令和5年度東京大学大学院入学式 教育学研究科長式辞

令和5年度東京大学大学院入学式 教育学研究科長式辞

東京大学大学院にご入学、誠におめでとうございます。

こうして皆さんの新たな門出に立ちあい、ご家族や関係者の方々とも一緒に喜びを分かちあえることをとてもうれしく思います。

さて、私は立場上、大学生や高校生から進路に関する相談を受け、「なぜ、先生は大学院に進学したのですか」と問われることがしばしばあります。そういうとき私は答えに窮してしまいます。というのも、私はそれほど明確な目標や希望があって大学院に進学したわけではないからです。もちろん、専門学部に進学する際に選択した教育学は面白い学問だと思っていました。また、私は教育学部の教育行政学コースに進学しましたので、教育政策や制度の在り方を学んで、現実の教育をよりよくすることに何かしら貢献できればとも漠然と考えていました。しかし、正直に言うと、何を置いても大学院に進学したいという強い意志があったわけではなく、他の選択肢よりは自分に合っていそうだという消極的理由による大学院進学でした。

私が1988年に大学を卒業した当時、日本はバブル景気の真っただ中で教育学部でも金融業界や製造業に就職する友人が少なくありませんでした。私も、周囲の雰囲気に流されるように外資系金融企業の面接を受けたりしましたが、会社で働いている将来の自分というものに何となく実感が持てず、就職活動を途中で放棄してしまいました。就職活動を中止することを決めた暑い夏の日の夕方、大学院に行って勉強を続けてみようかと漫然と思いながら新宿のビル街を眺めてたことを今も思い出します。そんないい加減なことでよく大学院入試に合格できたものだと呆れられそうですが、その年度に私が進学したコースの入学者は私一人だったので、先生方も入学者ゼロになるくらいならと大幅に譲歩してくれたのでしょう。

結果的に、私の大学院への進学は間違いではなかったと思います。修士論文で保護者や地域住民による学校運営参加を進めていた、当時のイギリスの教育政策を消費者主権と市民的公共性の視点から読み解くことを試みたあと、某財団から奨学金をいただいて1年間イギリスに留学する機会を得ました。帰国して博士課程に復学してからは、教育に説明責任や結果責任が強く求められるという世界的な教育改革の趨勢のなかで、学校や教員の評価の在り方に関心を持つようになり、そうしたテーマで何篇かの論文を執筆しました。そうこうするうちに、大学教員の職を得ることができ、2004年には教員として東京大学に戻ってきました。

このようにお話すると、大学院に入学してからは迷うことなく、順調に研究者、大学教員の道を歩んできたと思われるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。投稿論文が不採択になって戻ってきた時は非常に落ち込みましたし、このまま研究を続けても一人前の研究者になれるのかと不安で夜眠れないこともありました。皆さんも、これから大学院で研究を進めるなかで、研究がうまく進まず、自信が持てなくなったりすることがきっとあると思います。そんな時、私は、自分と異なる環境で仕事や生活をしている高校や大学の友人と会って、愚痴を聞いてもらい、気持ちの上で助けられることがしばしばありました。逆に会社勤めの苦労話を聞き、好きな研究に専念させてもらっている自分は恵まれていると思ったり、自分もくよくよせず元気を出そうと励まされたりしました。

友人と言えば、教養学部の同じクラスで人文社会系大学院に進学した横田理博君とは、不思議なことに、気持ちが落ち込んでいる時に限って、法文2号館地下の銀杏メトロ食堂でばったり一緒になりました。横田君は後に『ウェーバーの倫理思想:比較宗教社会学に込められた倫理観』という研究書を著し、現在は九州大学で倫理学の教授をしています。博士課程終盤の頃、私はマックス・ウェーバーを読みかじり、ある論文で彼の「価値中立論」に言及しようとしていたのですが、横田君に昼食を食べながら話を聞いてもらい、「その解釈で間違っていないよ」と肯定してもらえたことが自信になりました。

もうひとつ、教養学部のクラスつながりで言いますと、本日、入学式に列席されている人文社会系研究科長の納富信留先生は、私の一学年上で同じドイツ語クラス、いわゆる「上クラ」でいらっしゃいました。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、東京大学の学部入学生は「上クラ」の先輩に大学生活全般についての手ほどきを受け、たいへんお世話になり、しばらく交流が続きます。当時、私は特に納富先生と親しくさせていただいたわけではありませんが、既にギリシャ語もマスターしていらっしゃるとか、「上クラス」でも俊英として一目置かれる存在であることはよく存じ上げていました。その後、文学部哲学科、人文社会系研究科へと進学された先生と本郷キャンパスですれ違うことくらいはあったろうと思いますが、直接の接点はありませんでした。それが昨年、国際卓越大学院プログラム(WINGS)の担当者どうしご相談させていただく機会があり、その際に私が約40年前の「下クラ」であったことも告白しました。しかし実を言うと私は、それよりだいぶ前に、ケンブリッジ大学に留学されていた納富先生がプラトン研究で世界的に注目される成果を収めたことを紹介した新聞記事を通じて、一方的な「再会」を果たしていたのです。それ以来、今なお足元にすら及びませんが、私にとって納富先生は研究者として少しでも近づきたい目標です。

長々とした自分語りになりましたことをどうかご容赦ください。明確な目標や計画を持って入学式に臨んでいる皆さんには、私の話はまったく無意味でしょう。ただもし、「なぜ、あなたは大学院に入学するのですか」との問いに確固たる答えを持てていない人がいるとしたら、私の経験談を聞いて少しだけ安心してもらえたかもしれません。また、目標ははっきりしているけれども、自分の能力に自信が持てないという人がいるかもしれません。これから研究を進めるうちに、周りの優秀な人たちと比較して自分は劣っていると思えることもあるかもしれません。このなかには、まもなく国内外で注目される研究成果をあげ、新進気鋭の研究者として頭角を現す人が必ずいます。また、大学院で学んだことを活かして社会の各方面でリーダーシップを発揮する人もいます。つい、そうした優秀な人たちと自分を比べてしまいがちですが、周りとの比較は研究の動機づけになることもありますが、常に生産的とは限りません。どうかあまり深く思い悩まないで欲しいと思います。決して謙遜ではなく、私には特に優れた研究実績があるわけでもなく、東京大学の錚々たる研究者に囲まれて劣等感のようなものを感じることもあります。それでも、根本のところで楽観的であったことが、そこそこの研究成果をあげてこられた理由なのではないかと思います。

私の場合、自信を失い、不安な時は、研究とは直接関係のない仕事をしている友人や異なる専門分野の研究者に励まされ、支えられる経験をたくさんしてきました。皆さんにも、大学外や専門外といった「よその世界」との交流を大切にすることをお勧めします。もちろん、心配事や不安がある時は、所属する研究室や専攻の教員や仲間に遠慮せずヘルプを求めてください。また、周囲には相談できないときのために、大学は第三者的な立場で相談に乗ってくれる窓口などの体制を設けていますから、どうぞ利用してください。悩みや不安は研究上のことに限りません。既にご存知かもしれませんが、東京大学は藤井総長のもとで策定されたUTokyo Compassに「誰もが安心して学び、働き、活動できる場」であることを掲げ、2022年6月には「東京大学 ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を公表しています。この宣言は、ぜひともご一読いただければと思います。

東京大学大学院では、全ての分野で、国内外の大学や研究機関をはじめ、市民社会、産業界、政府・行政機関と連携して、日々、新たな知が創造され、その知を個人の幸福とともに、よりよい社会の実現に向けて役立てる活動が行われています。この公共的な価値ある仕事の仲間となる皆さんの入学を心から歓迎し、私からの挨拶に代えさせていただきます。

令和5年4月12日
教育学研究科長
勝野 正章

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