令和3年度東京大学入学式
総長式辞

令和3年度 東京大学入学式 総長式辞

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。心よりお祝い申し上げるとともに、新たな東京大学の仲間としてみなさんを迎えられることを大変嬉しく思います。本年4月に入学された方は3,130名です。そのうち、女性は664名、全体の21%を超えました。まだまだ少ないのですが、東大としてはこれまでで最も高い比率となりました。

誰も経験したことのないパンデミックの中での受験勉強、そして新しく始まった大学入学共通テストを乗り越えて、よくぞここまで来てくれました。入学前から異例の経験を積んできたみなさんは、すでに未来へのパイオニアであるといってよいと思います。

私もこの4月に東京大学総長に就任し、本来であれば、4月12日に日本武道館で挙行された入学式において、みなさんに式辞をお伝えするはずでした。そのことを私自身も楽しみにしていましたが、大変残念なことに新型コロナウイルスに感染してしまい、それが叶いませんでした。すでに本学ホームページにて公表していますが、新年度が始まって間もない時期に体調の異変を感じ、PCR検査を受けたところ陽性という結果でした。新年度の職務を前に、以前にも増して、会合の制限やマスク着用、手指消毒などに気をつけていましたが、どれだけ気をつけていても、感染のリスクは身近にあるのだということを痛感しました。

軽症ではありましたが、通常の風邪やインフルエンザとは異なる強い倦怠感や軽い嗅覚障害などを経験しました。約2週間の入院療養を経て、公務に復帰しましたが、その間、昼夜を問わず患者に対応し、健康観察や治療に取り組む方々を目の当たりにして、世界中でいまも続いている保健・医療関係者の格闘にあらためて思いをいたしました。この災厄の克服に力を尽くしているすべての方々に、敬意と感謝をお伝えしたいと思います。

さて、まさにこのCOVID-19の蔓延を防止するため、1年強の期間に渡り、私たちは互いの接触を断ち、孤立した空間で過ごすことを余儀なくされました。その中で、世界の分断はさらに顕在化し、社会の在り方は急速に変化しつつあります。これまでにない、新たな人類史的課題が生じてきているといえます。

私は、こうした状況においてこそ、大学の存在価値が高まるものと考えています。なぜなら、いま最も必要とされているのは、それぞれの専門領域において蓄積されてきた知識や、経験から生みだされたさまざまな知見や知恵を編み合わせて新たな「知」を創出し、困難な課題を乗り越える道を見出すことだからです。私は総長として、この東京大学を、そのような多様な「知」が生まれ、交じり合い、より大きな「知」として実を結ぶような活動の場にしたいと考えています。

とはいえ言うは易し、行うは難しです。実際のところ、同じ専門分野の者どうしでも、すぐに話が通じるとは限りません。異なる分野の人びととの間であれば、なおさらです。学生のみなさんにとっても同じで、せっかく大学という開かれた学問の場に身を置いたにもかかわらず、同じクラスや学科の仲間以外とはほとんど語り合わないまま卒業してしまう、ということにもなりかねません。

これは学問の話に限りません。異なる国や地域の人たち、異なる考え方やバックグラウンドを持つ人たち。大学には、そうした多様な人びととの出会いの機会があります。しかしその機会を生かせるかどうかは、われわれ次第です。

いろいろな人が集う場で、何よりもまず大切なことは「対話」であろうと思います。ただそのための共通の「ことば」はあらかじめ用意されてはいません。どのように対話すればよいのか、まずそこから探らねばなりません。たんなる会話にとどまらない、本来的な対話の試みとはいったいどのようなものか、そこにはどのような可能性があるのか。ここでは私自身の研究に関連した、知の交流の事例から、お話ししたいと思います。

私はもともと、工学部船舶工学科を卒業し、本学の「生産技術研究所」という研究所で、大学院生時代は海中ロボットの研究、その後、自分の研究室を持ってからはマイクロ流体デバイスという新しいデバイスを使ってセンサを作り、たとえば深海を詳しく調査する方法の研究を進めてきました。生産技術研究所は、みなさんがこれから通う駒場キャンパスに隣接した「駒場リサーチキャンパス」にあります。このキャンパスには、他に先端研と呼ばれる先端科学技術研究センターがあります。両研究所では、原子レベルのミクロな世界から地球スケールの研究、また自動運転やビッグデータに関する研究などが行われています。さながら工学分野の巨大な博覧会のような場所ですので、キャンパス公開などの機会をとらえて是非訪れてみて下さい。

さて、生産技術研究所は、その名前の通り、主として「ものづくり」を対象とした工学の研究を行っており、産業界との距離感が比較的近い研究所です。この研究所の所長を務めていた2015年当時、私はデジタル革新によって産業構造が大きく変化してきていることを感じ、「ものづくり」の未来像を改めて描きなおすべきである、と考えるにいたりました。

工学の最先端の研究を実社会と結び付けるためには、その研究から得られる新しい技術をどこに活かすべきか、そもそも「何をつくるべきか」、「ユーザーは何を求めているか」といった観点、すなわち「デザイン」からのアプローチが必要不可欠です。

このアプローチを実践するため、2017年に「デザインラボ」を立ち上げました。ユーザー視点を持つデザイナーを介して、アカデミアでもなく産業界でもない、外の世界と研究の現場との「対話」を可能にするための取り組みです。これは当初、ロンドンにあるロイヤルカレッジオブアートという芸術系大学院大学との共同プロジェクトとして始まったものです。

デザインラボのミッションは、最先端の研究やそこから得られる技術を、実用のアイディアにつなげることです。デザイナーたちは所内の研究室を訪ね、面白そうな研究の種を探して回ります。これはトレジャーハンティング、宝探しと呼ばれます。このとき、「ことば」が共通でないがゆえに生じる「誤解」が、逆に宝物を見つけるうえで役に立つといいます。ある対象を、その作り手とはまったく異なる視点から眺めることで、その対象の新たな側面が思いもよらないかたちで立ち現れてくることがあるからです。

芸術やデザインの世界には、唯一の正解というものはありませんので「誤解」もクリエイティビティをもたらしうるのです。デザイナーたちは自由な発想に基づいて、最先端の科学技術をより多くの人たちが理解しやすい形に変えることを試みます。生まれたてのデザイン案を前にしたデザイナーと研究者による自由な対話が、異なる領域の研究者たちの協働をも引き出すとともに、その成果を広く社会へと発信する道を拓きます。

2018年、私の研究室でも、デザインラボとの対話を通じて一つのイノベーションを構想しました。「OMNI」という革新的な海洋調査の在り方の提案です。OMNIとは、Ocean Monitoring Network Initiativeの頭文字をとったものです。海には、気候変動や食物資源、天然資源に関わるさまざまな問題を解決するための鍵が潜んでいますが、あまりに広く、また深いため、まだ僅かな部分しか明らかになっていません。海洋調査には多額の費用と長い期間が必要で、ごく限られた専門家たちだけの世界のように見られてきました。OMNIは、そうした現状を変えようとするプロジェクトです。海は本来、誰に対しても開かれていますので、低コストで自由度の高い海洋調査のツールが用意できれば、誰でも簡単に海のデータをとることができる、それをみなで共有するような仕組みができないか、と考えたわけです。

私たちが開発したOMNIの観測機器は、ちょうどサッカーボールくらいの大きさで、材料は100円ショップや秋葉原の電気街などで手に入り、誰でも簡単に組み立てることができます。手作りのウレタン製の浮きの中に、緯度経度を与えるGPSや回路基板、バッテリーなどを格納した密閉型のプラスティック容器が入っており、突き出した棒の先端のセンサで、水温や塩分濃度などのデータを得ることができます。取得したデータはリアルタイムでサーバーに送られ、ウェブ上で公開されます。一般的に海洋観測に用いられる機器は数百万円もの費用と長い時間をかけて用意するものですが、このOMNIの観測機器は2~3ヶ月の短い期間で構想したもので、4万円ほどの費用で作ることができます。まさに、デザイナー、エンジニア、科学者という異質な人びとの間の「対話」の産物です。

さらにこの観測機器は、広く学外の人びととの対話と連携をも可能にしました。中学生や高校生に学校でOMNIの活用法を考えてもらったこともあります。漁業者、釣り人やサーファーなど、海に関わる多くの人たちが、それぞれの場で機器を海に浮かべてOMNIプロジェクトに参加することも可能です。このシンプルな機器を対話のツールとして、専門家もそうでない人も、誰もが対等に、お互いの自由な発想を語り合い、響き合わせることができます。OMNIプロジェクトが発展することによって、人と人との対話のみならず、思いもよらないイノベーションが生まれ、海と人との豊かな対話が広がっていくことを期待しています。

さて、このように、さまざまな対話を通して、広く深い海についての探索を進めよう、というわけですが、そこには、実は複数の意味での対話が関係しています。「対話」という概念には、単に向き合って会話をするという以上の意味がありそうですので、少し整理してみましょう。

哲学や思想、そして文学の研究をしておられる先生方にも尋ねてみましたが、「対話」には、大きく三つほどの意味が見いだせそうです。

第1の意味は、向かいあって話すことによって、ある問題に対する理解を深め、解を探っていく。いわば、真理に到達するための対話です。さきほどの観測機器を「作る」作業を進める上で、この意味での対話が重ねられたことは言うまでもありません。しかしながら、みなが同じ方向を向いて目標を共有することは、一般にはむしろ少ないかもしれません。だとすると、対話は成果を生みだせないのでしょうか。実は、答えを見つけること、結論を出すことだけが対話の目的ではありません。

対話の第2の意味は、すなわち答えを探るよりも、まず対話の相手を全体として受け止め、対話の相手として信頼し、そこから自分に向けられた声を聞き取るという、共感的理解のための対話です。たとえば芸術もそのような対話によって息を吹き込まれるものであると思います。こうした意味での対話の相手は、人に限りません。

海に対して私が行なってきた調査は、まさに海全体を受け止める努力をし、それが地球に対して何を語っているのかを聞き取る、そのための対話であるということもできます。

とはいえ、全体の理解はとても難しいことです。そこで重要なのが第3の意味での対話です。相手をよく理解できなくても対話を続けると、結果として意外なことが起こります。先ほどお話ししたデザインラボで、「誤解」から新たな宝が生まれるのは、まさにその例でしょう。OMNIの観測機器の活用も、実はこの第3の意味での対話の成果だともいえるかもしれません。そもそも観測機器を手にして海に入る人びとの動機はさまざまであり、必ずしもお互いに意図を共有しているわけではないと思います。しかし、各々がそれぞれの場で海を介した交流を楽しむことで、結果的に海についてのデータが集まってくることになります。

この第3の「対話」は、「ポリフォニー」としての対話である、と考えることができます。ポリフォニーは、多声音楽と訳されます。単一の主旋律と伴奏からなるホモフォニーではなく、独立した旋律が複数あり、結果として一定の調和を見る音楽のことで、いわゆるバッハのフーガなどに代表される形式です。組曲「アルルの女」の最後の「ファランドール」などもそうですね。

ポリフォニーでは、一致することを目指さない多様な声が響きあうことで、結果として何かが生まれます。その前提には、他者のことはそう簡単には理解できないという認識があるとも言えます。現代の世界では、共感にもとづいた理解などとても生まれそうに思えないほど、社会の分断が顕在化しています。アメリカ大統領選挙をめぐる騒乱は記憶に新しいところですが、世界各国においてマイノリティに対するヘイトクライムをはじめ、耐えがたく殺伐とした空気が広がっています。

地球上には70億人以上の人が暮らしており、相互理解を進めること自体、容易ではありません。しかし、声を聞くことから始めることはできますし、自分が声を上げてそこに響き合わせることもできます。大切なことは、対話への試みをやめないことです。

その意味で対話は、ごく身近なことからでも実践できます。たとえば、食べることからも始められます。唐突に思うかもしれませんが、本学には研究を料理に喩える先生も少なからずいらっしゃいますので、式辞の締めくくりに、今すぐ始められる食に関わる実践的な提案をしたいと思います。

東京には、各地の食材が集まります。買い物に出かけてみると、売られている食材から、全国の農業・水産業・畜産業、さらには海外にまで拡がる流通業の一端まで垣間見ることができます。野菜にせよ魚にせよ、売り場に並ぶ食材は、季節によって変わっていきます。旬の素材を用いて作った食事を味わい、季節の移り変わりを噛みしめることは、地球との対話であると言えます。

食を通じて地球上の資源に思いを馳せることもできます。たとえば私の学生時代、伊豆の沿岸、本学の戸田寮の近くの海に潜ったときには、イワシの群れに囲まれることがありました。マイワシは60年ほどの周期で資源量が増減しますが、その時期、1980年代の後半はそのピークでした。しかし、1990年代後半から漁獲量が急速に減り、価格が数倍に高騰するといったことが起こりました。近年、マイワシ自体の水揚げは再び増加傾向にありますが、それでも絶対量はピーク時の1割程度です。イワシ類の資源量は冬の海水温に関係すると言われており、OMNIのような取り組みを通して水温データがもっと細かく取れるようになれば、資源量の変動がとらえられるようになるかもしれません。

もう一つ、スーパーで国産の牛肉を買うとラベルに、必ず個体識別番号が書いてあることに気づくでしょう。日本ではBSE(牛海綿状脳症)などのウシの重大な病気の発生や、O-157などの食中毒事故の発生に備えて、国内で飼育される全ての牛に対して個体識別番号を付して一元管理しています。家畜改良センターのホームページで、この識別番号を入力すると、その牛の飼育履歴を知ることができます。これを食品トレーサビリティと言いますが、データ活用がますます重要度を増す現在、食の安全・安心のみならず、資源管理や食品ロス対策などにも大いに活用できそうです。

このように、食を通じて学べる事柄の拡がりは、多岐に渡ります。自分で料理を作るとなれば、なおさらです。

実際、私も研究のため、スイスに1年弱滞在した時には、自炊をしていました。特に食材を買いにスーパーへ行った時のことが印象に残っています。ヨーロッパでは当時から、生鮮食料品は日が経つと値段が下がるシステムで、食品ロスへの配慮が感じられました。もちろん、無殺菌の牛乳は日が経てばヨーグルトになります。ヨーグルトは、さらに日が経てばカビが生えてきます。そんなことがとても新鮮でした。現地の食や素材に関する考え方に触れ、生活者としての視点を得たことは、そこで人びとと共に仕事をする上でも役に立ったように思います。

その意味で、東京で一人暮らしをする方、寮に入る方、また家族と一緒に自宅で暮らす方、それぞれに時間を見つけて、料理に挑戦してみるのもよいのではないでしょうか? お話ししたように、買い物に出かけるだけでも、さまざまな気づきが得られます。正直な話、私も大した料理はできません。素材同士の「ポリフォニー」を活かす料理も夢見るところですが、それも素材との対話を重ねていくことを通して実現できるのだと思います。

多くの人びとと共に食卓を囲んで語り合うことは、対話を深めるまたとない良い機会ですが、残念ながら、感染拡大防止の観点から、現状ではおすすめできません。とはいえ、厳しい状況にも必ず終わりが来ます。栄養をしっかり摂り、健康に留意して、今日お話しした3つの意味での「対話」を念頭に、これからの「学び」に、そして大学生活に臨んでいただきたいと思います。

さて本学ではCOVID-19が世界的に蔓延する状況を見ながら、対面とオンラインを効果的に組み合わせた教育をおこなっていきたいと考えています。そのためには、みなさん一人ひとりに、正確な情報に基づいて感染拡大を防止する、という意識を持っていただくことが必要です。大学におけるさまざまな活動を行う際にも、新しい発想で工夫しながら、目的を達成できる方法を見出す、ということを是非心がけていただきたいと思います。

一方で、みなさんをはじめとする大学構成員やみなさんのご家族の健康を最優先に考えつつ、決して学びは止めない、という観点から、今年度もオンラインの授業が多くなると思います。オンラインでは、ともすれば聞きたい声だけを選び取って聞くことができてしまいます。だからこそ意識的に、共に学ぶ仲間の声に耳を傾け、世界の多様な声を、たとえ理解できなくても、聞き続けてください。そしてみなさんもぜひ声を出して、話しかけてみてください。そうすることで、みなさんにとって世界が身近なものになるはずです。

ようこそ、東京大学へ。
 

 

令和3年4月
東京大学総長  藤井 輝夫

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