令和3年度東京大学大学院入学式
総長式辞

令和3年度 東京大学入学式 総長式辞

東京大学大学院に入学されたみなさん、まことにおめでとうございます。東京大学の教職員を代表して、ご家族、ご関係の皆様にも、心からお祝いを申し上げます。

本年4月に入学されたのは、修士課程が2,995名、博士課程が1,244名、専門職学位課程が329名、合計4,568名です。

誰も経験したことのないパンデミックの中で大学院への入学、進学を決断し、よくぞここまで来てくれました。みなさんは、大学院での研究生活に期待を抱く一方で、不安を感じているかもしれません。私もこの4月に総長に就任したばかりで、みなさんと同じように期待と緊張が入り混じるフレッシュな心持ちでおります。

本来であれば4月12日に日本武道館で挙行された入学式において、総長としての式辞をみなさんにお伝えするはずでした。そのことを私自身も楽しみにしていましたが、大変残念なことに新型コロナウイルスに感染してしまい、それが叶いませんでした。すでに本学ホームページにて公表していますが、新年度が始まって間もない時期に体調の異変を感じ、PCR検査を受けたところ陽性という結果でした。新年度の職務を前に、以前にも増して、会合の制限やマスク着用、手指消毒などに気をつけていましたが、どれだけ気をつけていても、感染のリスクは身近にあるのだということを痛感しました。

軽症ではありましたが、通常の風邪やインフルエンザとは異なる強い倦怠感や軽い嗅覚障害などを経験しました。約2週間の入院療養を経て、公務に復帰しましたが、その間、昼夜を問わず患者に対応し、健康観察や治療に取り組む方々を目の当たりにし、世界中でいまも続いている保健・医療関係者の格闘にあらためて思いをいたしました。この災厄の克服に力を尽くしているすべての方々に、敬意と感謝をお伝えしたいと思います。

ここではあらためて、みなさんの入学を祝し、私が大切にしてもらいたいと考えていることについて、お話ししたいと思います。それは、未知なるものへの好奇心、新しいものを創り出そうとする創造性、そして、お互いを尊重して協力する協働性です。この3つは、じつは密接にからみあっています。

さて、ニュースをご覧になった方も多いと思いますが、昨年12月6日に、小惑星探査機「はやぶさ2」が、小惑星リュウグウから砂や小石などのサンプルを地球に届けました。

その10年前の2010年には、初代の「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」からのサンプルリターンに成功しました。小惑星からサンプルを持ち帰ることは、人類史上はじめてでした。はやぶさ1号機と2号機によって地球にもたらされたこれらのサンプルから、さまざまなことが明らかになるでしょう。私たちの地球、あるいは、太陽系の成り立ちの理解につながるようなすばらしい科学的成果が得られるものと期待されています。

ところで、この「はやぶさ」にいたる我が国の宇宙開発が、東京大学の生産技術研究所で始まったということを、みなさんはご存じでしょうか。日本初の観測用ロケット開発のプロジェクトを率いたリーダーは、生産技術研究所の糸川英夫先生でした。「はやぶさ」1号機が研究対象とした小惑星「イトカワ」は、先生の名前にちなんで命名されたものです。

糸川先生は、戦前、国産航空機メーカーに就職して戦闘機の設計に関わっていましたけれども、1942年に本学第二工学部助教授となり、戦後に設置された生産技術研究所で教授を務め、1950年代半ばからロケットの研究に携わっていきます。第二次世界大戦が終わって、サンフランシスコ平和条約が締結され、各国がジェット機の開発にしのぎを削るなか、糸川先生は、再び航空機の研究には戻らず、宇宙空間を自由に飛び回ることができる飛翔体、すなわちロケットを実現しようと考えました。

21世紀になった今でも、宇宙と聞くとワクワクする方が多いと思います。じつは私自身も、1969年のアポロ11号による月着陸のシーンをテレビで見て、子供心に、不可能が可能になったと感じたことを覚えています。その大きなインパクトが後に、私自身の工学への憧れに結びつき、後ほど紹介する深海探査技術への興味につながりました。

さて糸川先生がロケットの開発に取り組んだといっても、当時国内にロケットを作る技術はありませんでした。つまり、このプロジェクトは「何も無いところから短期間で宇宙に到達するロケットを開発しよう」という、無謀ともいえる挑戦でした。地球からの重力に逆らって、数十キロメートルの高さまでロケットを飛ばすには、大きな推進力を発生させる必要があります。

みなさんもスペースシャトルや気象衛星の打ち上げの映像をみたことがあると思いますが、大型のロケットを打ち上げるにはかなりの量の燃料が必要です。しかも、推進力を制御するためには、固体燃料と酸化剤を練り混ぜたものを、適切な形状と大きさに仕上げなければなりません。ところが、当時、日本国内でそのような大型燃料を調達することは、極めて困難でした。

ロケットは大きいもの、という常識からすると、大型燃料なしでは研究が始まりません。しかし、糸川先生は発想を逆転させ、少量の火薬で飛べる超小型のロケットを作ることにしました。長さ23cm、重さ約200gの「ペンシルロケット」です。たとえどんなに小さくとも、ロケットの原理で実際に物体を飛行させることが何より大切だと考えたわけです。実際、このペンシルロケットを使った実験によって、研究グループは貴重な経験とデータの蓄積を得ることができ、その後の研究が大きく進んでいきます。

この糸川先生のモットーが、「前例がないからやってみよう」でした。それは、常識としての前例にとらわれない発想であり、これまでの考え方を変えてみよう、という精神です。これがまさに不可能を可能にし、創造性をもたらします。それは未知への好奇心に根ざしたものだとも言えるでしょう。人間はだれしも不安に思うと「教科書」や「前例」を探したくなります。あるいは、「流行」を追いかけ「最新」を真似ようとします。しかし、それを続けているだけでは、新しいなにかを創り出すことはできません。不可能を可能に変えるためには、「前例がないから尻込みする」のではなく、「前例がないからやってみよう」という姿勢が大切です。ぜひここで、みなさんに届けたい言葉です。

もう一つ、みなさんに考えていただきたいことは、ロケット開発が多くのひとを巻き込んだ、総合的なプロジェクトであった、ということです。飛翔体としての設計から姿勢制御、先に述べた燃料技術、さらには計測技術など、さまざまな領域の専門性を必要とするものでした。

たとえばペンシルロケットの水平発射実験の映像を、ご覧になったことがあるでしょうか。一定間隔に並んだ障子紙を貫通させ、高速度カメラによる撮影結果と合わせて速度変化や軌道などを計測するための記録です。現場での創意工夫の積み重ねで生まれた手法で、生産技術研究所には、いまも映像技術室という専門の部署があります。このように総合的なプロジェクトにおいては、それぞれの専門家が自らの最先端の知恵や技術を投入し、全体に貢献する、その協働性が極めて重要です。

現在各国で進められている新型コロナウイルスのワクチン接種も、単独の専門性では到底実現できない総合的なプロジェクトです。ウイルスのゲノム解析から、ワクチンに用いるmRNAのデザイン、さらにはmRNAを格納するナノ粒子の製造技術、冷凍保存技術など、広い範囲の技術的専門性が結集できたからこそ、実現できたものです。日本においても、約1億人分に届くようなかつてない規模で、効果と公平性を考慮しながら優先順位を決定し、かつ副反応にも迅速に対応するためのロジスティクスを用意して、ワクチンの接種を円滑に実行することは、相当に困難な事業です。まさに総合的なプロジェクトであり、それぞれの専門家が互いを尊重して協働することによってはじめて、今日のワクチン接種が可能になったわけです。

実際のところ、ワクチンは限定された年齢層や特定の国々だけに行き渡らせれば良いというものではありません。世界のあらゆる人びとに公平に届ける必要があります。そこで、現在、「コバックス・ファシリティ(COVAX Facility)」という、ワクチンを複数国で共同購入し、公平に分配するための国際的な枠組みがつくられています。日本もこの枠組みに参加するとともに、独自に途上国の接種支援も行っています。つまり協働性は、何も専門家同士に限られるわけではありません。立場の異なるさまざまな人びととの協働も同じように重要なのです。

たとえば、さきほど述べたペンシルロケットの4年後には、長さ5m、重さ260kgにもおよぶロケットK-6(カッパ6型)を高度60kmにまで打ち上げることに、研究グループは成功します。その過程では、打ち上げ場所を探して各地を訪ね、適した場所を決めなければなりませんでした。また、打ち上げ場所の地元の方々の支援・協力を得ることもプロジェクトの進行に不可欠でした。各技術分野の専門家の協働はもちろん、地域の方々との対話を通じ、お互いの立場や考え方を尊重しつつ協力の輪を広げていくことが必要であったということです。

社会の中でのさまざまな課題解決に取り組む場合においても、大学という場の中だけにとどまらない対話が求められます。本学では、地域に積極的に入っていくことによって課題を探り、地域の方々と一緒になってその本質に迫り、未来に向けての方向性を見出していく、という試みも行われています。

ご存じの通り、東日本大震災から今年で10年が経ちました。被災地域である岩手県大槌町には、本学の大気海洋研究所の国際沿岸海洋研究センターが置かれています。当時、教職員・学生の人的被害は無かったものの、施設としては甚大な被害を受けました。2018年にようやく研究実験棟と宿泊棟が建設され、地域の住民との新しい関係をつくりだしつつあります。

また、本学の社会科学研究所では、岩手県釜石市において2006年度から「希望学」に関する総合的な地域調査を開始し、鉄と魚の街として、またラグビーで有名なこの地において、地域の方々との対話を続けてきていました。2011年に東日本大震災が起こってからも、希望の灯を絶やすことなく前に向かって進もうとする釜石の人びとと一緒に歩み続けています。2016年度からは、「危機対応学」という新たなプロジェクトを立ち上げ、東日本大震災における津波の記憶継承と将来の危機に対するさまざまな対応方策の研究に取り組んでいます。

先ほど述べた大槌に拠点を持つ大気海洋研究所が社会科学研究所と一緒に立ち上げた「海と希望の学校 in 三陸」という取り組みは、ユニークな現地での対話の試みです。この学校では、被災地である三陸沿岸地域に存在する大小さまざまな湾ごとに、海の環境やそこに棲む海洋生物が異なることや、そのことと、それぞれの湾の沿岸に住む人びとの暮らし、文化、風習、産業などが多様であることとの関係を明らかにする研究を進めています。たとえば、その土地土地のラーメンにも、各地域の磯の生態系が反映されているといいます。これはほんの一例ですが、それぞれの地先の海の可能性を活かした多様な復興や振興のあり方について議論しながら、次世代の人材の育成とローカル・アイデンティティの形成を目指しています。

ここで紹介した三陸沿岸地域での活動は、異なる学問領域からそれぞれのアプローチで地域と対話し、連携する中で、協働プロジェクトが作り上げられたという意味で、復興への取り組みの一つとしても大変大きな意義があると考えています。

さて、みなさんはこれから大学院で、学び始めることになります。自分がどういう学問をやりたいか、その学問を通じてどのように社会の発展に貢献するのか、そのためには何をなさねばならないかを、じっくりと考えてください。みなさんの中には、純粋な知的好奇心からの興味がある人も、われわれの生活をいまよりも便利にしたいと考えている人も、社会的な課題を解決して人類の役に立ちたいという人もおられると思います。

東京大学には、さまざまな研究活動をサポートする多岐にわたる専門分野の教員と、充実した研究設備、さらには世界のさまざまな大学や機関とのネットワークなど、最高の環境が整っています。ぜひ、みなさん一人ひとりが、自らの好奇心を大切にして自由に学問に取り組んでいただきたいと思います。

昔の話になりますが、私自身は船舶工学専攻でしたので、電力や信号等を供給するケーブルでつながれていない無人の潜水艇の開発という研究テーマに興味があり、修士課程でこの研究を選びました。主としてその制御系の研究を進めていましたが、ある時点から無人潜水艇は「ロボット」であり、その制御系は「ロボットの知能」ではないか、と考えるようになりました。このことを指導教員であった浦環(うら たまき)先生にお話ししたところ、そうであるならばわれわれは無人潜水艇を「海中ロボット」と呼び、制御系のケーブルをもたない無人の潜水艇は「自律海中ロボット」と呼ぼうということになりました。

そして、制御系の研究を進めるために、当時本学の工学部にいらした甘利俊一(あまり しゅんいち)先生が書かれた「神経回路網の数理」という教科書を浦環先生と一緒に輪講しました。先生と学生で一緒になって教科書を説明し合うというのは珍しいかもしれません。この輪講を経て、現在、AIあるいは機械学習で注目を集めているニューラルネットワークを用いて海中ロボットを制御するという研究を、修士論文としてまとめることになったわけです。

これは私の学生時代の、ほんの一例に過ぎません。みなさんも是非、自らのアンテナを広げ、興味の対象を自由に探してみてください。きっと先輩たちとも先生方とも異なる視点が見いだせるはずです。みなさん一人ひとりの興味が新しい学問に結び付いていけば、大学全体として、あるいは社会全体として、彩り豊かで重層的な学知を生み出すことにつながります。また、異なる分野や背景を有する研究者同士が対話し、議論を掘り下げていくことは、より質の高いアイディアや、共感性の高い方策を見出すうえでも重要なことです。

自由に興味の幅を広げていく時、ひとつ心に留めていただきたいことがあります。それは自由があるからといって何をやってもいいわけではない、ということです。すなわち自由には責任が伴うことも是非知っていただきたいと思います。純粋に知りたいと思って取り組んだこと、あるいは努力の末に開発に成功したことが本当に社会のためになるのか、あるいは、人類ひいては地球に対する脅威にならないか、だれかを傷つけてしまうことはないかなど、立ち止まってじっくりと考えることも必要です。そうした、いわば自分との対話も、科学にとってはたいへん重要な実践です。

たとえば2018年にある研究者が、父親がHIV陽性であるカップルの受精卵にゲノム編集を施し、双生児を誕生させたと発表し、国際的に大きな批判を受けました。その後、科学者コミュニティの主導によって、ゲノム編集を施した受精卵や生殖細胞を用いる生殖補助医療を行うことは当面禁止という国際的な合意がなされました。これはつまり、親が望むような容姿や才能等を設計した子、いわゆるデザイナーベビーの誕生につながる懸念が共有されたからです。ゲノム編集のような「ヒトにとっての」利便性を高める技術の濫用は、名もなき生き物を滅ぼすことや生態系の破壊にもつながり、やがて人類にも甚大な影響を及ぼしうることに思いをいたさなければなりません。ヒト以外の生物でも、ゲノム編集を含む広い意味での遺伝子改変技術による生物多様性への影響が問題視されており、各国の科学者がそれぞれに厳密な規制を設けています。

こうした自主的で倫理的な規制を行うことは、学問の自由を享受し、新たな科学的な知見を生み出すものが負うべき社会的な責任の一環です。的確な自主規制を行うためには、その技術が社会に与える中長期的な影響に関する豊かな想像力を持つことが不可欠です。そのためにも、一つの専門領域を深く学ぶ一方で、異なる分野の学知や文化、さらには芸術の営みなどにも触れてください。異なる分野の研究者と対話する力も求められるでしょう。東京大学はそのような場をみなさんに是非提供したいと考えています。

最後になりますが、みなさんが、楽しみながら新しいことを作り上げる創造性、「前例がないからやってみよう」という未知への好奇心、そして、異なる立場の人を尊重し、積極的に対話する協働性、これらをもって、伸び伸びと活躍されることを期待します。

ようこそ、東京大学へ。
 

 

令和3年4月
東京大学総長  藤井 輝夫

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