令和5年度東京大学大学院入学式 総長式辞

令和5年度東京大学大学院入学式 総長式辞

東京大学大学院に入学および進学されたみなさん、本日はまことにおめでとうございます。ご家族や関係者のみなさまもさぞお喜びのことと思います。本学の教職員を代表して、心からお祝いを申し上げます。

さて、2015年の国連総会で持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、2030アジェンダとよばれる2030年に向けての行動計画が示されました。今年は、その中間点の8年目であり、9月にはグローバル・レポート(GSDR)が発表される予定ですので、変革の加速に焦点があてられることになりそうです。

そのなかで「人類と自然の共存」が一つの重要課題となっています。私たち人間は、18世紀に産業革命を果たして以降、地球環境に大きな負荷をかけ続けてきました。地球温暖化や自然生態系の劣化が進み、人間自身を含めた地球上の生物に対して著しい負の影響を与えようとしています。一見、自然に優しく見える農業も、地球環境にもたらす負荷は深刻です。たとえば森林その他が農地に転換されると、さまざまな生物の生息地が失われ、生態系が劣化します。また、持続を考えない農業システムによってもたらされる環境汚染や土壌の劣化、淡水の過剰利用は、生物多様性に深刻な影響を与えています。その一方で、現在でも食糧生産は世界の人口に足りておらず、7億人近くが毎日の空腹に耐えている現実があります。さらにグローバルな農業生産のあり方もまた、経済的・ジェンダー的な不平等を内に抱えています。

東京大学は「世界の公共性に奉仕する大学」として、「人類と自然の共存」に貢献する決意を東京大学憲章で宣言し、2021年に公表したUTokyo Compassにおいても、「人類社会が直面する地球規模の課題に関し、本学が有するあらゆる分野の英知を結集してその解決に取り組む」という目標を掲げています。その一環として、地球システムを人類の共有財産としてよりよく管理する仕組みの構築を目指す「グローバル・コモンズ・スチュワードシップ・イニシアティブ」に取り組んでいます。

しかし、地球環境問題の解決は容易ではありません。大学内の諸分野の英知の結集だけでなく、大学と社会との間での対話と協創が不可欠です。東京大学自らが対話を生みだして人々や組織をつなぎ、さまざまなステークホルダーとともに社会を変革していかねばなりません。

本日は、そのヒントをいくつかお話ししたいと思います。

東京・代々木に明治神宮内苑の森がありますが、これが、人によってつくられた森であることは、ご存知の方も少なくないでしょう。

1912年に明治天皇が崩御し、その翌年、渋沢栄一らの有志による請願活動のもと、明治天皇を祀る神社の建立を目指した調査会が創立されます。

現在、総面積72ヘクタールの大部分に常緑広葉樹からなる森が広がっていますが、いまから100年ほど前は雑草の生い茂る荒地でした。そんな場所に人工的に原生林のような荘厳な森をつくりだすため、当時の先端の学知と技術をもつ専門家が尽力します。この明治神宮の森の設計には、当時、本学の林学科の教授であった本多静六、講師の本郷高徳、大学院生の上原敬二の3名が深く関わりました。

ドイツで森林学を学んだ本多静六は、自ら日本全国のさまざまな森林を調査し『日本森林植物帯論』をまとめますが、この多様な森の観察が設計思想にも活かされています。秩序正しく厳かな森を東京につくるには、どうしたらよいのか。従来の神社林で目立つ大きな針葉樹ばかりではなく、地域在来の樹種であるシイ・カシなどの常緑広葉樹を中心とすることで、落ちた種子から次世代の樹木が育って、森を維持できると考えました。本郷と上原の二人は、それを実現するための森林形態の設計を行います。しかし、成長した常緑広葉樹を大量に移植して森をつくるのは、予算的にも技術的にも困難でした。そこで、移植技術が確立していたマツの成木で森の基礎をつくり、その下に成長速度の速いヒノキやサワラを植え、さらにその下にシイ・カシ・クスの幼木を植え、時間をかけてこれらを成長させるという植物の生態に適した複合的な計画をたてます。マツやヒノキなどの針葉樹は、森の上部に枝葉が茂るので、一般に下部が暗くなって次世代の樹木を育てられませんが、シイ・カシ・クスなどの常緑広葉樹は比較的暗い環境に耐えることができます。本多らが事業開始からわずか6年のうちに完成させた針葉樹の森は、100年以上が経った現在、自然のメカニズムのもとで設計通りに天然更新可能な常緑広葉樹の森へと遷移を続けています。

この事業が始まった当初、大学院生であった上原敬二は、設計だけでなく、造成事業の現場監督としても関わります。それは、上原が造成事業を「学術的な疑問解決に役立てる千載一遇の好機」ととらえていたからでした。江戸時代からの造園技術を庭師から吸収するとともに、造成現場においてさまざまな実験を行います。

100年をこえる時間スケールで、その理想を実現すべく、学知に基づくデザインから明治神宮内苑の森が生みだされたことは、人間の営為と努力による自然創造の可能性を示唆するものです。そして、地球環境の回復という困難で大きな課題に立ち向かう私たちに勇気を与えてくれます。若き大学院生であった上原敬二がこのプロジェクトに主体的に取り組み、自らの学術研究と実践の場として活用し、広く造園を学ぶ場を生みだしたことは、大学と社会との相互発展的な関係の先例であるともいえるでしょう。

もう一つ別の森の話をしましょう。時代は現代へ、場所は海をこえてパラグアイに移ります。パラグアイ東部からブラジルの南部に広がるマタ・アトランティカと呼ばれる森林は、世界からも懸念される深刻な危機に瀕していました。20世紀に始まった大豆の栽培や肉牛の飼育の大規模化のために、森林の90%以上が伐採されてしまったからです。輸出志向のプランテーション農業モデルによる大規模な森林伐採は土地の劣化を引き起こし、大豆栽培の拡大が土地需要を高めたことで、小規模農家の多くが居住地から去っていきました。

こうしたなかで、一つのNGOが、破壊を食い止め、景観を再生し、貧困を緩和する森林再生活動を開始します。このNGOはコナムリ(Conamuri)という女性農民と先住民による社会運動組織で、生態系に配慮した農業で農民の生活を守り、かつ女性のおかれた状況を改善することができる、新しい実践を提案しました。

コナムリの活動では、この地域で古代から飲用されてきた茶の原料であるマテの木を森林の中で栽培する、いわゆる森林農業(アグロフォレストリー)が大きな役割を果たしました。農薬の代わりに自然のプロセスを活用した害虫管理など、生態系に学んだ農業が行われ、これまでに25万本のマテの木と9万本の原生樹が植樹されました。マテ栽培が農民の社会経済的状況を改善するとともに、森林の保護と再生につながっています。

マテ茶が、さまざまなステークホルダーの関与と協力を生みだしたことも、注目すべき点だと思います。たとえば、グアヤキ(Guayakí)社という企業は、有機認証とフェアトレード・システムのもとで米国においてマテ茶製品の販売を行っています。社名のグアヤキは森林の先住民の部族名に由来し、この部族からマテ茶を買い付け、社名の使用料を支払うことで、製品販売が先住民の生活向上に寄与するという、持続的発展の一例にもなっています。さらに、毎年、栽培区画の在来種のセンサスを契約農家に要請することで、森林生態系のモニタリングと保全にも貢献しています。

また、栽培地域に水源を依存するイタイプ(Itaipú)ダムの電力会社も、マテ茶農家と密接に協力し、栽培拡大に必要な種子を集め、その保全に貢献しています。これは、大豆農地への転換がダムに流入する土砂量を増加させたことへの反省であり、マテ茶栽培によって森林が維持されれば、電力会社にも恩恵があるとの判断にもとづくものです。

注目しておきたいことは、女性たちによって伝統的に実践されてきた農業のなかに、自然資源を継続的に利用する持続可能なシステムをつくりあげる、大きなヒントがあったということです。

ここで話を「森」から「海」に移し、私も関わった日本工学アカデミーからの提言「海洋テロワール」についてご紹介したいと思います。

「テロワール」とは、フランスのワイン生産に源を発する言葉で、ブドウ畑を取り巻く自然・人間環境の固有性を指します。地域の気候や土壌、地形などの自然環境、また生産者がもつ文化や社会を統合してとらえ、その固有の価値を評価する考え方です。「海洋テロワール」は、その海洋版です。地域の海がもつ特徴を活かして豊かな恵みを生みだすことを目指すとともに、自然から収奪するのではなく、海に循環型の生産システムを構築することにより、恵みを持続的に利用しようとするものです。

その基盤として、まずは海を知ること、そのためにも地域の海に関するデータの収集と共有が必要となります。しかし、海は広大で、必要な解像度で観測することは容易ではありません。このため、研究者のみならず、さまざまな人たちに観測の担い手になってもらおうと考え、OMNI(Ocean Monitoring Network Initiative)というプロジェクトを立ち上げました。これは、海のデータをみんなで集めて活用しようという完全オープンソース型のプロジェクトで、どこでも入手できる部品で作られた観測装置を用いて誰もが思い思いに観測を行い、得られたデータをみんなで共有して利用します。

「海洋テロワール」の実現には、このように海洋観測を民主化し、誰もが参加できるようにすることが大切です。集められた事実を共有することで「その海」や「その浜辺」を昔から利用してきた人々を含めて、海の持続可能な利用法について地域あるいは社会全体で議論することが可能となります。そうした場をつくり、市民や地域とともに海だけではなく、社会を変えていく取り組みも、これからの大学の重要な役割の一つです。

森や海などの自然環境は社会全体の共有資産であり、これらを適切に管理・運営することは、私たちの社会を持続的・安定的に維持することと深くつながっています。

本学の経済学部教授であった宇沢弘文先生は、1970年代にこうした特質をもつ資産を「社会的共通資本」と呼び、その適切な管理と運営の重要性を説きました。「資源」としての勝手で一方的な利用ではなく、自然環境を「資本」としてとらえ、その社会的な再生産の望ましいあり方を考えるという姿勢です。この考え方は、現在の自然関連財務情報開示TNFD、すなわち、組織の経済活動が自然環境に与えるリスクや機会を明らかにする取り組みにもつながります。気候関連財務情報開示TCFDでは気候変動が対象ですが、TNFDでは対象が自然資本全体に広げられています。さらに、リスクだけでなくプラスの効果、いわゆるネイチャー・ポジティブの実現も目標となっています。

「社会的共通資本」は、森や海などの自然環境だけでなく、道路や交通機関などの社会的インフラ、教育や医療などの制度資本をも包摂しています。そして、大学もまた重要な社会的共通資本の一つです。

先に述べたように、UTokyo Compassでは、地球規模課題の解決に取り組み、世界の公共性に奉仕するという理念を、知をきわめ、人をはぐくみ、場をつくることを通じて実現していく方針が掲げられています。私は、森や海が私たちの社会を豊かにしているように、大学が社会を豊かで幸せなものにしていかなければならないと考えています。そのとき、これから大学院で学ぼうとしているみなさんこそが、社会を豊かで幸せなものにしていく重要な主体であり、その駆動力たりうるのだと思います。

東京大学は、高度な専門性をもつさまざまな研究グループの集合体で、その多様性は総合知として大きな力になるものと期待されています。冒頭で触れたSDGsには、持続可能な開発のための17の目標と169のターゲットが掲げられていますが、本学であれば、これらすべてについてそれぞれ研究グループを見つけることができるでしょう。一方で、東京大学は大きな組織であり、かつ、その先端研究の高い専門性ゆえに縦割りになりやすい面ももちあわせています。であればこそ、個人的にも組織的にも、対話が大切になります。

現在、私たちはグリーントランスフォーメーション(GX)の実現において活躍できる人材の輩出を目指して、SPRING GXという分野横断的な人材育成プログラムを設けています。全学の博士課程学生の600名が参加していますが、みなさんには、専門知の探求の場としても、また他分野や社会とのネットワークを築くための場としても活用してもらいたいと思っています。そして東京大学の多様性が、未来を創出していく大きな力となることを実際に経験していただきたいと思います。

学生のみなさんの力も、大学の大きな財産です。東京大学におけるGXのための学生による自発的な活動として、四つの環境系学生団体のメンバーを中心に設立されたUTokyo Sustainable Network(UTSN)があります。UTSNは、キャンパス内へのウォーターサーバの設置、カフェテリアへの植物性食品の導入を進めるとともに、国連が後援するRace To Zeroキャンペーンに向けた東京大学の行動計画策定にも協力しています。この行動計画は2050年までに温室効果ガス排出量実質ゼロを達成しようとするもので、2022年10月にUTokyo Climate Actionとして発表しました。

UTSNはまた、Nature Positiveな大学を目指す世界的なネットワークであるNature Positive Universitiesにも学生アンバサダーとして参加しています。これは、Nature Positiveのためのオープンサイエンスの場や市民科学のハブとして大学を利用するだけでなく、そのキャンパスを都市の緑化空間として生物多様性向上のために活用し、同時にNature Positiveにも貢献しようとする試みです。昨年12月、UTSNの4名の学生が、カナダで開かれたConvention on Biological Diversity COP15でNature Positiveに向けた取り組みについてプレゼンテーションを行いました。みなさんにも、こうした活動を含めてさまざまな側面から、「人類と自然との共存」という課題にどう取り組んでいくか考えていただければと思います。

明治神宮の森は、環境と都市を調和させる資本のデザインとして、武蔵野の自然と景観を残しつつも、人間が通る道によって大都市のさまざまな生活といまもつながり、さらなる遷移を続けています。世代をつないで環境と都市の調和を実現した明治神宮の森は、たとえば、大学のキャンパスを生物多様性向上のために利用する場合にも大きな示唆を与えてくれるでしょう。すなわち、私たちが、東京大学のキャンパスをNature Positiveな「森」としてデザインするとき、あるいは、私たちの社会を自然資本が尊重される、いわば「森」としてデザインするとき、現在の姿だけでなく、現実には見られない100年先の姿や役割に思いを馳せる必要があります。みなさんには、そうした想像力を豊かにして、これからの学びと研究に取り組んでいただきたいと思います。

大学院入学、まことにおめでとうございます。

令和5年4月12日
東京大学総長  藤井 輝夫

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