令和6年度 東京大学卒業式 総長告辞

令和6年度 東京大学卒業式 総長告辞

みなさん、ご卒業おめでとうございます。今日の良き日を、この東京大学で学んだ仲間たちとともに迎えられたみなさん、またご家族をはじめ大学生活を支えてくださった方々に心よりお祝い申し上げます。みなさんがこれから進む道は、社会人として働く、大学院で学ぶ、あるいは新たな分野での取り組みを始めるなど、さまざまでしょう。どの道も平坦でないかもしれません。思ったようにいかず失望する日があるかもしれません。けれども「失敗」を恐れて行動しないより、やってみた経験から学ぶことは多いでしょう。この大学で学んだことを思い出してみてください。友との語らい、部活やサークルに打ちこんだ日々、研究室での研鑽など、楽しく充実した思い出もまた、じつは小さな「失敗」に満ちていたのではなかったかと思います。

みなさんの卒業を祝う場だからこそ、これからのさまざまな「成功」と「失敗」をどう捉えたらいいのか、考えてみたいと思います。

商品開発の過程で生じた失敗が、思いがけないヒット商品の開発に結びついた事例として、みなさんがいつも使っている付箋紙のPost-itは有名です。1968年頃3M社のスペンサー・シルバー(Spencer Silver)は強い接着力をもつ物質の開発実験をくり返していました。作り出された試作品は、どこにでもよく付くが簡単に剝がれてしまう性質のもので、強力な接着剤としては明らかに失敗作でした。しかし、なんとかこの新しい面白い性質を活かせないかと、シルバーは社内のいろいろなところに話をもちかけます。数年後に同じ会社のアート・フライ(Art Fry)が、聖歌隊で歌っていたとき楽譜に挟んでいたしおりがいつも落ちてしまうことから、紙に貼ったりはがしたりできる小さな紙切れがあれば便利なのに、と思いつきます。この二人の関心が出会うことによって、新しい付箋が開発され、全米に売り出されたのが1980年代でした。いまでは、まさに世界中で使われています。

理系の学生のみなさんは思い当たることもあろうかと思いますが、大学での研究や実験もまた、じつは失敗の連続です。ノーベル化学賞を受賞した白川英樹先生の導電性高分子(電気を通すプラスチック)の発見に、じつは誤った量の触媒を入れる失敗が関わっていることや、田中耕一さんのソフトレーザー脱離イオン化法の開発にも、アセトンと間違えてグリセリンを用いた失敗があったことは広く知られています。

こうした事例は、成功と失敗の違いが相対的なもので、意味づける文脈が異なれば、それらがもつ意味も変わってくることを示唆しています。ですから、失敗を必ずしも否定的に受け止める必要はありませんし、過度に恐れる必要もないのです。他人の眼を気にして、一歩踏み出すのを躊躇するとしたら、あるいは自分がほんとうに望んでいることを選べないとしたら、それはみなさんの未来にとってもったいないこと、なのではないでしょうか。

とはいえ、人は自分の失敗を認めたがらないという現実も、正しく見すえる必要があります。新しい一万円札の顔となった渋沢栄一の孫で、本学経済学部で学び、戦時中から戦後にかけて日銀総裁、大蔵大臣を務めた渋沢敬三に、「失敗史は書けぬものか」という短いエッセーがあります。そこで渋沢は、わが国の銀行・会社の社史や、学校や市町村の歴史をみると、ほとんどが「成功づくめの自慢史」であって、失敗の歴史が書かれていないことを指摘し、「真の成功は失敗を素直に且つ科学的に究明した上に築かれるべきもの」ではないか、と提起しています。

一人ひとりの心構えの問題だけではありません。やりそこなったりしくじったりすることを強く非難する社会において、間違いが過度に警戒され、失敗から目を背ける傾向が助長されてしまうのもたしかでしょう。残念ながら、日本の社会は失敗にやさしくないというのが通念となっているようです。さらに、感染症の蔓延によって促されたネット空間の進化・発展、とりわけSNSの急激な浸透・普及もまた、一面において社会の不寛容さを強めています。対話相手の考えや感情を思いやる術を十分に身につけていない状態で匿名性が高いSNSの社会に参加すれば、おのずから言葉遣いは攻撃的で一方的となり、互いに不寛容となってしまいます。

しかしながら、こうした新しい形態の社会やそこで培われる文化もまた、人間がつくりあげるものです。そうであるからこそ、人間が変えていける、より良いものにしていけることを忘れてはなりません。他者に対する寛容、すなわちやさしさもまた、私たちが主体的に選びとるものであるといえます。

不寛容は失敗のコストを引き上げることで、新たな挑戦をさまたげます。それはイノベーションの停滞を招きます。

組織行動の研究分野では、知識の活用(Exploitation)と探索(Exploration)のトレード・オフに関する議論が知られています。つまり、既存の知識の活用なら大きなリスクを冒さずに一定のリターンが得られるけれども、一方で相応のリスクをとってでも新規の知識を探索しなければ、やがて環境への適応が困難になるという議論です。新規事業の展開に失敗はつきものであり、それを許容しないと企業はより深刻な業績不振にいずれ陥る、というわけです。

また、失敗という結果にとらわれずに、新たなことへの挑戦それ自体をむしろ評価する姿勢も大切です。

オリンピックのスケートボード競技をご覧になった方は、この競技が共有している文化の違いに気づかれたことと思います。結果としての成績だけでなく、難度の高い大技に挑もうとする精神が、アスリートのコミュニティで高く評価されているからです。初めて正式種目に採用された4年前の東京オリンピックでも、岡本碧優選手が難易度の高い技に挑戦して失敗し、期待されていたメダルを逃しました。ですが岡本選手は、パフォーマンス終了後、成績上位の多くの選手達に抱え上げられ、他の誰よりも熱烈にその大技への挑戦が称賛されていました。こうしたアスリートたちの姿は、広く世界に感動を与えました。

みなさんご存じのように、シリコンバレーは、米国、あるいは世界のイノベーションを牽引する場として、数多くのスタートアップやいわゆるユニコーンを生み出してきました。これは米国西海岸という地理的な条件とも相まって、シリコンバレーそのものの成立と深く関わるものだとも言われています。とりわけ、失敗を歓迎し、時には称えることさえする文化は、まさにシリコンバレーにおけるCreativeなエコシステムの原点だとされています。リスクを取って挑戦すること、そしてなによりも、どこで、どのように失敗をしたのかを、あとから取り出し可能なかたちで覚えておくことが重要です。同じ問題に遭遇したら、失敗からの学びを活かして解決することができるでしょう。失敗したことを「次」に活かせることがまた、シリコンバレーのイノベーションを支えています。

いま生成AIが劇的な速さで進化を遂げているのは周知のとおりです。このAIが進化するうえで、エラーつまり間違いが生まれることは決定的に重要な意味をもちます。AIはエラーを繰り返す過程を通じて学習し、さらに精度の高い回答を返せる存在へと成長していきます。エラーを失敗として認識し、それを補正する改善を人間が組みこまなければ、AIの学習は進みません。

つまり、ただただ失敗すれば成長できるわけではない、ということです。かえりみることが必要であり、また新しいとらえ方を前向きにデザインすることが重要になるでしょう。失敗に対する不寛容の根本的な払拭には、社会全体の行動変容も必要になるのかもしれませんが、足もとの現場からできることもあるでしょう。みなさんは経験を重ねるにしたがって、より多くの自由を得るとともに、自分の行動の結果に対して、より大きな責任を引き受ける立場になっていきます。だからこそ、あらかじめさまざまなリスクを念頭においたうえで失敗を恐れずに挑戦し、その失敗から学んでいただきたいと思います。その学びは必ずやさらなるステップアップにつながるものだからです。

これまで大学で行ってきた研究を思い返してみて下さい。哲学の思弁においても、文学の解釈においても、歴史の実証においても、経済の検証においても、科学の実験においても、失敗したときにはじめて、何が本質的な問題であったのかに気づくことはなかったでしょうか。そのようなことを数多く経験されたのではないかと思います。

この東京大学で積み重ねてきた試行錯誤の経験は、みなさんの未来に引き継がれた大きな財産です。それぞれの未来が、多くの仲間たちにとっても望ましく、喜ばしいものとなることを願っています。

本日はご卒業まことにおめでとうございます。

令和7年3月25日
東京大学総長  藤井 輝夫

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