平成31年度東京大学学部入学式 教養学部長式辞
平成31年度東京大学学部入学式 教養学部長式辞
平成最後、そして令和元年の新入生の皆さん、そして新入生をこれまで支えてこられたご家族の皆様、この度はご入学おめでとうございます。東京大学の教員として、また新入生の皆様を最初に受け入れる教養学部の教職員を代表して、心よりお祝い申し上げます。
今を去ること38年前の桜咲く春の日、私も皆さんと同じく、この武道館で入学式に参列しました。本日祝辞を述べるにあたって、そのとき教養学部長がどんなことを話されたか、頑張って記憶をたどってみました。残念ですが、何も思い出せません。総長や来賓のご挨拶は記憶に残る可能性が高いと思いますが、教養学部長の式辞は記憶に残りにくいのかも知れません。とくに本日は、五神総長と上野千鶴子東京大学名誉教授という二大論客の間で話しますので、なおさら記憶に残らないでしょう。そういう意味で、気楽にお話しさせて頂きます。
歴代総長の式辞の中でも「伝説的」と言われているのが、教養学部出身の蓮實重彦第26代総長の式辞です。伝説的というのは、内容が難解だったことに加え、47分間もあったことです。そのため、式辞の途中で気分が悪くなって医務室に運ばれる学生が何人も出たそうです。この式辞を実際に聞いたある方の話ですが、「全く理解不能な難しい話でした。大学とは凄いものだと思い知りました。」との印象を持ったそうです。案外蓮實総長の狙いはこのあたりにあったのかもしれません。私も本日、この蓮實総長の伝説に挑戦したくなる衝動に一瞬駆られましたがそれは止め、いくつかポイントを絞って話したいと思います。
まず、皆さんが最初の2年間を過ごされる教養学部の特色について紹介します。東京大学は日本の大学の中でも珍しく、未だに教養課程を持っています。この教養課程の教育の中心にいるのが、今年創立70周年を迎える教養学部です。よく学外の方に「先生は一般教養ですね」といわれるのですが、これは実は違います。東大の教養学部というのは、法学部や理学部などと同様の後期専門課程や大学院を持つ専門学部であり、その構成教員は授業担当だけでなく第一線の研究者なのです。その端的な例が、2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞された大隅良典特別栄誉教授のオートファジーの研究です。オートファジー研究は実は教養学部で育まれたのです。このように深い専門性をもつ研究者が分野を横断して協力して新分野を開拓し、その知識を活かして、前期課程の教養教育をデザインし、皆さんに教育を提供しているのです。
ところで教養(Liberal arts)というのは一体何なのでしょうか。石井洋二郎前東大副学長と藤垣裕子教授が書かれた『大人になるためのリベラルアーツ』などによりますと、「人間を解放する学問」であるとか、答えのない問題、それどころか何が問題かさえわからない事項について、市民的倫理観に基づき批判的に物事を分析し、適切な問題を設定し、やがては解決していく能力を得ていくことと捉えられています。そのためには、人類のこれまでの学究の成果を自主的に学び、知の技法と引き出しを獲得した上で、既存の学問の枠組みを超えて新しい問題を発掘し、解決していくことが重要です。教養学部における研究と教育とは、まさに文理を問わず学問の垣根を越えて新しい問題を発掘し、分野を開拓していく姿勢に貫かれています。したがって、皆さんも受け身ではなく自ら学ぶ者となってください。大学の勉強とは教わるだけではなく、自ら学ぶものなのです。その結果として、たとえ人工知能が人間の能力を超える時代となっても、その変化に適応できる強靱な独立した市民となることができるのです。
教養は生涯かけて培っていくもので、前期課程の2年間はあくまで導入期にすぎませんが、最初が肝腎ですので多様な授業や制度を用意しています。まずは語学力や、基礎的な人文・社会・自然科学の知識を身につけます。少し脱線しますが、私は生物学を研究しており、短い期間、フランスで研究したことがあります。しかし、学生時代はドイツ語を学び、フランス語はできません。滞在先のパリは、当時はあまり英語を話してくれる人がおらず、居留していたメゾン・ド・ジャポンという日本館でも、受付担当者は英語も話しませんでした。レストランも黒板に手書きのメニューが書かれていて、何の料理かさっぱりわかりません。そんな状況では、語学というのは、まさに生きるためのサバイバルツールです。こんな経験をしないよう、是非早いうちに外国語をいくつかマスターしておいてください。
皆さん、お手元の統合報告書を出してみて下さい。この報告書に教養学部の取り組みが書かれています。42ページを見てください。初年次ゼミナールのことが紹介されています。初年次ゼミナールは、自発的に探求する力、討議力や批判的分析力を鍛錬する少人数の討議型講義です。次のページをご覧ください。教養人として必要な英文を書く能力を鍛えるALESS/ALESA、会話力を鍛錬するFLOWなどの独自の語学講義も行われています。また、ここには書かれていませんが、教養学部では皆さんが将来世界各地で存分に活躍できるように、多様なグローバル教育の機会を用意しています。なかでも、駒場の教員が世界各国に皆さんを連れていく主題科目「国際研修」は、東京大学でなければ体験できない貴重な学習の機会です。また、トップ層の学生の能力を引き上げる選抜型授業も用意されています。日本語と英語に加えて第三の言語を徹底的に訓練する「トライリンガルプログラム(TLP)」と、その修了後に現地に行って実際に言語を使ってみる「TLP研修」などは、人生のハイライトの一つになるでしょう。理系でも「アドバンスト理科」という、世界の最先端で活躍する新進気鋭の研究者による新しい授業も始まります。さらには、全学の国際総合力認定制度Go Global Gatewayに登録すると、英語力判定試験の受験奨励金が支給され、自分の国際総合力のレベルを確認できるようになっています。これらの制度をうまく活用して、教養を高めていって頂きたいと思います。
いっぽうで、昔からある話ですが、一部の東大生は5月頃になるとやる気を失い、卒業する頃には「残念な東大生」になることがあります。入学して周りを見てみると、今まで見たこともない優秀な学生もいるでしょうから、挫折感も味わうかもしれません。本当は人間の価値は多面的に見る必要があり、成績を比較して落ち込むことはないのですが、もし落ち込んでしまったときは学生相談所や進学情報センターを訪ねて、相談してみると良いでしょう。
皆さんを支援していくのは、ご家族や、教員、職員の方々ばかりではありません。皆さんの先輩である本学の卒業生も親身に協力をしてくださいます。本日はJR東日本の社長・会長を歴任された大塚陸毅(むつたけ)校友会会長にご同席いただいております。東京大学の学生の皆さんは、卒業生・在学生・教職員からなる校友会に登録していただくと、4万人を超える卒業生ネットワークに参加でき、さまざまな支援を受けることができます。校友会ではまず4月に皆さんを新入生歓迎パーティーにご招待します。このパーティーには私も参加し、皆さんは先輩や教員と、進路や人生について話すことができます。
教養とは直接関係ないのですが、皆さんには社会で生きていくために必要なマナーも身につけて欲しいと思います。例えば、通学時に井の頭線の電車に乗ると思いますが、混雑時にはリュックサックを体の前で抱える、出入り口付近に立ち止まらずに車両奥に移動する、歩きスマホをしないなどのマナーを守りましょう。また、挨拶は人的交流の基本ですが、東大生はこれが苦手な人が多いようです。人とのコミュニケーションは今後とても重要になります。まずは、大学の正門で守衛さんに挨拶ができるようになってくれるとうれしく思います。
最後に何のために教養を身につけるのかについて話したいと思います。過去の式辞の話に戻るのですが、私の入学時の総長は法学部の平野龍一教授でした。式辞の後半で、エリートにありがちな自己中心や傲慢な心を戒めつつ、著名な経済学者ケインズの師匠であるアルフレッド・マーシャルのことば"Cool head, but warm heart."(訳すと「冷静な思考とともに、暖かい心を持て」)の内容について触れられました。マーシャルは学生時代、登校経路にあったロンドンのスラム街の惨状を眺め、貧困がなぜ生じてしまうのかに思いを巡らせ、経済学を志したといわれています。"Cool head, but warm heart."ということばは、ケンブリッジ大学の教授に就任する際の講演で語られたものです。この際マーシャルは、冷静な思考と温かい心を持ち、周囲の人々の社会的な苦しみに対処できる人材をケンブリッジ大学から輩出したいと述べています。つまり、学生に、苦しみの中にある人のために、自らの頭脳を用いるべきと説いたのです。
昨今、貧富の拡大や社会の階層化が急速に進んでいます。皆さんは、激しい競争の成功者ですが、社会にはそのような機会を得ることができずに、苦しんでいる人も多くいます。いわゆるエリートコースを歩んでいる皆さんではありますが、将来そのような弱者に寄り添い、助けながら、持てる能力を人類社会の幸福のために発揮できるような人物になって頂きたいと思います。
終わりに、東京大学の学生生活を通じて、皆さん一人一人が教養を活かしつつ、情熱をもって個性を発揮し、世界を変える、誰にも代替できない唯一の人材に育つことを期待して、私のお祝いのことばといたします。
平成31年4月12日
東京大学教養学部長
太田 邦史
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