令和3年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

令和3年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

本日ここに学位記を受け取られるみなさん、修了おめでとうございます。教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。2020年初頭から続いている新型コロナウイルスによるパンデミックのために、みなさんは、修士課程、博士課程、専門職学位課程の大半、あるいは最後の大事な2年間を制限の多いなかで過ごすことになりました。厳しい状況でも最善をつくし、学位にふさわしい研究を成し遂げられたみなさんの努力に敬意を表します。また、みなさんをこれまで励まし支えてくださった方がたにも、お祝いと感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

本日もまた新型コロナウイルス感染症対策のため、この安田講堂に全員集まることはできませんでしたが、オンラインでつながっているみなさんと心をひとつに、修了を祝いたいと思います。

いま、社会はかつてない大きな変化と向きあっています。短期的には、新型コロナウイルス感染症拡大によって私たちの日常の生活にこれまで経験したことがない変容が起こっています。また、長期的には、気候変動問題の顕在化を前に、温暖化の抑制に動き出した社会の変革が避けられなくなっています。という、短期・長期の課題から本日の話を始めようと考えていましたが、もうひとつ平常時・非常時という別な視点が必要かもしれません。2月の終わりに突然起こった理不尽な軍事侵攻は、誰もが望んでいなかった破壊や悲劇、あたりまえの日常生活の喪失が大規模に、また強引に引き起こされてしまう、そうした世界秩序の脆さをあらためてあらわにしました。振りかえってみると、人類が経験した二回の世界大戦がわれわれに残した教訓は、「戦争の大義」のような単純化された説明を疑う自由の重要性であり、厳しい対立状況のなかでも対話や交流の実践が果たす役割の大切さでした。大学が学術の実践を通じて、こうした非常時が強いるさまざまな不幸からの脱却に、いかに貢献できるか。そして、東京大学は、いま困難のなかにある学生や家族や研究者や関係者のみなさんをいかに支援できるか。そうした問題もまた、まさに切実なものとして浮かびあがってきています。

さて長期的な課題に戻りますが、昨年11月に開催されたCOP26では、将来の温暖化を産業革命前の+1.5℃に留めるという目標について合意がなされ、国内外で脱炭素に向けて積極的なゲームチェンジが始まっています。本学も、カーボンニュートラルを大学として実現するための国際的な取り組みであるRace to Zero for Universities and Collegesへの参加を宣言しました。また、産学が連携して日本の脱炭素へのみちすじを作っていくためのプラットフォームであるETI-CGC (Energy Transition Initiative – Center for Global Commons)を設立し、COP26の会場と東京をつないでLaunchイベントを開催しました。こうした変革の必然性を支える科学的根拠は、気候変動を自然科学的に評価したIPCC報告書にあります。昨年8月に公表された第6次評価報告書で、「人間活動が広範で急速な気候変化をもたらしてきたことは疑う余地がなく、今後数十年の間に温室効果ガス排出削減を強力に進めない限り、今世紀末までに温暖化レベルは+1.5℃および+2℃を越える」と結論づけられています。

こうした深刻な温暖化のメカニズムの解明を目指したパイオニアが、昨年ノーベル物理学賞を受賞されたプリンストン大学の眞鍋淑郎博士です。眞鍋さんは、本学理学部地球物理学科を卒業され、1958年に渡米、以来60年以上にわたって気候システムの数値モデリングに関する研究を続けてこられました。コンピュータの計算能力も限られていて、地球の気候を再現するなど、とてもできそうにないと思われていた当時、世界で初めて大気中のさまざまな高度におけるエネルギーの出入りと,対流による空気の混合を考慮した放射対流平衡モデルというものを開発し、それを用いて二酸化炭素濃度の上昇に対する気候の変動を物理学的に解き明かしました。これがノーベル賞の受賞理由でした。眞鍋さんの研究の方向性は本学にも受け継がれ、日本の気候変動研究の中核拠点として機能しているだけでなく、先に触れたIPCC第6次報告書にも国内最多の執筆者を送り出しています。

私は、眞鍋さんが受賞後のインタビューで「数値モデルで気候の研究をしたのは僕が初めてだからね」と述べられ、「面白くて仕方がなかった」と繰り返しおっしゃっていたことに感銘を受けました。これは、未知の領域に漕ぎ出し、楽しみながら前に進んでいくという、研究に取り組む上で、とても大事な感覚を言い表しています。そして、眞鍋さんは「研究を始めた1960年代には、温暖化がこれほど大きな問題になるとは想像もしていなかった。後に大きな影響を与える大発見でも、研究を始めた時にはその貢献の重要さに誰も気付かないものだと思う」ともコメントされています。それは、純粋な興味や好奇心の大切さを強調しているようにも思います。

ふりかえってみると、20世紀なかばに科学者が描いていたけれども、「そんなことは到底実現できないだろう」と考えられていた夢が、半世紀が経過した21世紀には次々に現実のものとなっています。たとえば、DNAの二重らせん構造の発見という最初の研究の扉が開いてからわずか50年で、人間の設計図ともいえるヒトゲノムの配列解読が完了し、その全貌が明らかになりました。

先駆的研究者の好奇心と情熱が、同じ問いに挑む多くの人びとが共有する「思い」となり、研究の「場」が生まれ、領域横断的かつ世代を越えた探究へと発展したことで大きな成果に結びついたからだといえます。ヒトゲノム計画は、1990年に米国の政府主導のプロジェクトとして発足しましたが、当初、その達成にはもっと時間がかかるだろうと考えられていました。このプロジェクトの途上で、ゲノムを断片化してDNA配列を解読し、それらを正しい順序につなぎ合わせることによって、解読スピードを飛躍的に高める技術、これを実用化するスタートアップ企業がスピンオフします。このスタートアップが解読作業に参入することで、国際的な研究の「場」に加えて、競争的な環境が整うことになり、結果として当初の予定よりも数年以上も早く2000年6月にはドラフト配列が発表されるに至っています。

21世紀も1/5が過ぎた今、想像を超えると思われていた世界が現実のものとなるまでのスパンは、さらに短くなっています。新しい技術が一般の社会に浸透する、技術のオープン化による応用のスピードも急激に上がっています。生物の設計図を書き換える「組換えDNA技術」いわゆる遺伝子工学の開発は、ゲノム配列の全容解明など遠い話であった1970年代前半に始まりましたが、ゲノム編集技術の登場により、40年後の2010年代には配列を自由に書き換えられるようなりました。とはいえ、自由そして簡単にできてしまうことと、ほんとうに望ましいこととは違います。私たちは、その違いについて深く考えなければなりません。現代は、短い期間で成し遂げられた大きな技術の進捗が、急速に社会生活と結びつき、倫理的課題の検討や法的な整備が追いつかなくなってきた時代、ともいえるのではないでしょうか。

いま世界は技術だけでなく、それをめぐる倫理に関しても、未曾有の変化に遭遇しています。それらに向かいあい対処するためには、好奇心と責任感に駆動され、領域や国境をも超える自由闊達な研究が、いっそう重要になってきています。

地球規模で取り組むべき課題は、自然科学の分野に限られません。貧困や福祉、教育、ジェンダー平等など、たとえばSDGsが掲げる17の目標には人文学や社会科学の幅広い研究分野と自然科学の諸学問や技術が結びつくことでしか成し遂げられない目標が多く含まれています。これまで以上に包括的な「場」をつくる重要性、必要性が高まっています。翻って、現在の日本社会においてそうした活動を育む土壌が十分に形成されているかといえば、甚だ心許ない面もあります。そこには、長年にわたって形成された日本の初等中等教育の特質や、大学・大学院などの高等教育が直面している構造的課題、社会に出た後に研究や勉学を継続できる機会の少なさなど、複合的な問題が含まれます。

初等中等教育について、国際的な学習到達度調査からわかったことがあります。OECDが世界各国の15歳の生徒を対象として2018年に行った質問紙調査によれば、他の多くの国・地域に比べて日本の生徒は、失敗に対する不安が強い一方、学習への動機づけが弱い、ということが際だっていました。また、同じ年にOECDが小中学校の教員を対象として実施した調査によると、日本の中学校では生徒が学習に価値を見出せるよう手助けする指導を行っている割合が低く、また生徒の批判的思考を促す指導を行う割合が調査に参加した国の中で最も小さいという結果でした。高校や大学の入学者選抜で試される「学力」が重視されるなかで、指導も試験成績中心の画一的なものとなり、自らの関心に即して学び続けようとする姿勢が培われない傾向があるのだとしたら、これは根深い課題であると言ってよいでしょう。

高等教育についても、修士課程・博士課程への進学者数の停滞の背後には、アカデミックポストの不安定化、大学・大学院での専門的な勉学や研究の成果を必ずしも適正に評価しない労働市場などの諸要因が絡まりあっています。社会人になってからの自己研鑽や、知識とスキルの更新あるいは転換の機会についても、先進諸国の中で日本の社会人がそれらを行っている比率は小さい、とも指摘され、民間企業によるいわゆる人材投資は縮減されているという報告もあります。

こうした諸問題の顕在化に対し、日本政府も事態の打開に向けて検討を始めています。その対策の一つが、生涯にわたりいつでも教育機関に戻って知識やスキルを更新する、「リカレント教育」の拡充です。とりわけ変化しつつある先端的な知識を得る機会として、大学や大学院での「学び直し」が重要になります。東京大学でも、「リカレント教育」について取り組むという方向性を、UTokyo Compassの中で示しました。

そもそも日本の大学入学者の平均年齢がほぼ18歳と、世界の中でもとりわけ若いこと自体が人生の中での時間配分の画一性のあらわれでもある、と言えます。高校卒業の直後に大学に入学し、大学卒業あるいは大学院修了の直後に就職して若い時期に教育機関を離れると、再び学校に戻って学び直す人の比率が先進諸国の中でも小さいのです。

このように人生の初期段階だけで学びを終えてしまうことは、もったいないというだけでなく、激動する世界の中にあっては、すでに難しくなってきているとも考えられます。つまり、旧来の学びのあり方も、いま変革期を迎えていると考えるべきです。いつでも何度でも、個人のそれぞれの関心や必要性に即して、社会と教育機関の間を行き来することにより、自分と社会を刷新してゆく、そのための制度改革や人生そのもののあり方の再構成が求められています。

UTokyo Compassが掲げている理念の基本は、ダイバーシティ&インクルージョンです。ダイバーシティにはジェンダー、国籍、障害の有無など多様な側面が含まれますが、年齢や経歴の多様性もきわめて重要です。ライフコースのどの段階であっても、これまでの業務や経験がどのようなものであっても、集い、議論し、新たな知を追究することができる場、東京大学を色とりどりな人びとの間の化学反応・相乗効果が生じる「誰もが来たくなる」場にしていきたいと考えています。

ここにいるみなさんは、これからそれぞれの道に飛び立っていこうとしています。大学や研究機関で自分の研究を継続する人、民間企業や官庁へ就職する人、あるいは起業を目指す人など、どのような選択をしたにせよ、みなさんの頭の隅に置いておいていただきたいのは、大きな仕事は一人ではできないということです。課題解決型の研究開発や業務はもちろんのこと、curiosity drivenのシーズ型研究であっても、ヒトゲノム計画の例でもわかる通り、他者との協創が大きな成果をもたらします。そのための「場」は必ず見つかりますし、もしなければ自分で作り出すことに挑戦してほしいと思います。

その挑戦の過程で、さまざまな壁に直面したり、あるいは新たな関心が湧き出したりすることが何度もあると思います。そんなときにはいつでもそして何度でも、皆さんの関心に適した場所で、勉学や研究に心新たに取り組んでみるという選択肢を、どうか心に留めておいていただきたいのです。もちろん、皆さんの母校となる東京大学も、幅広い学問分野をカバーし、新たな挑戦に取り組む力をつけることのできる「場」の一つです。

絶えず自分を生まれ変わらせること、絶えず新しい何かに挑戦すること、はじめに述べたように私達がかつてない大きな変化と向かいあっている今ほど、その必要性が高まっている時代はありません。その中で、本日修了されるみなさんが東京大学という場をこれからも繰り返し活用して、みなさんが生きていく上での新たな糧を引き出し、まさに“Lifelong Learning”と表現されるような、学び続ける人生のすばらしさを感じてほしいと願っています。

本日は誠におめでとうございます。

令和4年3月24日
東京大学総長  藤井 輝夫

関連リンク

カテゴリナビ
アクセス・キャンパスマップ
閉じる
柏キャンパス
閉じる
本郷キャンパス
閉じる
駒場キャンパス
閉じる