令和7年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

令和7年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

本日、東京大学から学位を受けられるみなさん、おめでとうございます。東京大学を代表して、みなさんの大学院生活を支えてくださった、ご家族や関係の方々にも深く感謝し、お祝い申しあげたいと思います。

今日は、みなさんの大学院修了を祝う日ではありますが、昨年から東京大学をめぐって報道されている不祥事が、気にかかっている方も少なくないかもしれません。みなさんにもご心配やご迷惑をおかけしたことを、あらためてお詫びいたします。度重なる事件を未然に防ぐことができなかった経緯を深く反省し、大学として望ましいガバナンスの仕組みや、あるべき危機管理体制を再構築すべく、いま断固たる決意で取り組んでいるところです。

そうした自戒を込めて、遠い未来から振りかえったとき、自分たちの今ここでの選択が、どのように評価されることになるのか、そのことを考えてみよう、という話をしたいと思います。

『グッド・アンセスター』というタイトルの本が近年、話題になりました。人類文化史を論じてきた思想家ローマン・クルツナリックの現代社会論であり、「私たちは未来世代から立派な祖先だったと、評価されるようになれるだろうか」と問いかけています。

現代の生活はまことに便利で、インターネット上の世界が拡張してSNSが普及し、世界の動きをニュースですぐに知り、時間を問わずネットで買い物ができ、気になった店の情報や評価なども、すぐに調べられます。そこで批判されるのが、現代の人間と社会とが陥りがちな、短期的な価値観と思考です。問題を解決するにあたって、目先の利益にこだわり、いま感じている欲求の充足を優先してしまう、自分ファーストな考え方が、現在、世界のあちこちで分断と対立を激化させています。そのことを考えれば、これはじつは大きな問題でもあります。

クルツナリックは、短期思考によって生みだされたリスクとして、自然環境の破壊や地球温暖化、気候変動、核廃棄物の処理などを挙げています。そして「私たちは未来を植民地化してきた」と述べて、長期的で公共的な視座の欠如を鋭く批判します。すなわち、近代の資本主義が、未開発の外部にさまざまな問題を押しつけて発展してきたように、本来であれば次世代と共有すべき資源を浪費し、問題の解決を未来に先送りすることで、現在の豊かさや便利さを優先させてきたのではないのか、と問いかけます。

そのようなわれわれに対して、まだ存在していない未来世代は、意見を言うことも抗議することもできません。

クルツナリックの問いが踏まえていたのは、医学者ジョナス・ソークの「私たちのもっとも大きな責任は、よき始祖となることだ(Our greatest responsibility is to be good ancestors)」ということばです。ソークは、1955年に小児麻痺を引き起こすポリオウィルスに対するワクチンを開発しますが、このワクチン開発において、知的財産権を主張しなかったことでも有名です。「だれも太陽の光に特許を申請しないでしょう」と述べて、私的で排他的な利益を求めませんでした。このような献身的な姿勢が原動力となり、今では世界のほぼすべての国で、ポリオは根絶に近づいています。

未来から評価される先駆者という話に、みなさんは、あまりピンとこないと思うかもしれません。未来がどうなるかは、わからないからです。あるいは、自分たちの未来はもっと悪くなるだろうと確信し、どうにもならないところに進んでいくのではないか、という諦めすら抱いているかもしれません。たしかに、将来という時間には、まだ決められていないがゆえの自由と、なにも約束されていないがゆえの不安との、両方が混じり合っています。

しかし、未来はみなさんの頭のなかの、空想でしかない仮想世界ではありません。自分たちの行為がつくり出し、歩んでいく前途でもあります。だからこそ、自分や社会の未来に、望ましい目標としての形を与えること、すなわちデザインすることが大切になります。

「立派な祖先になれるか」という問いは、つまり、みなさんがどんな人間になりたいのか、そして、どんな社会で生きてゆきたいのか、を問うているのです。

私は、2021年の入学式式辞において、蓄積された研究の知を生かして社会課題に挑み、「工学の最先端の研究を実社会と結び付ける」ための手法として、「デザイン」という概念が重要であることを提起しました。

デザインということばに、図案や模様、あるいは見映えのいい服の制作を思いうかべるかもしれません。しかし、それは現代消費社会に限定された、狭い意味にすぎません。分野をこえたさまざまな研究者が、もっと根本的なとらえ方を提案しています。

評論家のアリス・ローソーンは、デザインとは変革することであると述べ、経済学者で認知科学者でもあるハーバート・サイモンは、望ましい状態と現状とのギャップを埋めようとする、問題解決行為こそがデザインだと定義しています。

また、哲学者のドナルド・ショーンは、問題解決をさらにさかのぼって、複雑に変化しつづける状況を名づけたり、意味づけたりして、解釈の枠組みを与え、問題を新たに設定することこそが、デザインだと規定しています。

デザインは、状況から「問題」を見いだし、対象を認識する枠組みを設定し、解決するための資源や方法を見さだめ、よりよい方向に進めることだと考えられます。それは、みなさんが学んできた学問の本質そのものであるといってもよいでしょう。そして、ソークのポリオワクチン開発も、じつは創造的なデザインの実践だったことがわかります。

一方で、『グッド・アンセスター』の問いかけにはもうひとつ、短期的な思考や価値に対する重要な問題提起がふくまれています。そこでは、先送りの対症療法でしかない解決や、その場での欲求の充足にとどまってしまうだけの対策が、のりこえるべきものとして批判されています。

問題解決をめぐるたいへん興味深い論点を、アメリカの強制収容所での流言浮説を研究した社会心理学者のタモツ・シブタニが指摘しています。シブタニは、流言を異常な病理現象としてではなく、「即興的につくられたニュース(improvised news)」であり、その場かぎりの問題解決であった、ととらえます。

つまり、荒唐無稽なうわさ話は、情報が遮断され、先の見えない閉鎖的な状況にともに巻きこまれた人びとが、ありあわせの知識を寄せ集めてつくりあげたものだというのです。それゆえに、落ち着いた状況であれば、けっして信じられないような物語が、集合的に発明され、増殖し、多くの人びとに受容されているという分析は、なかなかに鋭いと思います。

この分析は、1940年代の強制収容所の現実だけにあてはまるものではありません。新聞の伝える情報がほとんど参照されず、SNSの閉ざされた空間にただよう解釈に動かされやすくなっている現代においても、たいへん示唆的です。

長期的な展望に立った枠組みをデザインするには、人間中心主義の思考を一度のりこえる必要があるように思います。

たとえば、科学社会学者ブルーノ・ラトゥールの「モノの議会(Parliament of Things)」という提案は、人間だけではなく、動物、植物、環境、テクノロジーといった「非人間(モノ)」もまた、主体として対等に扱う討議の場を構想しています。ラトゥールは、ブラジル北部のアマゾンの森でおこなわれた、森とサバンナの境界における土壌の浸食に関する調査研究を観察しました。多様な専門からなる科学者たちが、土の実態を図や記号といった知識に変換したことは、すなわち「モノの議会」において作物や森林を育ててきた土地に発言権を与えることでした。科学者たちは物言わぬ自然の「スポークスマン」となって、自然と社会、科学と政治の分断を解消しなければならないと論じています。

つまり、議会をはじめとする対話の社会的制度を「人間中心主義(human-centered)」から「人間中心主義を超えたもの(more than human-centered)」にすること、すなわち、人間と人間ならざる動植物や自然との「協議体(constituency)」を構想していくのです。

人間ならざる存在とともに、われわれ人間が社会的な課題を解決していくことなど、すこし前であれば、いかにもSF的な空想でしかないと思われたでしょう。しかしこれは今や現実に起こっています。

私は以前、本学東京カレッジの淺間 一(あさま はじめ)特任教授とともに、アリなどの社会性生物の群れにおける協調行動に学びながら、自律分散型ロボットシステムをつくる研究に取り組んだことがあります。個々の目的達成を相互にさまたげないという原理と、1台ではできないことを助けあって達成するという原理から、ロボットたちの協調を可能にしたのです。

こうしたシステムのさらなる発展形は、人間共存型のロボットシステム、ということになるでしょう。人間のように手でさわり、さまざまなものをつかむ経験をたくわえて、それを未知のものに応用し可能性を拡げていくような知識の使い方は、今まさにPhysical AIとして実現されようとしている技術です。人間の身体や認知の機能をそのままロボットが代行するのではなく、ロボットと人間がそれぞれの役割を分担する。これからの世界では、こうしたmore than human-centeredのあり方を考えていくことが重要です。

さて、立派な祖先になれるか、先駆者になれるかという問いにおいて、みなさんがどんな人間になりたいのか、そして、どんな社会で生きてゆきたいのかが問われているという主題に戻りたいと思います。

自分の夢や目標を達成すること、つまり、こうなりたいと目指している自分になることを、心理学では「自己実現」という概念で表現します。その自己実現は、自分中心的な「自己満足」とはまったく異なっています。

心理学者マズローは、生理的な欲求、安心・安全の欲求、人間関係を求める欲求と、他者からの承認欲求のうえに、それらを統合するものとして、「理想の自分であろうとする願望」を位置づけます。

その意味で自己実現は、社会という共存の可能性をつくりあげ、拡張してきた人間固有の未来への駆動力なのです。このような自己実現への志は、個人だけでなく、社会を構成する組織にも求められる姿勢です。大学もまた、その一員として、よりよい社会をめざす姿勢が問われています。

望ましい未来をつくりあげるのは、みなさん一人ひとりのこれからの行為ですが、みなさんはけっして一人ではありません。過去に学び、未知にたじろがず、わからなさと正面から向かいあう、その挑戦を、この大学の大学院で身につけた知恵と、友として出会う他者との対話が支えてくれるでしょう。東京大学のアラムナイとしてともに歩んでいただけることを願っています。

あらためて、修了おめでとうございます。

令和8年3月24日
東京大学総長  藤井 輝夫

関連リンク

カテゴリナビ
アクセス・キャンパスマップ
閉じる
柏キャンパス
閉じる
本郷キャンパス
閉じる
駒場キャンパス
閉じる