令和7年度東京大学大学院入学式 研究科長式辞

令和7年度東京大学大学院入学式 研究科長式辞

東京大学大学院にご入学されたみなさん、誠におめでとうございます。みなさんの新たな門出をともに祝うことができ、大変うれしく思います。また、これまで支えてこられたご家族や関係者のみなさまにも、心よりお祝い申し上げます。

これからみなさんは大学院生として、それぞれの研究に取り組まれることになります。期待に胸を膨らませる一方で、「自分に何ができるのだろう」と不安を感じている方も多いでしょう。本日は、ひとりの数学者としての経験をお話しします。

大学院に入学した当時、私が抱いていたイメージは、おそらくみなさんのものと大きく変わらず、数学者は一握りの天才であり、早熟でなければならないというものでした。映画やドラマに登場する数学者の姿が、影響していたのかもしれません。しかし、早熟の天才しかできないという思いこみは、多様性を阻む固定観念であり、劣等感を肥大させるバイアスになり得ます。数学を学ぶことには、さまざまな研究を志すみなさんと共有できる要素も多くあります。先入観を取り除く一助となればと思い、この場を借りて弁明させていただきます。

現役の天才数学者としておそらく最も有名なのは、プリンストン大学のチャールズ・フェファーマン教授です。彼は14歳でメリーランド大学に入学し、15歳で最初の論文を書き、20歳でプリンストン大学の博士号を取得し、22歳でシカゴ大学の正教授となり、全米最年少の正教授記録を打ち立てました。その後、24歳でプリンストン大学教授に就任し、28歳で数学のノーベル賞と称されるフィールズ賞を受賞しています。

私が35歳のとき、フェファーマン先生とプリンストン大学で共同研究を行う機会を得ました。その初日、二人で夕食を共にした際、先生から「あなたにとって数学とは何ですか?」と問われたことを今でも鮮明に覚えています。私の答えはあとで申しあげることとして、フェファーマン先生は「数学とは、悪魔とチェスの対戦をするようなものだ」と言われました。数学の証明は、悪魔によるいかなる反論も許さない完全な論証で、最初は完敗の連続なのですが、数年にわたって何度も対戦を繰り返すうちに、ついに勝利の瞬間が訪れるというのです。

私は、天才といわれる数学者でさえ、そんな苛酷で厳しい戦いを常にしているのかと驚きました。フェファーマン先生の「放物型不変式論」という論文には、実際に“悪魔と対戦するゲーム”が登場します。先生の話を聞き、私はこの論文の戦いの記録のような独特な叙述法に納得がいきました。

さて、私自身がどのように答えたのかは、じつはたいへん緊張していたので正確には覚えていません。いま改めて言葉にしてみますと、私にとって数学とは、「問題を正しく理解する方法を見つける探検」だと答えたように思います。適切な視点が見つかれば、問題は自然と解決へと向かいます。探検を続けるうちに視界が開け、理論はより簡潔で分かりやすいものになるというプロセスの楽しさに光を当てたかったのです。悪魔との戦いに比べると、いささか地味かもしれません。

ところで私の最初の業績と言えるのは、じつは先ほどの「放物型不変式論」の未完成部分に新たな視点を加え、完成へと導いたことでした。これは、フェファーマン先生をはじめ先行研究をじっくりと学んで考えた末に、見つけだした解決策です。悪魔と直接戦う英雄的な数学者も必要ですが、数学の発展には、私のように問題の周辺を丹念に探検する数学者も重要な役割を果たしています。

「巨人の肩のうえに乗る」という比喩を、科学史ではよく聞きます。いわゆる十二世紀ルネサンスの人文主義者が使いはじめて、近代物理学の基礎を作ったアイザック・ニュートンの手紙で有名になった語句です。小さな自分がより遠くを見わたせるのは、じつは巨人たちの肩のうえに乗っているからだといって、学知をつくりあげてきた巨人たちに学ぶことの大切さを説いています。しかしながら、肩のうえに登っていくこと自体も、けっして簡単なことではありません。そのためには、巨人そのものを十分に理解し、そのかたちを正確に把握し、登る道すじを整備していく丹念な作業も必要です。そうしたプロセスもまた、新たな発見をもたらすのです。

次に、数学は早熟でなければならないのかについて触れたいと思います。数学は音楽と同じように、幅広い知識や深い人生経験を必ずしも必要としません。ですから、ガウスやモーツァルト、そしてフェファーマン先生のように、若くして才能を開花させる人もいます。たしかにイギリスの数学者ハーディは、その著書『ある数学者の弁明』の中で、数学は「若者のためのゲーム」であると表現しています。そういわれると、「自分は出遅れているのではないか」と焦りを感じるかもしれません。しかし、自信を失うことはありません。すべての人がすでに若くして完成している天才ではないからです。

ここで、プリンストン大学のホ・ジュニ(許埈珥)教授のエピソードを紹介します。彼は小学生の頃、算数の成績が悪く「自分には数学の才能がない」と思い込んでいました。詩人を志して高校を中退しましたが、その後ソウル国立大学に進学し、サイエンスライターを目指して天文学と物理学を専攻します。

大学院在学中の24歳になって、フィールズ賞受賞者である広中平祐先生の代数幾何の講義をサイエンスライターとして取材し、次第に数学の魅力に引き込まれていきます。その2年後には数学の論文を書き修士号を取得しましたが、特に優秀な学生と認められることもなく、アメリカの多くの大学院に応募したものの、合格したのは1校だけでした。しかし、その13年後の2022年、彼は韓国系の数学者としては初めてのフィールズ賞を受賞します。学生時代の彼を知る誰もが予想できない快挙でした。

うまず、たゆまず、自分のペースを大切に、探究心を持ち続け、研究に取り組むことが大切です。東京大学の教職員は、みなさんの挑戦を全力でサポートします。また、優れた才能を持つ仲間に囲まれていることを前向きに捉えることも重要です。同じ分野に取り組む仲間や、先を歩む先輩方から多くの示唆や助言を得られる恵まれた環境が、東京大学にはあります。研究の中で直面する課題や悩みも、一人で抱え込む必要はありません。

数学に限らず、ほぼすべての分野の研究者に共通することですが、「行きづまり」が大きな試煉であると同時に、おもしろさや楽しみの源であることにも触れておきたいと思います。研究の目標を設定し、それに向かって取り組むと、やがて完全に行き詰まる瞬間が訪れます。もし、行き詰まりがまったくないとすれば、それは十分に難しい問題に挑戦していないからでしょう。先ほどお話しした「放物型不変式論」はたしかに難しい問題で、大学院に入って勉強を始めてから解決の糸口が見えるまで、4年もかかりました。また、現在取り組んでいる幾何学の論文の最初のアイデアが見つかったのは、考え始めてから10年後です。絶望的な「行きづまり」に耐え、考え続けるからこそ、発見の喜びはひとしおです。 私はその喜びのために数学を続けているのだと実感しています。

みなさんも、心から興味が持てる、十分に難しい問題に取り組み、絶望的な行き詰まりを経験してください。そして、決して諦めずに考え続けてください。それこそが、研究の喜びにつながる長く曲がりくねった道なのです。

改めて、みなさんのご入学を心よりお祝い申し上げます。これからの大学院生活が実り多きものとなることを願っています。

令和7年4月11日
数理科学研究科長
平地 健吾

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