令和6年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

令和6年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

本日学位記を受け取られるみなさん、修了おめでとうございます。ご家族のみなさまにも、東京大学を代表して、感謝の気持ちと、心からのお祝いを申し上げます。

東京大学の大学院において、自分の研究テーマを選び、答えがわからない問題に没頭して取り組んだ経験は、これからのみなさんのかけがえのない財産となるでしょう。ある事象をさまざまな角度からとらえ直してみる面白さや楽しさを、ときどきは思い出していただきたいと思います。そして、未解決の課題と向かいあって、探究心を抱き、想像力を羽ばたかせることを大切にしていただきたい。学位記授与式という、みなさんそれぞれの未来に向けた「旅立ち」の日にあたり、そんなはなむけの言葉を贈りたいと思います。

さて、みなさんは「旅立ち」という言葉を聞いて、どんな交通手段を連想されるでしょうか。多くの方が鉄道や飛行機を思い浮かべるかと思います。昭和の時代なら、なんといっても鉄道でしょう。汽車を待つ恋人の横で、一人時計を気にしている自分の割り切れない気持ちを歌った「なごり雪」は、私が小学生の時代の曲ですが、いまでもよく歌われます。みなさんもどこかで聞いたことがあるかもしれません。

2本の鉄のレールと蒸気機関車の組みあわせは、大勢の人や大量のモノを遠くまで速く運ぶことを可能にした新しいテクノロジーで、19世紀の人びとの移動のしかたを大きく変えます。しかし、海で隔てられたところに行くには、巨大な内燃機関を備えた船を使う必要がありました。船もまた、さまざまな国に多くの移民や旅行者を運んでいきました。みなさんにとって当たり前の、空を自由に飛ぶ飛行機が登場するのは、20世紀に入ってからです。

飛行機は、内燃機関の強力な動力のうえに築かれたフロンティア技術であり、それまでにない新しい移動手段でした。日本におけるこの技術の発展には、じつは東京大学も深く関わっています。冒険者たちが最初に空を飛んだ20世紀初頭から10年も経たないうちに、世界で急速に技術開発が進みます。たとえば多くの標準的な翼型を定めた米国のNACA(アメリカ航空諮問委員会)は1915年に設立されました。日本では、先を行く欧米の技術力に追いつこうと、1918年、東京帝国大学に航空研究所が設立されます。

ここで、飛行機が空を飛ぶ原理の基礎や実装に関わる研究が行われました。人工的に発生させた風のなかに縮小模型を置き、翼や胴体に生じる力を計測する「風洞」という装置が作られます。直径3メートルの巨大な風洞は、1930年代当時、最先端の実験装置で、長距離飛行世界記録をつくった航研機という試験飛行機の開発に貢献します。戦後の東海道新幹線の初代車両0系、国産旅客機YS-11の製造においても、たいへん重要な役割を果たしていきます。この風洞は、その後、ヘリコプターの専門家で生き物の飛行や泳法まで研究した東昭先生、その研究を微小スケールの生物や植物の種などにまで広げた河内啓二先生に引き継がれました。河内先生は、私の博士論文の副査でもあり、この風洞の建物に通い、たびたびご指導いただいたことを思い出します。

飛行機を含む航空機の開発が、大学における専門講座の創設と併行して、附置研究所で行われたことには、歴史的な意味があります。浮力を生みだす翼や胴体の流体力学的な性能と構造強度、動力としてのプロペラ、制御システム、操縦者の訓練など、飛行機という総合技術を新たに構築するには、既存の学問分野の垣根を越えた人びとの協力が必要だったはずです。大学に研究所を設置して取り組むことは、そうした学際的かつ総合的な協力と創造が活性化し、実用化へと向かう場をつくりだすことに他なりません。航空研究所第7代所長の和田小六は、「大学のもつ自由な学問的雰囲気なしにoriginalな研究は生まれてこない」と述べ、個々人の自由な研究と共同の目的への貢献を調和させる方法の一つが研究所である、としています。

同じ時代に東京大学では、伝染病研究所にはじまる医科学研究所や、地震の学理と震災予防に取り組む地震研究所が設置され、いまでは新聞研究所から発展した情報学環、また東洋文化研究所、社会科学研究所、生産技術研究所といった多くの組織を有しています。これはすなわち、それぞれの時代において必要とされる社会的・世界的な課題に数多く取り組んできたからに他なりません。航空研究所を前身とする先端科学技術研究センターがいま、バリアフリーの実現など文系と理系の垣根を越えた領域横断の研究活動を行っている背景には、こうした歴史があるともいえます。

それにしても飛行機の発達と普及は、人やモノの移動と交流を一気に地球規模に拡大しました。19世紀には数か月かかったニューヨーク・シンガポール間を約19時間で移動することができます。その意味では、20世紀のメディア論者マーシャル・マクルーハンが「地球はひとつの村になった」と論じ、Global Villageと呼んだ感覚の顕在化に、飛行機は大きく貢献したともいえるでしょう。1985年7月13日に催されたアフリカの飢餓を救うライブエイドのコンサートで、午後にロンドンのウェンブリースタジアムで歌ったフィルコリンズが、コンコルドでアメリカへ移動して、その夜にはフィラデルフィアのケネディスタジアムで歌っていたという離れ業が、私の印象にも強く残っています。コンコルドは収益性や環境影響等の問題で2000年代初頭には現役を退きますが、3時間足らずでニューヨーク・ロンドン間を移動できる、マッハ2を超す速度の超音速旅客機でした。

一方で、迅速で自由な移動が、予想もしなかった不都合をもたらすことがあります。COVID-19やアフリカ豚熱などの病原体が、人の移動に伴って驚くような規模と速さで世界中に広がったことなども、その負の側面です。また、飛行機利用の普及は、主要な空港を発着する航空便の劇的な増加と過密とを生みだしました。パイロットに離着陸の指示や情報を与える管制業務は、錯綜する課題をそのつど解決しなければならない複雑で高度な作業になってきています。そうしたなかで2024年1月に発生した羽田空港での衝突炎上事故や、今年に入って起きたワシントン上空での軍用ヘリとの空中衝突など、トラブルが起こっているのも事実です。さらに、半導体をはじめとする精密機器・部品など産業に必要な物資が、現代では飛行機によって運ばれています。航空便で結ばれたサプライチェーンが自然災害や戦争などで断ち切られないよう、強靱化していかねばならない、という課題も浮かびあがってきました。

新たな科学技術が社会に与える影響は大きく、技術が引き起こすさまざまな負の側面についても、顕在化する前に芽を摘む努力が今後ますます重要になります。航空機に関して言えば、水素燃料などの持続可能な航空燃料の開発といった資源問題から、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による第6次報告書が取りあげた飛行機雲の功罪まで、考えるべき要素は多方面に広がっています。

新たなものをつくりだす創造力(creativity)だけでなく、まだ見えていないものを描きだす想像力(imagination)を養わなければなりません。

50年前に本学経済学部の宇沢弘文教授は『自動車の社会的費用』という著作で、交通事故死傷者の多さや、騒音公害、大気汚染、子どもたちや老人が道路を安全に歩けない状況など、自動車に関わるさまざまな問題を取り上げ、それらを解決する公共政策形成の重要性を指摘しました。その公共性を支える「社会的共通資本」とは、社会が持続していくための基盤としてなくてはならないが、市場経済の原理だけにゆだねたのでは適切に配分されない資源のことです。具体的には、道路・水道・電気などの都市インフラや教育・医療などのサービスが挙げられます。そうした基盤の価値を実感してもらうために、あえて自動車利用において生じている費用すなわち損害を「定量化」して提示し、人びとに議論を呼びかけます。

その一方で、価値を貨幣によって測ること自体の問題を指摘していることも大切でしょう。たとえば交通事故死の損失をそのひとが生涯獲得したはずの所得の現在価値で算定する、いわゆる「ホフマン方式」が、人命の損失の不可逆性を軽視した計測方法であることを批判しています。

やがて「社会的共通資本」の考え方に、自然や文化を積極的に含めていくことになる宇沢教授の努力と情熱は、現実的にも理論的にも測りにくい現象を、どのように捉え、いかに指標化するのが望ましく正しいのかを問う、創造的な想像力(creative imagination)に支えられていたのだろうと思います。

みなさんが本学で身につけた「問う力」は学問の推進力であり、いわばエンジンです。そして多くの友人たちと共に切磋琢磨しながら獲得した知識と想像力は、まだ知らない空を飛び続けるための翼となるでしょう。みなさんの人生の旅が実り多くすばらしいものになることを、心から願っています。

本日は、おめでとうございます。

令和7年3月24日
東京大学総長  藤井 輝夫

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