を可能にし、創造性をもたらします。それはまさしく未知への好奇心に根ざしたものだともいえるでしょう。人間はだれしも不安に思うと「教科書」や「前例」を探したくなります。あるいは、「流行」を追いかけ「最新」を真似ようとします。しかし、それを続けているだけでは、新しいなにかを創り出すことはできません。不可能を可能に変えるためには、「前例がないから尻込みする」のではなく、「前例がないからやってみよう」という姿勢が大切です。ぜひここで、みなさんに届けたい言葉です。

もう一つ、この事例からみなさんに考えていただきたいことは、ロケット開発が多くのひとを巻き込んだ、総合的なプロジェクトであった、ということです。飛翔体としての設計から姿勢制御、先に述べた燃料技術、さらには計測技術など、さまざまな領域の専門性を必要とするものでした。

たとえばペンシルロケットの実験では、障子紙を一定間隔に並べて、水平に発射させたロケットを貫通させ、高速度カメラによる撮影結果と合わせて速度変化や軌道などを計測しました。現場での創意工夫の積み重ねで生まれた手法で、生産技術研究所には、いまも映像技術室という専門の部署があります。このように総合的なプロジェクトにおいては、それぞれの専門家が自らの最先端の知恵や技術を投入し、全体に貢献する、その協働性が極めて重要です。

現在各国で進められている新型コロナウイルスのワクチン接種も、じつは単独の専門性では到底実現できない、まさに総合的なプロジェクトです。中国・武漢における新型コロナウイルスの発生がWHOに報告されたのが2019年12月31日でした。それからわずか10日後に、ウイルスの塩基配列情報が中国の研究者によって国際学術誌に発表され、速やかに国際公共データベースで開示されました。世界中の研究者が、この公開された配列情報を使って新型コロナウイルスの研究に着手することができました。その成果のひとつが、僅か1年弱という驚異的な期間で開発された「メッセンジャーRNAワクチン」です。

じつはこのワクチンの開発にも、RNAをめぐる常識を変える逆転の発想や、異なる立場からの研究の対話と協創が関わっています。

RNAのワクチンへの利用には、本学薬学系研究科博士課程を修了した古市泰宏博士と本学名誉教授の三浦謹一郎先生らが1974年に発見した「ウイルスRNAのヌクレオシド修飾」と「RNAのキャップ構造」が必要不可欠な知見となっています。その30年後の2005年に、ペンシルバニア大学のカタリン・カリコ博士、ドリュー・ワイズマン教授らのグループが、メッセンジャーRNAのヌクレオシド修飾が宿主の自然免疫反応を抑制できることを発見し、メッセンジャーRNAワクチン開発につながりました。今回のワクチン開発に、古市博士やカリコ博士の研究のように、社会の要請やトレンドに流されない、研究者の内発的な好奇心に基づいた基礎研究の成果が深くかかわっていることを忘れてはならないと思います。

その一方で、がん治療法の開発にメッセンジャーRNAを応用していたバイオテクノロジー企業、Zika熱を引き起こすRNAウイルスのワクチン開発をその後も続けていたペンシルベニア大学など、複数のグループがパンデミック克服という公共の利益を共に目指し、競って取り組んだことも、今回の開発の大きな推進力でした。さらにはSARS、MERSといった近縁コロナウイルス感染症に対する研究の蓄積が加わり、今回この驚くべきスピードで新規ワクチン開発が可能になったわけです。この事例は、基盤となる情報の公開活用、異なる視点やアプローチの重要性、多様な研究者による大きな方向性の共有など、学知が世界に貢献するための多くのヒントを与えてくれています。

しかしながら、ワクチンは開発されただけで終わりではありません。いまでは国内でも複数の経路でロジスティクスが整い、約1億人分に届くようなかつてない規模でのワクチンの接種が進みつつあります。本学でも、7月からワクチン接種を行うための準備を進めているところです。この一連の取り組みが速やかに進められ、一日も早くCOVID-19の拡大が収束することを期待していますが、世界中の人びとに新型コロナウイルスのワクチン接種を行うことは、容易ではありません。

まずワクチンを、世界のあらゆる人々に公平に届ける必要があります。このためワクチンを複数国で共同購入し、公平に分配するための「コバックス・ファシリティ(COVAX Facility)」という国際的な枠組みがつくられています。日本もこの枠組みに参加するとともに、独自に途上国の接種支援も行っています。それは、科学者がグローバルな視野に立ち、社会的責任を果たすことでもあるのです。立場の異なる様々な人々が互いを尊重して協働すれば、こうした地球規模のプロジェクトであっても円滑に進めることができるものと思います。

最初に私は、みなさんに大切にしてもらいたいのは、未知への好奇心、新しいものを創り出そうという創造性、そして、お互いを尊重して協力する協働性だといいました。みなさんは、現在、どのような研究に取り組んでおられるでしょうか。

昔の話になりますが、私自身は、電力や信号等を供給するケーブルでつながれていない無人の潜水艇の開発という研究テーマに興味があり、船舶工学専攻の修士課程でこの研究に取り組みました。主としてその制御系の研究を進めていましたが、ある時点から無人潜水艇は「ロボット」であり、その制御系は「ロボットの知能」ではないか、と考えるようになりました。このことを指導教員であった浦環(うら たまき)先生にお話ししたところ、無人潜水艇を「海中ロボット」と呼び、制御系のケーブルをもたない無人の潜水艇は「自律海中ロボット」と呼ぼうということになりました。

そして、制御系の研究を進めるために、当時本学の工学部計数工学科にいらした甘利俊一先生が書かれた「神経回路網の数理」という教科書を浦環先生と一緒に輪講しました。この輪講を経て、現在、AIあるいは機械学習で注目を集めているニューラルネットワークを用いて海中ロボットを制御するという研究を、修士論文としてまとめることになりました。

これは私の学生時代の、ほんの一例に過ぎません。みなさんも是非、自らのアンテナを広げ、興味の対象を自由に探し、多くのひとと関わりあってみてください。きっと先輩たちとも先生方とも異なる視点が見いだせるはずです。みなさんひとりひとりの興味が新しい学問に結び付いていけば、大学全体として、あるいは社会全体として、彩り豊かで重層的な学知を生み出すことにつながります。また、異なる分野や背景を有する研究者同士が対話し、議論を掘り下げていくことは、より質の高いアイディアや、共感性の高い方策を見出す上でも重要なことです。

自由に興味の幅を広げていく時、ひとつ心に留めていただきたいことがあります。それは自由があるからといって何をやってもいいわけではない、ということです。すなわち自由には責任が伴うことも是非知っていただきたいと思います。純粋に知りたいと思って取り組んだこと、あるいは努力の末に開発に成功したことが本当に社会のためになるのか、あるいは、人類ひいては地球に対する脅威にならないか、だれかを傷つけてしまうことはないかなど、立ち止まってじっくりと考えることも必要です。そうした、いわば自分との対話も、科学にとってはたいへん重要な実践です。

倫理的に自らを律することは、学問の自由を享受し、新たな科学的な知見を生み出すものが負うべき社会的な責任の一環です。的確な自主規制を行うためには、その技術が社会に与える中長期的な影響に関する豊かな想像力を持つことが不可欠です。そのためにも、一つの専門領域を深く学ぶ一方で、異なる分野の学知や文化、さらには芸術の営みなどにも触れてください。異なる分野の研究者と対話する力も求められるでしょう。東京大学はそのような場をみなさんに是非提供したいと考えています。

最後になりますが、みなさんが、「前例がないからやってみよう」という未知への好奇心、楽しみながら新しいことを作り上げる創造性、そして、異なる立場の人を尊重し、積極的に対話する協働性をもって、伸び伸びと活躍されることを期待します。

 

令和3年6月26・27日
東京大学総長  藤井 輝夫

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